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Ⅻ【現代伝説考】Ⅱ.現代カー伝説04「車とジンクス」

Ⅱ.現代カー伝説04「車とジンクス」


 車が高速で移動するかぎり事故はつきものである。そして事故を避けたいという人間の心理は、現代人に神頼みをもさせる。交通安全祈願のお札はだれの車にもぶら下がっているはずである。さらには、なにげなく飾っているミラーマスコットのたぐいにもそれなりの意味あいがあるらしい。

『ミラー・マスコット』
《 ちなみに、自動車のバックミラ−にマスコットをぶらさげる習慣はひとりでドライブするときに妖怪をちかづけないための現代呪術だというはなしを池田弥三郎先生が書いておられたように記憶しています。》

 現代文明を代表する自動車と妖怪とはいかにも奇異な感じがするが、これまで検討してきたことを振り返るとけっして不思議なことではない。車と妖怪・霊のむすびつきは、現代カー伝説というひとつのジャンルを形成するほど密接な関係をもっているのである。

 昔の旅人たちも、見知らぬ土地を旅するときにはどんな魔物と出くわすかもしれなかった。旅立つときに火打ち石を打って無事を祈った習慣からしても、それなりに道中での魔物よけの工夫もあったはずである。そのような慣習が、現代の車のマスコット人形として引き継がれていると考えてもおかしくはないであろう。

『警官よけのステッカー』
《 車に、世界は一家とか北方領土返還とかのステッカーを貼っていると、警官は多少の違反は見のがしてくれる。よく聞く。》

 交通違反が犯罪行為であるという意識はかなり希薄であろう。違反で捕まるのが単なる不運だということになれば、できるだけそのような不運を回避したいと考えるのが人の常。となれば、突然現れて違反キップを切る警察官は「悪さをする現代妖怪」と見なされてしまうのであろうか。

 直接の搭乗者の側からではなくても、車にちなむジンクスのたぐいはたくさんあるようだ。

『霊柩車を見ると…』
《 これは異常にポピュラーな噂なのだろうが、
「霊柩車を目撃するとその日はいいことがある」
というのがありますね。逆に「悪いことがある」という地方もあるようですが。》

 日常生活のなかでは忘れている「死」も、街中で霊柩車と遭遇すると突然に思いおこされる。そのような不吉な想念を意識から遠ざけるために、「霊柩車のジンクス」はそれなりの役割をはたしているのかもしれない。好運と不運の両方のジンクスがあるというのもおもしろい。「幸福と不幸は紙ひとえ」という諺をも思いおこさせる。

 霊柩車のジンクスは、ほかのジンクスとも結びつきやすい。

『霊柩車を見ると親指隠す』
《 親指を隠すと言うお話ですが、私は小学生の頃に霊柩車を見たら親指を隠さないとダメと聞きました。理由は同じで親が早死にするからだそうです。お葬式やお通夜では聞いたこと無いですね。いまでも霊柩車を見るととっさに親指を隠してしまうんですよね、習慣とはおそろしい^^;でも夜に平気で口笛吹いてますし、爪も切ってますが_^;
 バイクに乗っている時はあまり指を隠さない方が良いのでは・・・(^_^;)》

 宅急便などを中心に、ボディの側面にシンボルマークを掲げた商用車がたくさん走るようになった。そのようなマークからもジンクスが誕生する。

『佐川急便の赤フン』
《 トラックの側面の飛脚の赤い褌に触ると幸せになれる(金運に恵まれるというのもある)》

 「赤い褌の飛脚」のマークというのも、街中で見るのは奇異な思いになる。そんなちょっとしたことからジンクス話が発生するのであろう。そして、急速に成長した企業にたいするヤッカミや噂になったビジネス・スキャンダルの記憶などもともなって、さらに噂は発展していく。

『佐川急便のお兄さん』
《 ふむふむ、佐川急便の赤フンねぇ。運転してるイキのいいお兄さんのナニをさわらしてもらったら、もっとご利益あるかも。でも、こんな噂が全国的に広がったら、宅急便が遅れて困りますね。みなさん、けっして実行しないように(^^;。》

『佐川急便顔で採る』
《 佐川急便は面接でルックスを重視する。彼らは営業も兼ねているから、顔が大事なのだ! 結果、いい男が多い。(バブルの頃、OLから)》

 車のボディの特長ある形態やその色もジンクスとされやすい。

『赤いVW』
《 「フォルクスワーゲンのビートルを100台目撃すると幸せになれる(願いが叶う) 」「但し、赤のビートルを見たらそれまでの台数は全てチャラ」

 私は、「ワーゲンを見つけて」と女の子に頼まれて、赤のゴルフを見つけて教えてあげました。途端に「赤は駄目なの。今まで見たやつが駄目になっちゃうじゃない、馬鹿」と罵られて、次の瞬間、「あ、でもあれ、カブトムシじゃないでしょ?」と問うた馬鹿女に「あれはゴルフ」と親切にも教えてやった過去があります。
 「どういうのがワーゲンでワーゲンにも色々あること位知った上で縁起をかつげこの糞ブス」とは言いませんでした。あ、思い出して腹が立ってきた。》

 これは、若い女性や子供のあいだではかなり普及したジンクスであったらしい。街角での軽い遊び心をくすぐる噂であろう。カブト虫の愛称で一世を風靡したフォルクスワーゲンは、子供の目からも見わけやすい特長あるボディであった。また外国車特有の、国産車にはない色あいも目だつところである。そんなこんなで、さまざまなラッキーカラーやアン・ラッキーカラーが登場する。

『緑のVW』
《東京の城南地区の某高校では、赤いVWで御破算になるという暗いルールのほかに、緑のを見つけると一挙に+20台という特典が付いておりました。》

『空色のVW』
《 私の出身の北関東の某G県でも、VWの噂はありました。私が小学生の頃ですから、かれこれ20年くらい前になります(^_^;) いわゆるひとつの1970年代...。 その頃のVWのラッキーカラー?は、空色(水色)でした。空色のVWに乗った20人目のドライバーと目があって、お互いニッコリ笑うと、いいことがある、願い事がかなうという、たわいもないことでした。》

 最後に、車のジンクス・アラモード。

『車ジンクスさまざま』
《 えっと、いろいろと人から聞いて来ました。今から10年ほど前に九州は熊本の城南地区のさらにその下半分辺りでの噂です^^;
○郵便局の赤い車を3台見たらその日は良いことがある。
○バキュームカーかコ○コーラの配送車を一日のうちに何台か(5台との説有り)見ると悪いことがおきる。
○黄色か白色のワーゲンを3台見ると良いことがある。
 あと霊柩車の話のバリエーションで
○霊柩車を見るとその日の夕飯は御馳走である。
他の例に比べると数があまいような気がしますね(^_^;)》

Ⅻ【現代伝説考】Ⅱ.現代カー伝説03「移動する霊・妖怪」

Ⅱ.現代カー伝説03「移動する霊・妖怪」


<高速伴走するお化け>
 事故にかなならずしも関係しなくとも、車にまつわる霊や妖怪は登場する。古典的な妖怪に「べとべとさん」というのがあるそうだ。ひと気のない山道などを歩いていると、ペタペタと足音がついてくる。振り向いてみてもなにも姿が見えない、というやつである。

 ここにあげる「高速伴走するお化け」は、この「べとべとさん」の現代版といえようか。自動車などで高速で移動する現代人には、お化けも同じように高速でついてくるところがおもしろい。

『高速並走する老婆』
《 彼から3年前の正月に聞いた話です。そいつが夜クルマで高速を走っていたときのこと。ふとクルマの外を見ると、お婆さんが飛んでいるのだそうです。とうぜんこの世の婆さんではありません。それが他のクルマに混じって、そいつのすぐ近くを“疾走”し続け、結局「100kmくらい一緒に走ってた」とか。
 場所は高速道路(東名だか名神だかだったと思います)で、その弟も走ってる訳ですから、時速100km前後は出ているわけですね。で、まず驚くのが、オバケがクルマと同じスピードで疾走するという点、もう一つはそんな何百kmも走るものかという点です。》

 「異空間伝説」の章でもあげたように、この高速老婆は北陸自動車道にも「でる」と報告されている。高速道路を川や橋にたとえるとするならば、この高速並走老婆もまた「境界」に出没する妖怪のひとつと考えられる。

 このような、これといった悪さをするわけでもない妖怪どもはなんのために境界に現れるれるのだろうか。妖怪と出くわす人の意識の側からみれば、異界への漠とした畏れが潜在的にあるだろう。それに、孤独な情況で不安が増幅されて妖怪が登場することになる。高速道を疾走する車の運転者であれば、さらに事故への不安感がつけ加わるはずである。

 バイクライダーにも、この種の話はある。いくら速く走っていても追い抜かされてしまうというのが主題であるが、ライダーにとって後ろから追い抜かれるというのは不安を感じさせる瞬間でもあろう。

『超高速バイク』
《 前輪だけのW1篇というのは、後ろから追いかけてくるオートバイがいて、どんなにこっちが頑張って走っても間隔がどんどんつまってきて、背後に来たときにはその音からして設計が古くとても早く走れるようなバイクではないはずのW1であることがわかり、で、横に並び、そのまま消えてしまうというやつです。》

 同じ投稿から、トンネル編も。

『トンネルでの追い抜きライダー』
《 トンネルの中で追い抜いていくライダー篇というのは、さっきまで誰も後ろにいなかったはずなのにトンネルの中でいきなり抜かれ、トンネルを出たところにはやはり誰もいない、というやつですね。
 ま、最後のやつはこれは単にそいつが凄く遅いやつであったという可能性もあるわけですが(=^_^;=)、ほかの2つも長く走って疲れててライダース・ハイになってて(って意味がちがーう)時間感覚とかなくなってたら体験してもさほど不思議なことではありません。とかいうとオチがついちゃってつまらんか。》

 バイクの後部シートを重くする幽霊は先にも紹介したが、この投稿ではその出典らしきものも示されているので引き続き引用する。

『タンデムシートを重くする幽霊』
《 そだなー。あ、あとひとつ出典が明らかなやつがあったな。朝比奈峠のタンデムライダー篇。ぼくが読んだのは三好礼子の「風より元気」のどれかのエピソードとして紹介されてたやつですが、その前になんか原型があったのかもしれません。で、別ルートでも聞いてますが、「風より元気」からまわったのか、原型からまわってきたのかまでは知りません。
 えーと、三浦半島東岸から鎌倉向かうときに通る朝比奈峠ですが、そこを通る時にいきなりタンデムシート(バイクの二人乗り用のシート)が重くなる、と。それはどうせ峠を攻めてておっ死んじゃったライダーのおばけさんだから、しばらくそのまま走ってやれば供養になる、つうやつですな(=^_^;=)。物語の中では「死んでもやっぱバイクに乗りたいもんねえ」とかいってしばらく乗せておいてやるという豪傑の女のこが、会話の中に出てきます。》

 ライダーたちは事故に鋭敏であろうから、当然事故の噂とともに幽霊も登場する。たくさん事故の起こった場所で、ライダー仲間に幽霊の噂が伝えられても不思議ではないだろう。この話の舞台も「峠」であり、異界との境界という設定にあてはまる。死んでもバイクに未練がある幽霊というあたりは、いかにもライダーの噂としてふさわしい。

 なにやら得体の知れないものが並走してくるというのは、それ自体で不気味なものである。電車にも並走する幽霊譚がある。

『幽霊電車のおかっぱ少女』
《 社内の、埼玉の大学に通っていた女性の話。東武伊勢崎線の上りの最終電車に乗ると、荒川を渡るあたりで並行して走るJRの幽霊電車とすれ違うそうです。そのJRの幽霊電車におかっぱ頭の少女が乗っているとのこと。最終電車に乗るときは、そちらを見ないようにしていたとか。》

 高速道の自動車やバイクほどには事故への不安は感じないにしても、電車というのはまったくあなたまかせに乗っているよりしようがないものである。走行している電車からはかってに降りるわけにはいかないし、ある種の閉所に閉じこめられたような不安もある。そしてまた、ほとんど見ず知らずの多数の人々が、これほど身近に接する機会もかつてはなかったであろう。そのような都会生活の不安が、電車内では集約的にあらわれてくる。

 満員電車内での痴漢が「悪さをする妖怪」だとすれば、終電車のがらんとした雰囲気の中ではまた別の妖怪が現れる。なんの悪さをしないでもその存在自体が不気味な妖怪が、この場合の「おかっぱ頭の少女」に相当する。

 噂に出てくる老婆とならんで、「少女」というのも分析にあたいする。少女という概念が成熟した女性との対極にあるとすれば、処女性・霊性といったシャーマンに近接したイメージも描ける。また、少年(男の子)が将来においてそれなりの社会的機能を想定されやすいのに比較して、未確定性の不安もはらんでいる。この幽霊電車に、坊ちゃん刈りの少年が乗っていてもさほど怖くはないのである。

 この幽霊電車の出現する場所が「荒川を渡るあたり」という、境界上に位置するということも指摘しておいて、つぎにうつろう。

<消えるタクシー客>
 いわゆる「タクシーから消える女性客」という噂が、いくつもある。共通項は、行き先が水に関係する場所であったりシートの座っていた跡が濡れていたりと、水と縁が深いことであろうか。「水と美女」については、後章で独立して取りあげる予定である。ここでは、現代伝説とタクシーの関連を中心に考えてみよう。

『消えるタクシー客』
《 「バックミラー」でまたひとつ記憶が...(^^;。タクシーの運転手さんから聞いたのかなー、どうも定かでないですが。夜、街を流していて、影の薄い感じの女性を拾って乗せた。ふと、ミラーをみると、後部座席にいるはずの女性がミラーに映らない。ギョッして振り向くと、確かに女性はシートに静かに座っている。
 降ろしたあとで後部座席を調べると、座ってた辺りがジットリと濡れていたとか。たんに「おもらし」しただけだろう、という説もありましたが(^^;。》

 この種の噂は消えた幽霊が発生源でないかぎり、当のタクシー運転手からでてきた可能性が強いと考えられる。タクシードライバーは一日のうちに何人もの見知らぬ客を乗せる。人相の悪い客に、深夜もの寂しい行き先をつげられた場合などには、タクシー強盗の恐怖にかられることもあるだろう。乗り逃げされた経験も一度や二度はあるはずである。そんな不安感がタクシー伝説の土壌となっているとおもわれる。

 強盗や乗り逃げにあえばそれはもう噂の次元ではないが、実害はなくても気味の悪い女性を乗せた場合などは仲間内で噂を交換しあうことになるだろう。そういった状況から噂が発酵してくる可能性が考えられる。見知らぬ他人と身近に接するという不安が現代都市生活の基調にあるとするならば、タクシーという密室で幾多の他人と遭遇するタクシードライバーは、現代人の不安を代行する語り部のひとりであろう。

 「消える女性客」は、もちろん「境界」に位置するトンネルにも出現する。

『K音坂にまつわる噂』
《 その坂のトンネルの入口に,西から東に向いていくと,女が出てきて<市場>(近くの地名)につれていけというそうだ。大体,タクシーか,白い車に出るのだそうで,いなくなったあとは,シートが水浸しだそうだ。その坂の下に池があるので,そこに誰か自殺でもしているのではないかと,水抜きをして調べるが,なにもでなかった。わしも,ムシロを持って,見にいったことがある。真夜中から,朝までまっていたが,なにもでなかった。》

 突然道ばたに現れれるという点からは、伝統妖怪の山姥(やまんば)や産女(うぶめ)などとの関連も考えられる。宮田登著『妖怪の民俗学(*1)』によると、山姥はいろいろと悪さをする鬼婆や鬼女の系列と、出産時に里に現れ村人に手助けを求めるという産女の系列があるようである。後者の「産女」は、妊娠中に死んだ女性の霊が胎児だけは助けたいとの一念からこの世にあらわれ、旅人たちに子を託して去ってゆくという形をとるものが多い。もちろん産女も、道の辻や橋といった境界と見なせる場所に多く出現する。

 産女には出産という生と死にまつわる怨念が強く感じられるが、「消える女性客」の話からは生への執念はほとんど読みとれない。産女伝説が消える女性客の噂の母胎となっていると仮定すると、そこから出産という生命現象が欠落してしまうところに後者の現代伝説性をみることもできよう。血脈の維持を重視する母性よりも、「個」としての女性が主題として浮上しているのである。とすれば、その個としての存在の痕跡が「シートに残された水」だけだというのも、なにやら現代的な意味を詮索する要がありそうである。

 産女に似た話で、舞台が海べりになると「濡れ女」や「磯女」の伝説がある。そして「消える女性客」にも海岸版がある。

『越前海岸の怪』
《 私は,仕事の加減で,仕入に武生によく行くのですが,そこの仕入先のご主人からきいた話。
 越前海岸を夜走っていて,ふと,バックミラーを見ると,見知らぬ女性が後部シートに座っている。あわてて後を振返ると,誰もいない。おりてシートを点検してみるとしっとり濡れている。但し,この女性は,地元の人の車にしか出現しない。
 また,越前海岸では,ひとりで夜釣りをしている人が,海からの呼ぶ声に引きこまれるという事故が頻繁に起こっているそうで,私も,そんな話をいろいろきいてからは,恐くなって,一人で夜釣りに行くのは,やめにした。》

 前掲著によると、濡れ女系の伝説には産女とは異なり、「牛鬼」という人に祟る妖怪がセットで出てくることが多いという。また磯女の叫び声が、聞いた人の躯を硬直させるといった説話もあるらしい。引用の後半などは、タクシー伝説と濡れ女・磯女系列の伝説が重ねあわされ混交されている例ともいえよう。ギリシャ神話「サイレン」を思いおこさせる話でもある。

 「消える女性客」の話も、それが語られる年代や土地柄と結びついて独自の色あいをみせる。

『斉宮村の消える娘』
《 きょうも、母から聞き出した話です。
 遊女の顔の話と同じく、昭和十年代頃の伊勢で、子供たちが耳にしたり、話したりしていたものだそうです。

 伊勢の櫛田川と宮川の間、王朝文学によく出てくる斉宮が在ったとされる斉宮(さいくう)村の、金剛坂というところにきれいな娘さんが住んでいました。この娘さんは体が弱く病気がちだったそうですが、ある夜、タクシーで帰宅した娘さんは、お金を払う段になって「持ち合わせがないので取りに行ってくるから待っていてほしい」と運転手に言い残して、家の中に入っていきました。
 ところが、待てども、待てども、娘さんは戻ってきません。業を煮やして運転手の方から屋敷に入っていくと、呼ばれて出てきた家人は、事情を聞いて驚き顔。「何かの間違いではないか、娘は数日前に亡くなったのだが…」と運転手に告げました。狐につままれたような面持ちの運転手が、車に戻ってみると、娘さんがいた座席は、ちゃんと人が座っていたように凹んでいたとか…。》

 昭和十年代頃といえば、タクシーはけっして庶民の乗り物とはいえないだろう。ある程度裕福な家庭の若い娘という設定が、聞き手の願望をくすぐる。また「斉宮」という土地の響きからは、娘の処女性をも想起させる。タクシー伝説にでてくる女性はほとんどが影のうすい女性であり、妊娠や性のにおいを感じさせない処女性をただよわせている。どう考えても、山姥や産女系列の怨念とはなじまない要素をかかえているのである。

 もうひとつ、京都の深泥池にもタクシー伝説が報告されているが、これは池にまつわる古来の伝説が深くかかわっているようなので、後段の「水と美女」の項にゆずることになる。

(*1)『妖怪の民俗学』宮田登 著(岩波書店「同時代ライブラリー」1990)

<つれ去られる話>

『八王子の白いローレル』

《 別冊宝島92「うわさの本」に書いてあるやつです。(うわさの宝庫ですね)
女子がナンパされて車で奥多摩の山中に連れていかれて、バリカンで丸坊主にされるそうです。》

 端的に出典が明示されているように、前掲書『うわさの本』でくわしく取りあげられている噂である。ここでは筆者の佐伯修により、八王寺という都市のもつ位相空間が精緻に分析されている。栗本慎一郎を思わせる「都市の光と闇」という視点も興味深いが、とりわけ八王寺市のもつボーダー性という指摘に注目しておきたい。

 膨張しつづける東京首都圏は、ここ八王寺にきて西部に広がる関東山地にせき止められる。まさに「光の都市東京」の終端に位置するのである。そのような境界の街において、車の高速移動性は異界と往来するトランスポートマシンの性格を存分に発揮するであろう。

 同じ投稿の続きで、神戸六甲山の噂もあげられている。

『六甲おろし』
《 六甲に深夜ドライブに行き、夜景を見ながら
「おい、やらせろよ」
「いやよ」
「じゃあ、ここで降りてもらうぞ」
 女は降ろされると、辺りの暴走族に回されるので、それではかなわんということで、しぶしぶ同意する。...その後、運悪く妊娠  つまりこれが本当の「六甲おろし」》

 「六甲おろし」という駄洒落はおくとしても、六甲山から神戸の街の夜景を見おろせばこの山系のもつ境界性は即座に感知されるだろう。「光の街神戸」は、六甲山系により決定的に北部への進展をせき止められている。ここでも、境界と車という舞台装置が中心的な役割をしめていることはいうまでもない。

 「カー・ナンパ」というのは、見知らぬ男女がインスタントな交遊関係をとり結ぶ現代若者の性風俗のひとつである。声をかけられる女性の側からすれば、未知のスリルと不安を同時にあじわう瞬間でもあろう。そして、車でどこかへ連れていかれる。

 この種の「つれ去られる話」の不安には、現実の誘拐事件の記憶が背景にあるとも考えられる。ベレー帽をかぶった芸術家を自称する犯人が、白いスポーツカーで若い女性を誘惑した連続誘拐殺人事件は、今でも記憶に生々しい。事件を知っている者は、「白いローレル」という言葉から即座に当時の記憶をよみがえらせることであろう。

 自動車が普及する前までは、子供たちは夕方おそくまで道端で遊ぶのが常であった。そのころ親たちは、「早くかえらないと、人さらいにつれ去られるよ」といって子供たちをおびやかしたものである。場合によっては「サーカス団に売り飛ばされる」という言葉がつけ加えられることもある。ふるくには「神隠し」という伝承の記憶もある。そのような意識の底に沈潜した記憶が「つれ去られる話」のリアリティにかぶせられているともいえよう。

 境界に位置する場所柄と高速移動する車をからませれば、即座に「異界」は出現する。その異界は、街はずれのモーテル群といった「光の空間」である場合もあれば、ほうり出される山中という「闇の空間」であったりする場合もある。そして、その意志決定はナンパするオニーチャンやオジサンの側にゆだねられている。彼らは、ときによると悪さをする現代の妖怪にたとえられるであろう。もちろん、魅力ある妖怪に出くわすスリルをあじわいたいという若い女性の側の心理も、カー・ナンパという現代風俗をささえているのではある。

Ⅻ【現代伝説考】Ⅱ.現代カー伝説02「妖しげな事故」

 Ⅱ.現代カー伝説02「妖しげな事故」


『首チョンパ・ソアラ』
《 サンルーフが開くようになった乗用車などがはじめて出てきた頃、バブルの盛り上りが顕著になり出した頃、ソアラという500万を上回るトヨタの車種が若者の憧れだったのですが(漠然とした記憶ですので、間違いがあるかも)、なんと30万で中古車があるといううわさが流れたことがあります。

 いわく、「首チョンパ・ソアラ」。そうです。デート中、サンルーフから彼女が首を出したら、垂れ下がっていた看板に頭をぶつけ、取れてしまったのです。事故後、夜になるとバックミラーに血まみれの女の顔が……。そんなクルマでよかったら、30万であるというのです……。》

 ソアラというのはバブル景気時代を象徴するような国産高級車であり、話しの担い手であろう若者たちの願望をくすぐる。そのような高級車が、尋常では考えられない安い値段で売られているというのはいかにも胡散くさい。当然なにやらいわくがありそうである。そしてじつは、サンルーフという天窓から顔をだしていた女性の首がぶっ飛ばされたという、ショッキングな出来事があったという。さらには、ミラーに血まみれの女性の顔がうかぶという怪談風のオマケまでついている。

 かっこいい高級車という潜在的な願望に訴えかけながら、首がちょん切れるといった生理的な恐怖が重ねあわされている。このような恐怖と願望の重ねあわせが、伝説の基本的な構成要素であろう。それにさらに、多少冷笑的な滑稽味がつけ加わえられるところが現代伝説のひとつの特長でもあろうと考えられる。「ミラーに映る血まみれの顔」というのは、伝統的な幽霊譚を踏襲するために付加された尾ひれと見なしてもよかろう。

 首がちょん切れる話はバイクライダー伝説にもある。

『首なしライダー』
《 所在不明の首のないライダー篇というのは、夜中に対向車がこっちに向かって走ってくるが、すれ違いざまこちらのライトの中で見えた相手には首がなく、振り向くと誰もいないというやつ。》

 ここでは「首のないライダー」という異形が恐怖の主題となっているが、それに「強調」や「同化」という連続伝達のなかでの噂の変容過程が重ねられるとつぎのような話へと展開される。ここでいう「強調」とは話の一部分がより印象づよく変形されることであり、「同化」とは合理的な説明が付加されていくことである。つぎの投稿における「ピアノ線による首チョンパ」は前者であり、聞き手の目に事件が印象づけられる。そして「首なしライダーの正体」の明示は、後者の合理的な説明に相当する。

『首なしライダーの真実』
《 ある県で、深夜、首なしライダーが出るという噂が立ったことがあります。その前にグループ同士の抗争に絡んでピアノ線を使って相手の首をチョンパした事件があったとかなかったとか、で、首なしライダーの正体はあっさり割れて「脊椎に障害がある人(俗にセムシと呼ばれるタイプ)」が夜のお散歩をしていただけでした。》

 もちろんこの噂話では、「身障者の滑稽化」という差別要素をも指摘しておかなければならない。噂の差別性について若干付言すれば、噂そのものが「異者の排除」という隠された主題をはらむ以上、噂から差別性を抜き去ることは不可能に近いであろう。公言できない差別性が噂という形で陰で語られるという意味では、噂は人間のもつ暗部をつねに引きずっている。そして噂の分析とは、そのような暗部をも視野に入れることによって可能であろう。ここでの文脈においてはそのような差別性は一旦留保して、「恐怖の滑稽化」という現代伝説の一般的傾向に着目しておこうとおもう。

 「語り」という時間的経過の中で共同性を想起させるのが伝統的な昔語りの一要素であるが、上記のような現代伝説はそのような時間の共有や共同性をほとんど含んでいない。伝統的な社会のように話し手と聞き手が、共通の時間と空間を共有するような生活背景はすでになく、噂を伝えあうその場とその瞬間のみが現代伝説の接点となっている。

 となれば、瞬時の生理感覚に訴えるような恐怖と、話題そのものへの冷笑といった感性の共有だけが際だってくる。おどろおどろしい怨念譚よりも、瞬間的な刺激と滑稽が現代伝説で好まれる由縁であろうか。

 瞬間的な生理感覚にもっとも訴えやすいものには、視覚イメージがある。五感の中でも現代人にもっとも突出しているのは視覚であり、それには映画やテレビの画像も大きく寄与しているであろう。その関連を指摘した投稿もあった。

『映画の首チョンパ・シーン』
《 思いつくままに記せば、『オーメン』における、荷台に積載されていたガラス板が荷崩れをおこし、横を通っていた男の首を切り落とすというシーンは「首チョンパ」や「首無しライダー」などのイメージを視覚化し増幅したものと思われます。》

 恐怖の滑稽化といえば、次のように滑稽そのものを狙いとした噂もある。

『追突されたカー・カップルの惨』
《 よくできた話。公園計画の人から聞いたと思う。
 横浜で、岸壁に車を止めて、フェラ何とかをやっていたカップルがいた。その車に、ぶつかって逃げた車があった。乗っていた男女のうち、男は出血多量で死に、女は喉につまったものがあり窒息死した。》

 自動車以外に、電車もわれわれが身近に利用する乗り物である。電車を待っているときなど、ふと「ホームから落ちたら……」と不安を感じることがある。

『ホームから落ちた女の子の目』
《 ある日のこと、一人の若い女性が駅のホームで電車を待っていました。数分後,電車は定刻通りホームに入ってきた。そのとき、彼女の目の前で、ちょうど自分と同じ歳かっこうの女の子が、眩暈でも起こしたのか線路へ転落してしまったのです。

 すぐに気が戻ってその子はホームへ這い上がろうとするけれど、もう電車は目前に迫り、周りの人々にもなすすべもない。まさに電車が彼女の上を通り過ぎようとするその直前、半身をホームに乗り出した女の子と、それを凍りついたように見守る女性の目が合った。と、その瞬間彼女に彼女はあることを叫びました。さて、その女の子は何と言って叫んだのでしょう? というのがクイズ。クイズというには余りに悪趣味なクイズです。で、その答えは……、 「見ないで!」

 今から10年近く前、皆で飲んでるときに一年下の男から聞いたハナシです。答えの絶妙なコワさに、学生どもは飲み屋の座敷を転げ回って怖がったのですが、その後とんと聞きません。》

 これも、瞬間的な恐怖が題材になっている。視線があうというところで、その場の凝縮した情景が切り取られたように視覚化される。しかもその恐怖のただ中におかれた少女の発する言葉が、助けを求めるのではなく「見ないで!」というところがかえって不思議なリアリティを感じさせる。目のあったホームの女性のほうにも、そのまま少女の恐怖が転移してくるかのようである。

 ホームの女性に感情移入している聞き手にも、同じく恐怖が伝わってくるであろう。と同時に、いささか位相のずれた少女の言葉は滑稽感をも感じさせる。部外者の立場にいるわれわれ聞き手には、突きはなした滑稽感を感じとる余地も残されているからである。このような純粋な恐怖の物語の中にも、現代伝説の滑稽化傾向がまぎれこんでいる。

 もうひとつ電車での話題。これもいかにもありそうな話で、しかも生理感覚に直接うったえかけてくる。

『電車の戸袋で赤ちゃんの手がグチャグチャ』
《 東横線の車内でのことなんです。いつものように混み合う車輌のドア際に若いお母さんが赤ちゃんをオンブし、背中をドアのほうへ向けて立っていました。電車は次の駅へ近づくとスピードを落としながらガタゴト揺れて、ホームへ入って来ました。ドアが開いてみんな昇り降りしていきました。いつまでもお母さんはドアを背にしていたんですが、幾度目かのドアが開いたときに赤ちゃんの手がスルスルとドアの戸袋の奥へすい込まれてしまいました。

 しかしお母さんはぜんぜん気がつきませんでした。ホームにベルが鳴り響きドアが閉まり始めてからようやく傍らの人がそれに気づき、お母さんに教えました。あわてて駅の人に助けを求め、赤ちゃんの手をみんなで引っ張って抜きましたが、グチャグチャになっていました。 という話を走行中の東横線の車内で聞いたんですが、本当ですか?》

 この話題に触発されて、つぎのような笑話が投稿された。恐怖から滑稽へという、現代伝説の流れをものがたる状況証拠のひとつといえるかも知れない。

『電車のドアにリーゼント挟まれる』
《 ええと、赤ちゃんが挟まれるというのがありましたよね。あれの類話です。と言っても笑える話ですが。
 私の中学・高校生時分というのは、リーゼント等のトサカやヒサシが充実した「つっぱり」(苦笑)というおにいちゃんが多数生息していました。で、そういうおにいちゃんの話です。路線や区間は、忘れてしまいました。私は高校時代東急線沿線でぶいぶいいわして(嘘)ましたから、案外赤ちゃんが挟まれたという東横線かも知れませんね。

 たいそう立派なヒサシ頭のつっぱりが電車に乗り、ホームの友達とドアのところで二言三言話していてドアが閉まりました。駅のホームの都合でそちら側のドアは以降暫くの区間開かないのですね。そのつっぱりは、どういうわけかドアに顔を密着させて乗っていて、よく見ると見事に自慢のヒサシを挟まれていましたとさ。
 これに、気づいた他の乗客がクスクス笑って、おにいちゃんが「何見てんだよ!」とドアに顔を密着させたまま怒鳴る、というおまけがついている場合がありました。結構当時はポピュラーな噂でした。》

Ⅻ【現代伝説考】Ⅱ.現代カー伝説01「事故と霊」

 現代社会にかかせない文明の利器といえばまず自動車があげられる。自動車の特性はいうまでもなく高速な移動を可能にした点であるが、噂の生成という観点からはその密室性をはずすわけにはいかない。「異空間伝説」の章でもふれたように、現代伝説と密室性は重要な接点をもっていると考えられる。

 自動車のもつ密室性が噂を発酵させるとすれば、その高速移動性は現代カー伝説にさらなる今日性をつけくわえる役割をはたす。伝統世界の住人にとって、山や川といった自然の境界に仕切られた異界との往来はさほどたやすいことではなかった。ところが自動車の高速移動性は、瞬時にして人々を異界へと運んでいってしまう。かつての妖怪が異界からのメッセンジャーだとすると、現代の自動車は即座に異界とつないでしまうタイムマシンと想定してもよいだろう。われわれは自動車という密室空間に入った瞬間、すでに異界に接する環境に居るのだといえよう。

Ⅱ.現代カー伝説01「事故と霊」


 高速に移動すれば、当然事故も頻発するし事故死者もでる。となれば、事故と霊にまつわる噂が多いのはうなずけることである。事故多発地点には、かならずなにかが「でる」。

『事故多発地点での白い霊』
《 おまけですが、当時、私の通っていた大学の演劇部によく顔を出していた、フリーターをしている演劇部OBの男性は、霊視能力を持っていると自分で言っていた。自動車を運転して、あるみつ辻にさしかかると、白いなにかが立っていて、おいでおいでするのが見えるらしい。そこは事故多発地点であるそうだ。》

 もうすこし生々しい体験談の報告もある。

『事故多発交差点で目撃!』
《 ここは出合いがしらの激突がとても多い場所です。深夜では相当なスピードを出してぶつかるので、死者も多いのです。5年ほど前だったか、深夜4時頃あった事故は、4人乗ってたクルマの乗員全員がスピードのだしすぎで即死したのです。180k出ていたのでは?、という話です。花束がたえません。
 何しろ、救急車までが追突されて走れなくなり、かわりの救急車がリレーした、という、面白い事故まで起こりました。(3年ほど前?)

 わたしの友人は、深夜12時、バイトの帰りにそこを通ったのです。バイクでR127を下っていました。下り勾配なのでスピードが出ます。前を何台か乗用車が走っていました。
 事故の多い八重原の交差点に近付いてきた時、突然、横断歩道に人影が見え、あぶない!!と思った瞬間、なんとその人はクルマにはね飛ばされ、3m近く舞い上がり、マクドナルドの前の歩道に叩きつけられるように落下しました。
 ああぁ、なんてことだろう!!。
 そう思いながら現場に接近していき、歩道の方を見てゾーっとしました。死体が無いのです。確かに歩道に落下したのを見たのです。他のクルマも、何ごともなかったかのようにそこを通過します。自分もそのまま通過したのですが、ふるえだしたからだはどうしようもなく、寒気がするので次の信号を右に曲がった角に7ー11があるので、そこに入ったそうです。

 とにかく怖くて怖くて、人のそばにいたかったのだそうです。本を売ってるコーナーで立ち読みしている振りをしながら、なるべく店員のいる方へ、また、他のお客が来たら、なるべくちかくににじり寄る様にして、震えが止まるまで、そうしていたそうです。2時間くらい出れなかったといってました。》

 事故死者の幽霊がでるのとは逆に、もともとその土地にまつわる因縁があって、それで事故がおこりやすいという流れの噂も多い。

『北海道開発強制労働者の霊と事故』
《 帯広の知人から聞いた話なのですが、近所の農家に夜な夜な出て、何故出るのかと問いただすと、道路際の農地の所を指し示すので、後日そこを掘ると、足枷をしたままの人骨が出たということでした。これは、北海道の幹線道路が開拓使による囚人の強制労働によって開かれた、という事情と関係があるようです。最近、頻繁に帯広周辺で発見されているそうです。
 そして、北海道で自動車事故が多発する原因として、この囚人労働のことが理由として噂されているようです。過酷な労働(足枷をし、鉄玉を付けたまま労働させたということです)によって死んだ強制労働の囚人の躯は、そのまま道端に放置されたということですし、脱走囚人も多くは死に果てたということです。》

 暗闇を高速で走っている場合などちょっとした錯覚もおこりやすく、それが幽霊を見たという話につながりやすいということも考えられる。その場所が特異な空間であればなおのこと噂になりやすいであろう。

『伊勢参道の幽霊』
《 三重県伊勢市内の、山田(外宮の周辺)と宇治(内宮周辺)を結ぶお伊勢参道(国道23号かそのバイパス?駅伝のコースになっているところです)は幽霊を見たという話が多い。
 「科学的」従兄の解釈では、沿道に等間隔でたっている石の灯籠が、ちょうど車のライトにあたって、幽霊みたような影を落とすからじゃないかとのこと…。》

 日本人にとって伊勢神宮というのが、特別な意味をもつ霊的空間であることはいうまでもない。それがさらに「内宮」と「外宮」とを結ぶ参道ともなると、なにやら先にのべた内と外の「境界」という観点とも結びついてくる。同様の境界性は峠やトンネルについてもいえよう。

『高速道トンネルの自転車』
《 私の経験では,北陸自動車道で富山まで行き,その日の帰り7時ごろだったと思いますが,敦賀を抜けたトンネルの出口あたりに,どうしても,自転車がはしっているように見えてしかたのないことがありました。疲れからくる<離人症体験>であると思いこむことにしましたが,,,》

 バイク事故と霊の話もたくさんある。二輪車での走行では事故を身近に感じやすいであろうし、またちょっとしたミスが悲惨な事故にもつながりやすい。そういったバイクライダー仲間たちは独特の噂空間をつくっているようで、オリジナリティのあるライダー伝説が語りつがれる。

『バイク事故跡の路面から血が滲みでる』
《 あとはまー、死亡事故現場でいつまでたっても路面の割れ目から血がにじみ出てきてそこを走るライダーを転倒させあの世にひきずりこもうとする、とかいうやつなんかもいろいろありますが、いずれも出典はわかりません。バイク雑誌で読んだやつかもしれないし、ライダー同士の宴会の席で出たネタかもしれないし、マスツーリング先での夜中、酔っ払っての百物語(というほどまともなものではない(=^_^;=))で出た話だったかもしれません(血がにじみ出てくるやつなんてのは単に雨の日にコケたやつが死者に責任をなすりつけようとしているのかもしらん(=^_^;=))。》

Ⅻ【現代伝説考】Ⅰ.異空間伝説08「二次元空間」

Ⅰ.異空間伝説08「二次元空間」


<鏡の中>
 この章の最後でとりあげるのが「平面の世界」である。なかでも鏡は、古来より神秘的なものとして崇められてきた。写真や映画のなかった時代には、そっくり自分の姿かたちを写すものはおそらく鏡しかなかったであろう。自分と同じ姿が映るのは考えてみれば不思議なことである。そして、自分の分身がすぐそばの鏡の中にいるというのは、不気味でもある。

『真夜中の鏡の中の世界』
《 【鏡】の話です。「真夜中の12時に鏡を覗くと、○○が見える・・・」というパターンの噂話です。わたしが知っているのは、以下の3つです。いずれも小学校で聞いた噂だったと記憶しています。鏡を覗く時の条件は、「灯りを消す」または「蝋燭の光で見る」です。
 1)「真夜中の12時に鏡を覗くと、『未来の自分の姿』が見える」
 2)「     〃        『霊(幽霊・もしくは自分の守護霊)が見える」
 3)「     〃        『自分の頭に角(ツノ)が生えている』のが見える」
 あと、「真夜中の12時に鏡を両手に持って合わせ鏡にしていると、片方の鏡面からもう一方の鏡面に向かって小人(もしくは小鬼)が走ってゆくのを見ることができる」というのも聞いたことがあります。》

 鏡の向こうには、もうひとつ別の世界がある。そして、その二つの世界は鏡によって仕切られている。この話では、鏡のもつ境界性がキーワードではないかと考えられる。深夜の12時というのも、日にちが変わる時間上の境界である。そのような「境界」を通すことによって、未来の自分が見えたり日常では目につかない霊や角が見えたりする。

 そして、そのような別々の空間を自由に行き来する特殊な存在として、ここでは「小人(小鬼)」がいる。日常世界と異空間の境界にあわられるものというと妖怪などが思い浮かべられるが、ここでは小人がそのような妖怪の位置にあるといえよう。

『合わせ鏡の無限世界』
《 「合わせ鏡」はある程度大きな鏡でやれば、鏡の中の世界に向かって無限に映像が繰り返されてゆく感じになりますからなかなか神秘的(不気味?)ですね。私が某オカルト雑誌で読んだ読者手記はこんな話でした。
 「『夜中12時に合わせ鏡をすると悪魔が見える』という話を聞いた僕は、それを試してみることにした。蝋燭を灯して12時に合わせ鏡をすると、不気味な男が映り、僕は気を失った。それから見る鏡すべてにその男が映るようになり、時々笑い声さえ聞こえる」》

 合わせ鏡ともなると、二つの世界がさらに複合されて無限世界が現出する。有限存在である人間にとっては、無限な世界とはなにやら不安をひきおこすものであろう。そのような不安が、悪魔や不気味な男をひきよせてもおかしくはない。

 このような「そっくり同じ二つの世界」という想像は、鏡などから触発されて古来からあったようである。

『黄帝が鏡に閉じこめた世界』
《 中国の黄帝にまつわる逸話で、ある日、黄帝が軍隊を連れて道を歩いていたら、向こうから、黄帝そっくりの一行が近づいてきた。黄帝が「お前達は何者だ」と問うと、相手は「われこそが本物の黄帝である」と答えます。そこでお互いが、自分達のほうこそが本物だと言い張って譲らず、とうとうそこで戦いが始まってしまいました。
 最後に黄帝は、この正体不明の軍隊を打ち負かし、鏡の中の世界に閉じこめてしまいます。以後彼らは、こちら側(わたし達の世界)の人間の、一挙一動を真似なければならなくなった・・・というお話を、何かの本で読んだ覚えがあります。(渋澤龍彦さんの本だったかな(^_^?)》

 そっくり同じ世界の住人どうしは、かならずしも親和性をもっているとはいえない。この話のように、両者が出くわすとなんらかの闘争がおこる。お互いにとって相手は自分のアイデンティティを侵略する存在なのであるから、これはむしろ当然のことかもしれない。そして、いずれかが他方を拘束し支配していないと、それこそそれぞれが別個の行動をする不条理の世界となってしまう。こうやって、世界の一元性を回復するためには黄帝のような霊力をもった存在が要請される。

 日常のわれわれは、自分の存在が自立的であり鏡はそれを忠実に映しているだけだと思っている。しかし、鏡像に映る世界のほうが自立的であり、われわれの日常世界はそれを模倣しているだけだとしたら……。黄帝のような霊力がないわれわれ凡人は、鏡像の分身に支配され拘束されている可能性も考えられるではないか。

 鏡ではないが、模写された自分が現実の自分を規定するという主題は、オスカー・ワイルドの小説『ドリアン・グレイの肖像画』などにも描き出されている。そのような分身といえば、影法師もよく似た役割をする。

『写真と影の世界』
《 それに、自分の分身にまつわる怪異としては影に関するものも古くからありますね。「影が薄くなる、影の一部が映らなくなると死期が近い」という俗信(最近では「手、足が写真に写ってないと事故にあう」なんていう心霊写真の解説もありますね)、影と話しているうちに主客が入れ替わる小説「影法師」、「三歩下がって師の影踏まず」、etc.自分の分身(ドッペルゲンゲル)を見たという体験談も今だに雑誌などでよく見ます。》

 今回の投稿には出てこなかったが、この引用にあるように「心霊写真」なども現代における分身の恐怖と不安を反映したものといえるであろう。古来からの鏡像世界への不安が、現代伝説に転化すると次のような恐怖の物語ともなる。

『鏡に閉じ込められて』
《 鏡の怪談と言えば、こんなのもあります。
 「1989年5月17日、フランスのダル夫妻が夕食に出かける準備をしていた。妻カトリーヌが化粧や着替えをするのを夫ジョージが待っていると、突然妻の悲鳴が聞こえた。駆け付けてみると、妻が鏡の中から恐怖に顔をひきつらせて、もがいており、警官も来たがなす術もなく、やがて妻の姿は見えなくなってしまった。
 超心理学者カレイ博士によると、同様の例はフランスで17世紀に2件起こっている」#南部正人「事実は不思議よりも奇なり」(学研)
 ちなみに、この事件の発生地とされるのがオルレアン!。》

 この説話では、あきらかに鏡の中の世界がはっきりと密室性をもって登場してくる。だれの声も届かない密室に閉じこめられてしまう恐怖、それは現代人の心の奥にひそむ不安であり、現代伝説の大きな主題となるであろう。

<ブラウン管の向こう>
 鏡以外に、われわれにもっとも身近にある平面画像の世界というとテレビであろう。閉じられた屋内とまったく別世界とを、目に見えない電波がつないでいる。テレビのブラウン管は、まさに茶の間と異界をつなぐ境界にある平面なのである。その異界から、ときたま得体の知れないメッセージが送られてくる。

『ブラウン管の中の怪』
《 これも小生が小学生の頃聞いた話なのですが、TVの空きチャンネル(当地では2とか5、7、9、11など)を見続けていると、ザーという映像が突然消えて、番組表には載っていない番組が始まる、という話が広まりました。エッチな映像ではないか、などと言う訳知り顔のマセたクラスメイトもおりましたが、ニュースだったという話も伝わって、夜中ずっと砂の嵐の中の怪映像を探し続けたことがありました。結局は、その映像を見ることもなく、眠ってしまったのですが。》

 最後にもうひとつテレビ世界の話題。

『ドラエモンの最終回?』
《 先日TVで「サザエさんの最終回の噂」なるものをやっていたそうですが、私は、「ドラエモンの最終回の噂」が出回った、と聞いた事があります。2年前、広島の知人からなのですが、その時聞いた2つの最終回のパターンのうち、(1つは忘れてしまった)覚えている方を紹介しますと…
 ある朝、のび太が目を覚ますと、そこは病院で、お母さんが心配そうに覗き込んでいる。「のび太ちゃん、あなたは交通事故で、ずーっと意識不明だったのよ」「お母さん、ドラエモンは?」「一体何を言ってるの?」「じゃあ、あれはみんな夢だったのかぁ…」 場面がかわってのび太の部屋、ボロボロになった人形(ドラエモン型)が部屋の隅に転がっている。 …というものです。
広島の小学生の間で、当時、流行っている、と聞きました。》

 話題の素材が「どらえもん」というのも興味深い。異次元の世界とこちらの世界を自由に行き来するどらえもんは、異界との往来ができる現代の妖怪とも想定することができる。現代っ子にも受け入れられるように修正された、愛敬のある妖怪であろう。

 番組の最終回というのも、ある意味では境界を画する隠喩ととらえることができる。そして、最終回ではのび太の夢の世界の出来事となって彼は現世だけの世界に連れ戻される。やはり現代社会では、どらえもんのようなコーディネイトされた妖怪でさえ存在しづらいのかもしれない。

 ブラウン管・最終回・どらえもん・夢という、4つもの異界と日常性をつなぐ媒介が重ね合わされているところがおもしろい。それらの媒介の「むこう」と「こちら」で、はたしていずれがリアリティをもつ世界であろうか。

 伝統世界で妖怪や異者により表象された異界は、明瞭に「内」と「外」が区分できる場所であり、それを排除することにより「内」の世界はより確固たる世界になる。異界の住人たる妖怪どもは、いったん内に招き入れられあらためて排除されるためのトリックスターでもあろう。共同体内部を活性化し、より強固に維持するための儀式のために異人たちは活用される。

 しかし、そのように活性化し維持すべき共同体がもはや失われているとすれば……。そのような状況で、内と外はつねに反転する危機をはらんだあやうい世界となってしまう。ブラウン管のこちらとあちら、どらえもんの物語とわれわれの日常生活と、はたしていずれに現実性があるかはもはや明瞭には画定しがたい。われわれの現代都市空間は、いくつもある異空間の相対的なひとつであるにすぎなくなっているかもしれないのである。

Ⅻ【現代伝説考】Ⅰ.異空間伝説07「密室の世界」

Ⅰ.異空間伝説07「密室の世界」


<民家・アパート>

 一般の住居にも怪異にまつわる話はたくさんある。借家・アパートなどで、あらたに移り住んだところ霊がいたという流れの話が多いようだ。

『二階の部屋にモノの気配』

《 秋田市銀の町の家
 妹夫婦が,秋田に転勤して,たってから少したっている家を借り生活するようになった年,私と娘Y子,で,その家にあそびに行ったときです。夜ねることになって,Y子は2階の3間続きの一番奥の部屋に寝ることになったのですが,<この部屋に,何か居る>と言いだしました。妹の子供もいぜんから同じことを感じてその部屋はつかわれていない部屋だったのだそうです。

 翌年,妹夫婦が,私の家にあそびにきたとき,その話をきいたら<あれはいつのまにかいなくなった>ということで,今は普通になったそうです。

以上2話 40才ぐらいの女性》

 この種の霊はだれにでも感じとれるというものではなく、とくに霊に敏感な人にだけわかるようである。つぎの例もそうである。

『新居アパートの魑魅魍魎』
《 私の友人が一昨年の暮れ、結婚しました。で、新居となるアパートにいよいよ引っ越しの当日、手伝いに行った私の目に飛び込んできたのは、その男が従兄弟の女子高生といっしょに、部屋のあちこちに生米と塩を盛っている姿でした。
「おまえ……、何やってんの?」
「いやー、それが……。このアパートは魑魅魍魎の巣だ!」
 結婚式より一足先に実家を引き払い、彼はすでに独りでアパートに居たのですが、「何かこのアパートにいると、猛烈に頭が痛くなる」のだそうです。おまけに、夜寝ていると、耳元で何やら女の声が喋り続けていて眠れないのだとか。そこで彼も考えました。「こりゃ、もしかして、“いる”のでは?」
 もともと彼の家系は霊感の強い人間が出ていて、中でもこの日来ていた従兄弟の女の子は、その素質が強く受け継がれているそうです。そこで彼女を連れてきてみたところ、部屋に入るなり第一声が「お兄ちゃん(彼のこと)、これすごいわぁ!」だったそうです。》

 人に憑くのが幽霊、特定の場所にあらわれるのが妖怪という分類にしたがうと後者になるのであろうが、いずれにしても一種の地縛霊と考えられる。伝統的な地縛霊は、その場所にまつわる因縁があってあらわれるのであり、当事者にもその理由がわかるのが普通である。しかしながら移動のはげしい現代では、その霊に遭遇した人にも由縁がわからないままに終わることが多い。

 したがって、土地に縛り付けられた怨霊を特別に慰霊するといった物語には発展することなく、なにげなく消えていったり、あるいは居住者のほうが引っ越してしまうことになる。住民と地縛霊の葛藤というよりは、居住者と霊が簡単にすれ違っていくあたりが現代的であるといえようか。

 出現する幽霊のほうにも、なにがしか現代的な孤独の陰がさしているような事例をあげてみよう。とくに祟るというわけでもなく、ただ現れてまた消えていくというだけの奇妙な話である。

『椅子に座った老婦人の幽霊』
《 5年ほど前、ある有名レコード会社の若いディレクターと、真夜中にタクシーに乗っていたとき、聞いた話です。
 彼の友人の住んでいるアパートの部屋には、毎晩だったか、ある決まった日だったか、とにかく深夜の同じ時刻になると、椅子に座った老婦人の幽霊が現れるんだそうです。
 その幽霊の出現のしかたがまた変わっていて、その時刻になると、部屋の一角に小さな点のような大きさになって現れてきて、それが次第に拡大して普通の人間の大きさになるんだそうです。そして、暫くそのままじーっとしていて、またある時刻になると次第に縮小していき、消えてしまうのだそうです。》

<事業所関連>
 会社や各種の事業所も、日中は活気にあふれているが深夜ともなるとひと気のない密室と化する。深夜のがらんとした密室を想像すると、そこになんらかの怪異現象があっても不思議ではないであろう。

『深夜の会社の笑い声』
《 東京のサラリ−マンが、夜中に酔ったあげくにじぶんの会社に電話したところ、笑い声がきこえたのでびっくりし、翌日しらべてみたら、そんなにおそくまで残業した人間はひとりもいなかった、ということです。》

 おなじく、ひと気のないはずのところで怪しげな作業がおこなわれているという笑談をひとつ。

『倉庫で煎餅ぺろり』
《 【草加煎餅の作り方】
 埼玉県草加市は、煎餅で有名な所であるが、その煎餅の製造過程についての噂。
 「普通の煎餅やごま煎餅は、工場から出荷するのだが、海苔のついた煎餅だけは、工場からもうひとつ別の場所を経由する。そこは大きな倉庫で、薄暗い倉庫内に草加中の老婆が集められている。老婆は、片手に醤油煎餅を、片手に海苔を持ち...煎餅をぺろりと一舐めしては海苔を貼り付けるのだ」
 これは、「噂話」というより、「こういう噂が流布している」という「噂」なのかも知れない。或は、人面犬とか口裂け女とかの噂がマスコミで取り上げられて行った中での誰かの「創作」かも知れないとも思える。若手の漫才芸人あたりが作りそうなお話だからだ。この「噂」は5年ほど前に友人とのバカ話の中で聞いたもの。》

 噂の中での老婆の役割には特異なところがある。男の老人がどちらかというと枯れていく傾向にあるのとくらべて、老婆という存在は一種独特の生気をはらんでいる。そのような老婆の生臭さと、ひと気のない倉庫との対比がこの噂のエッセンスであろうか。かつての伝説から現代伝説にいたるまで、老婆というキャラクターのもつ生命力だけは健在であるようにおもわれる。

 その他事業所関連の噂では、一連の就職面接の話題が集まった。就職面接の会場というのもある種の密室性をもっている。その場にいるのは面接官と受験者だけである。そのような閉じられた場所でくりひろげられる両者のやりとりが、おもしろおかしく噂としてながされてくる。二つほど投稿を紹介しておこう。

『就職面接で1』
《 1カ月くらい前の『週刊文春』の「ニュース足報」に、就職のこぼれ話がありました。
 いわく、近年の就職難でみんなあの手この手のアピールをする。前に、CMソングを面接で歌った学生が受かったらしい。で、去年、ある製菓メーカーを受けに行った学生が、なぜウチなの?という質問に、「CMソングでずっと馴染んでいました。(ここにオンプマークがあるつもり)チョッコレート、チョッコレート、チョコレエトは、……」と途中で詰まってしまった。受けていたのはライバル社だったからだ。

 こんなような話が書いてありました。続いて、マヨネーズを一気のみした奴とかも出ていました。マヨネーズは別として、この「チョッコレート」ネタは、私が就職活動をしている年にもありましたから、もう7年前にもすでに存在していました。当時はバブル黎明期で不況絡みの説明は入っていなかったんですが、たしか落ちたと聞いた記憶があります。

 就職関係の噂はかなりいろいろあるのではないかと思いますが、どうでしょう。あの「内定蹴りお茶かけられ事件」「内定蹴りお茶一気のみ事件」なども同じ類になるんでしょうかねえ。ちなみに、この熱いお茶を学生にかけた企業は、かのノルマ証券と聞いております。これは、内定蹴りをした学生が人事担当者から眼の前にあったお茶をかけられたという話があり、次に内定蹴りをした学生は、まず眼の前の熱いお茶を一気のみしてから内定を断ったという話です。これらは87年夏の時点ですでに語られていました。》

『就職面接で2』
《 「サッポロビールの面接で質問に一言も答えない奴が居て、怒った面接担当者が『何で何も言わないんだ!』と言うと、一言『男は黙ってサッポロビール』と答えて、採用になった」なんてのはそれこそ<伝説>として語り継がれていますよね。》


<ホテル・旅館>
 ホテルの個室というものも鍵ひとつでへだてられる究極の密室である。大都会の高層ホテルの一室で多数の人々が孤独な一夜をすごすとき、そこで「なにか」がおこる。そしてその部屋ではかつて自殺者がでている、というのがもっともありふれたホテル伝説であろう。

 また、ホテルの立地そのものの因縁にまつわる幽霊譚もある。

『ホテルの怪異』
《たしか去年(1993年)の話です。北海道の千歳のビジネスホテル。各自の部屋に荷物を置いた出張班一同が、ふたたびロビーに集まった時の会話です。
 「僕の部屋、なんか窓の枠が真っ赤にふちどってあって、『開けないでください』って書いてあるんですよね。高層でもないのにヘンなの」
 「え、オレんとこもだよ!」
 「あ、私の部屋もそうです」
 ここで一同ピーンときました。何しろ一年の半分以上を出張している人たちですから、その辺の勘も磨かれています。値段も千歳界隈では格安なのに、建物も新しい。さらに「開けないでください」の窓枠……。「これは」とひらめいた彼らは、フロント氏に尋ねました。
 「ここ、出るんでしょ?」
 「……出ます」
 あっさりと負けを認めたフロント氏によると、以前ホテルの外には墓地があり、ホテルの建設に伴って廃止されたか移転したそうです。しかしその後も妖気だか霊気は残り、夜な夜な宿泊客を脅えさせるのだそうです。
 「じゃ、われわれも困るじゃない!」
 「いえ、窓をしめている限りは、“気”が入ってこないので大丈夫なのです」
 「そんな馬鹿な!。毒ガスじゃあるまいし」
 これが“霊魂毒ガス説”というわけです。もちろん長野県松本市でサリン事件が起こるずっと前の話です。

 この話には続きがあります。仕事の都合で一足遅れてやってきた、A係長が着いたのは深夜近く。他の班員はもう寝ています。酒好きの係長は、あらかじめ外でしこたま飲んできて、ご機嫌でベッドに入りました。
 翌朝です。他の班員と朝食の席で合流した係長は言いました。
 「いやあ、昨夜は飲み過ぎたか変な夢みちゃったよ。オレの葬式の夢なんだ」
一同は顔を見合わせました。あ、やーっぱり……。
 「はあ、ところで係長、部屋の窓開けました?」
 酒飲みはまた、一種の暑がりでもあります。係長は部屋に入ると、ぱあっと空気の入替えをしたのだそうです。案の定。
 「かくかくしかじかで、赤いペンキの枠、気がつきませんでした?」 「ん〜、飲んでたからな……」
 フロント氏のコメントによれば、たぶんその係長さんは、霊感とかそういうセンシティビティが弱い方なんでしょう、とのこと。
 「ですから、ご自分のお葬式の夢程度でお済みになったんでしょうね」》

 おなじ投稿の続きでこちらは旅館の幽霊話。

『旅館の逆さ幽霊』
《 さらにこの友人から聞いた、出張がらみ怪談。これはいつの話だか知りません。“課内で伝わってる”というレベルらしい。場所は確か四国の宿だと思いました。
 例によって旅の宿に泊まっていた出張班、今回は地方とて旅館だったそうです。A課長だけは個室に寝ていましたが、深夜、誰かが入口の障子をノックする。開けてみると誰もいない。それが繰り返される。こいつは若手の班員が、酔っぱらってオレをからかっとるな。とっちめてやらにゃ。課長は障子の際で待ち構え、次のノックと同時に開け放って、叫びました。
 「コラッ!」
 長い廊下をあわてて逃げていく影を、課長は追いました。なかなか素早い相手は、広い旅館の敷地を、庭のすみにある離れの方に走っていきます。その離れの中に隠れたのを見届けた課長。ついに追い詰めたと見て、離れの引き戸を「コラッ!」といいざま開けた目の前に、上から女の顔が下がってきたとか……。
 課長は翌朝、その離れの前で気絶しているのを発見されたそうです。》

 多くの見しらぬ他人が替わるがわる宿泊するホテルや旅館には、幾多の噂が発生する。これは身近にすれ違いながらなんの情報もない他人に対する不安が、都会人の心理にひそんでいるところからくるようにおもわれる。

 いきずりの男女が一夜をともにするようなとき、もっとも身近にふれいあいながら相手に対する情報がまったく欠落しているという皮肉な状況がおこる。つぎのものは、アメリカを起源とする典型的な現代伝説と言えよう。

『ルージュの伝言』
《 これは、女をナンパしてすることして、翌朝起きると女が消えていて、トイレの鏡に口紅で『AIDSの世界にようこそ』と書いてあった(--;)、という超有名な話です。アメリカ原産なんだそうですが。これ、身近で聞く限り、あんまり食らったって話はなくて、『○○子(面識のない奴)が、(ぴぃ)なので頭に来て、やったって言ってた』とか『知り合い(女性)でいたずら半分(??)にやった奴がいる』というパターンに変わっているようですね。何故だろ??》


<百貨店>
 都会の高層建築物への潜在的な不安も多い。不特定多数の出入りする高層建築物は、一旦火災などの災害がおこると瞬時にして地獄と化する。都内赤坂の某ホテルの火災による惨事はいまでも記憶になまなましい。赤坂という場所は、四谷・青山などと並んで江戸期以来の心霊スポットといわれているだけあって、いまでもたくさんの噂がながされているようである。

 ホテル以上に多くの人間がつめ込まれている百貨店でも、いくつか悲惨な火災がおこった。当然その跡地にも幽霊伝説は語られている。

『火事場跡の幽霊譚』
《 火事により死傷者が沢山出た都内某ホテル跡地に、出るという話がありました。大阪千日ビル(でしたっけ?)も、やはり火事で死傷者が沢山出たところですが、ここも出るという話がありましたよね。熊本の某デパートの火事の話は、すでに以前ご報告されていましたが、熊本出身の同僚に聞きますと、知っておりました。このデパートの後日譚として、デパートを再開する際、デパート名を『火の国デパート(!)』にしようとしたのだが、さすがに縁起が悪いということで現在の名になった、ということでした。》

 この「千日前」という土地にまつわる過去の因縁もフォローされた。

『千日前と幽霊』
《 らくだという噺があります。らくだと言われる男が死に、その兄貴分と、たまたま行きあわせた故紙回収業者が、葬式を行うという噺です。さて、二人は飲んだ後、死体を火葬場、当時の言い方だと「火屋か火家か、とにかくヒヤ」に運びますが、途中で漬物屋から脅し取った桶から死体を落としてしまい、代わりに酔っぱらって寝ていた神主か坊主を入れて、ヒヤに持って行き、置いて行きます。
 さて、目を醒ました酔っぱらいは、火を付けに来た人にここはどこだと聞きます。「ここは千日のヒヤじゃ」、「ヒヤでもいいからもう一杯」というのがサゲです。つまり、千日前には昔から火葬場があって、千日デパートの火事がある前から、人が焼かれていたのです。ですから、千日前に幽霊が出るのは、火災のせいとばかりは言えません。》

 混雑時の地下街や百貨店にいると、ふと災害時の不安にかられることがある。そのような心理から派生するとおもわれる噂もある。

『T百貨店は崩れやすい』
《 京都の中心部にあるT百貨店は、戦前に途中まで作って、戦後に継ぎ足している。エスカレーターをつける時に梁も抜いている。だから構造的に弱く、地震が来たら、真っ先に崩れる。》


Ⅻ【現代伝説考】Ⅰ.異空間伝説06「異国・異界・境界」

Ⅰ.異空間伝説06「異国・異界・境界」


<外国>
 『試着室ダルマ』のところでふれたが、主人公の若い女性はヨーロッパなどの都市の試着室からつれ去られ、東南アジアやアラブ世界などの第三世界でダルマとなって発見されることが多い。ここで、われわれ日本人が抱く「外国」には、対称的な二つのイメージがあるのが容易に想像される。

 明治維新以来尊敬と模倣の対象としてきたエキゾチックな西欧世界と、一方ではわれわれがそこからの脱出を目指した遅れて野蛮な第三世界。もちろんこれは正しい事実認識ではないが、「脱亜入欧」のスローガン以来われわれの意識に沈潜している「二つの外国」イメージであることは間違いない。

 うら若い女性が手足をもがれた悲惨な姿にされるという落差とともに、あこがれの対象である西欧から妖しげな第三世界へ売り飛ばされるという、噂の舞台のもつイメージの落差も物語の印象に寄与しているといえよう。『オルレアンのうわさ』の登場するユダヤ人が特殊な意味をもたされているのと同じように、物語の本筋にひそませるかたちで無自覚な差別意識に訴えかけるような舞台装置が仕組まれている。

 このような「あやしげな外国」のもつ意味を指摘した投稿を引用して、その投稿者の見解に賛意をしめしておこう。

『怪しく怖い外国』
《 ドイツのフォークロアにも「海外旅行で妻子が行方不明になる」「病院で臓器を抜き取られる」といった「だるま」の類話の一群があります。これらの舞台は、あちらではトルコ、モロッコなんですよね。
   日本 −− 東南アジア(含・香港)
   欧州 −− 近東、アフリカ
   (米国 −− 中南米)
といった「身近だか何か怪しい、怖い外国」の対応関係があるような気がします。》

 かつての伝統社会での伝説では、自分たちと異なった生活文化・風土をもつ人々が異人や妖怪として排除の物語に組み込まれることが多かったが、世界のグローバル化とともに「あやしげな外国人」が第二の異人とされる可能性も増大していくのであろうか。

 国民性、文化風土のちがいが下敷きになった噂を、二つほど紹介してみよう。

『香港で食べられたペット犬』
《 そうそう、電子レンジに猫といえば、「イギリスから香港にペットの犬を送ったら『おいしくいただきました』と、お礼状が返ってきた」というのも、「伝説」なんでしょうか。》

『インドネシアのラード』
《 1〜2年前、インドネシアの回教徒の間で、某食品メーカーの製品に、ラード(豚の脂)が使用されているという噂が立ちましたね。回教徒が大多数を占める国のことですから、インスタント食品であっても、パッケージにはおそらく「ハラル済み」マークが入っていたのではないかと思います。不買運動が起きたり、何かと大騒ぎになり(ああ! どういう騒動が起きたか忘れてしまいました)、とうとうイスラムの高位者がテレビ出演して、そのメーカーの食品を食べてみせ、「安全性」を保証する、というオチがつく事件でした。
 このメーカーというのがご存じの通り華僑経営で、一連の噂は常日頃からの華僑への反感が作り上げたもの、というのが当時のマスコミなどの見解でした。
 このころ、「市場の食品にラードを入れる女性がいる」という別な噂も流れ、誤解を受けてけがをさせられた若い女性の記事を読んだこともあります。》

<異界>
 日本国内でも、特殊な場所やその住民を噂の素材にしたものがある。もちろん、この手の噂には差別意識を土台にしたものが多く、その取扱いには慎重を期さなければならない。今回の試みでは、パソコン・ネットという開かれた場なので、露骨に差別的な噂は遠慮されたかとおもわれる。しかし、その種の噂が影で根づよくかたられているのも事実であろう。となれば、噂と差別の切り離しがたい関係にメスをいれるのも大きな主題となる。

 次の投稿はその種の噂だとおもわれる。ことの性格上、投稿者もかなり慎重に扱っているので引用してもゆるされるであろう。

『当たられやすい土地』
《 私が,当地に引っ越してきて,衝撃だった<噂>です。これは,今でも生きています。
 私の家から,A地内をとおって,B地に通じている道があります。その道を走るときはA地内では,最徐行しなくてはなりません。いつなんどき人があたりにくるか解らないからです。あたられたら,ひと身上なくなるからです。
 この,20年間に,この道の,この部分で,事故は起こってないようですが,そういえば,例の<当たりやグループ>ファックスのときにも,車にのっているのは,ここの人だといわれていました。40才ぐらいから上の人は,ほとんど知っているようです。表立って言われることはありませんが,,,》

 北海道や沖縄がその歴史的経緯から、本土とは異なった特殊な異界として噂の舞台とされることもある。たとえば、簡単な笑い話のたぐいであるが。

『北海道の幽霊標識』
《 北海道には?の標識があって、意味は「幽霊が出るので注意」
 「クマが出る」は、私も見たことがありますが。》

 また東京都心のど真ん中、風俗化し無国籍化しつつある新宿歌舞伎町のような街も、異界として噂の恰好の舞台となる。

『歌舞伎町で目が合ったら香港に』
《 ある女子大生(話してくれた子の、例によって友達の友達)がたまたま夜の歌舞伎町を歩いていたら、一人のヤクザと目が合ってしまった。次に気が付いたとき、彼女は香港にいた。(10年前、女子大生)》

 無国籍化した街とあやしげな第三世界とが、闇の地下水路でつながっているかような想像をさせる噂である。

<トンネル・川>
 異人や妖怪が棲むと空想される世界を異界だとすると、それらのもっとも登場しやすい場所はわれわれの住む世界と異界のあいだにある「境界」であろう。それらの境界は、かつての伝統的な地域社会では国境などにある峠や川であったことが多い。したがって妖怪なども、そのような峠や川によくあらわれた。

 そのうちでも峠は、近年の道路整備などにともない多くがトンネルでバイパスされるようになった。とすれば、出没する妖怪・幽霊のたぐいもそのトンネルに移行していることが想像される。たしかにトンネルにまつわる現代伝説は、あちこちに多くみられるのである。

 トンネル伝説の中でも代表的なのが、バイク仲間でささやかれる幽霊の噂である。薄暗いトンネルの中の冷気に直接肌がふれるバイクのほうが、自動車よりも霊と遭遇しやすいということはうなずける。

『重くなる二人乗りシート』
《 徳島県のどこかのトンネル。夜中。原付で集団で走る高校生4、5人。トンネルの中で前を走るKの後ろに誰かが乗っている。誰か友達だろうと思ったが、次に見るといなくなっていた。
「おい、さっき誰乗せてた」と聞くと、
「ええ?おれずっと一人だ」とむきになって否定する。
「確かに誰か乗っていた」と重ねて主張すると青くなって、
「実はトンネル通ってからな、後ろの荷台重かったんだ。気のせいかと思ってたけど」》

 この種の自動車やバイクにまつわる噂は、つぎの『カー伝説』の章であらためて取りあげる。ほかにも二つほど、トンネルに出る幽霊の例をあげておこう。

『トンネルの幽霊』
《 幽霊がでるという場所
S賀県 K津大崎   いくつかあるトンネルの一つ
    H根市大君畑 旧さめトンネル内(?)
いずれも,たっているだけだが女の幽霊がでるという》

『トンネル(元峠)の幽霊』
《 山梨県でのお話です。私も詳しい場所は忘れてしまいましたが(むかし習ったのに(;_;))、太宰治が・・・には月見草がよく似合うなどと言ったというお茶屋さんの横のトンネルのなかで幽霊が出るそうです。友人の友人が俗に霊感が強いというような人で見えたそうです、その人はよくあそこにいるとか言うそうですが(^_^;)》

 峠やトンネルと並んで、川も境界とされやすい地形であろう。そして、その境界を往来する場所にはおもに橋がある。となれば、橋にまつわる噂が多いのも当然であろうか。

『嵐山渡月橋は振り返れない』
《 この「渡月橋」は「十三参り」に行くとき渡るので有名ですね。お参りで橋を渡るとき「絶対に振り向いてはいけない」という言い伝えがあります(親から聞いたような)。振り返ったらどうなるかは聞いた記憶がありません(だれか知らない?)。自分がお参りするときには振り返ってみてやろう、と企んでいたんですが、どうも連れて行ってもらえなかったようです(^^;。
 その後トシゴロになってからこの橋を渡るときには、ベッピンサンを見かけるたびに「振り返って」しまうのは、この時の怨念からでしょうか(^^)。》

 十三参りでは一般に「振り返ってはいけない」と言われるが、とくに橋で振り返れないとなると別の意味が付加されているのかもしれない。橋は境界のこちらからあちら側に渡っていくことになるから、境界を越えるときの特別な儀式としての意味あいを考えてみてもよいだろう。

 また、流されやすい橋のために人柱がたてられたという伝説も各地にあるだろう。

『錦帯橋の人柱』
《 たしか、岩国の錦帯橋の話だったと思いますが、この場所にかかっていた橋がすぐに流されてしまうので、通りかかった座頭を人柱にして橋をつくったとか、あるいはそれを止めさせるために、流されない構造の橋を考案したとか。》

 これらの橋にまつわる話しは、伝統的な噂の範疇に入れておいてもよいだろう。では峠がトンネルに移行したように、現代伝説としての橋はどのように変化したのだろうか。これはあくまでも仮説であるが、高速道路のような橋脚をもった建造物が「あらたな橋」として噂の素材となるかもしれない。あるいは車の流れを水とたとえれば、高速道路自体を境界をつくる「川」と見なしてもおかしくはないであろう。高速道路に出る妖怪の例をひとつあげる。

『高速並走老婆』
《 誰に聞いたか忘れましたが、北陸道の滋賀県と福井県の境あたりには、夜、高速で走る車に併走する老婆がいるそうです。もちろん老婆というのは高齢の女性で、何とかローバーの類ではありません。》

 最後に、噂ではなく創作の中の話ではあるが、川のもつ境界性を象徴するような逸話をあげてつぎの話題ににうつろうとおもう。

『土左衛門の押しつけあい』
《 つかこうへいの戯曲(そして小説も)に、こんな逸話が載っていたのを思い出しました。
 戸田橋付近(東京都と埼玉県の境界をなす荒川にかかる橋)に水死体が流れ着き、その死体を、警視庁と埼玉県警とが、竹竿で押し合って、相手方の事件にしようとする話なのですが。
 これを読んだ時には、大笑いしてしまいました。毎日、通勤で通っていることもあって、身近に感じられたからかも知れません。川上から流れ着いた土左衛門は、捜査も難しいのでしょう。まあ、お役所仕事で、面倒を回避したいという気質を風刺したものでしょうが。》

Ⅻ【現代伝説考】Ⅰ.異空間伝説05-3「縁切り伝説」

Ⅰ.異空間伝説05-3「縁切り伝説」


 この節で最後に取りあげるのが「縁切り伝説」のある特異空間である。その場所で男女カップルがデートをすると縁が切れるという噂であって、特にストーリーのある伝説というよりはほとんどジンクスに近いものである。まずは有名な井の頭公園の別れ伝説の紹介から。

『井の頭公園の縁切り伝説』
《 カップルでお参りしてはいけない場所 …ってゆーと、関東でメジャーなのは、通称「縁切り寺」だと思うのですが、バラバラ事件のあった(^_^;)井の頭公園の弁天様も、霊験あらたかだそうです。もともと弁天様は、未婚の女性の神様なので、夫婦や恋人が揃ってお参りすると嫉妬されるので、良くないとか?(だったら、全国の弁天さまに同じ逸話が有るのかな?)正しいお参りのしかたは、男女バラバラに、時間差をつけて行くのだそうです。》

 このほか投稿にあわられた場所をすべて羅列してみよう。

 東京井の頭公園弁天池・埼玉大宮公園のひょうたん池・東京ディズニーランド・津田梅子のお墓・関東の通称「縁切り寺」・京都嵐山の渡月橋・京都植物園・大阪万博公園エキスポランド・神戸ポートピアランド・名古屋東山公園「東山タワー」・太宰府天満宮・伊勢神宮

 どれもこれも各地の行楽観光の名所がずらりとならんでいる。若い男女がデートをする場所なのだから当然のことである。また、その多くのカップルがその後なんらかの理由で別れていくのも自然のながれであろう。とすれば、多くの観光名所に縁切り伝説があるのになんの不思議もない。

 しかしここでは、そのような噂の存在の合理的な理由をみつけるのが狙いではない。むしろ噂とは、しばしば非合理な状況から発生し伝播していくものである。またそのような非合理性にむけて、それなりの納得をあたえる役割をももっていることが多い。

 恋愛に終局があるのは事実だとしても、いままさに恋愛中のカップルにとって別れにおもいをむけるのは不合理なことだ。また恋愛そのものが多くの偶然によりはじまるのと同じく、両者とも納得のいくような別れがあるわけでもないだろう。これらはそもそも、恋愛そのもの自体にはらまれている偶然性であり非合理性であろう。

 とすれば、そのような偶然性に支配されている恋愛に、さまざまな占いやジンクスがともなっているのも不思議ではない。恋い占いに熱中する男女があれば、その一方で別れにささやかな理由づけをしてくれるジンクスも必要なのかもしれない。水の上に浮かぶ木の葉のような不安定な状況では、タロットカードの恋い占いに願いをかける少女もいるだろうし、弁天さまの嫉妬に別れの原因をみつけて苦笑する男の子がいてもおかしくはないであろう。

 投稿中で、別れ伝説を取りあげた資料も紹介された。

『縁切り場所アラカルト』
《 現代風俗研究会の年報『現代風俗'92 恋愛空間』で、岩井正也さんが「別離伝説のフォークロア」というのを書いておられます。カップルが別れるといわれる場所についての噂を、弁天さんなどの女の神様に起源を求めたりしていますが、おもしろいのは噂を集めたデータです。
 関西では嵐山・エキスポランド・ポートピアランドなど、東京近辺では井の頭公園・東京ディズニーランドなど、あと伊勢神宮などがあげられています。ボートがあるというのがキーになっているでのはという推理をされています。そこへいったときの救済方法についての噂もあるようです。各地の噂を集めたら、このジャンルだけでもおもしろいかもしれませんね。ご参考までに。(リブロポート 1991.11.30 発行 ISBN:484570686 / 2,474 円)》

 この資料にはまだ直接あたる機会がないが、ボートのある場所という指摘は興味深い。前にあげたジンクスのある場所をざっと見わたしても、ほとんどが水とむすびつけることができる。そして、その多くには遊覧用のボートがあるようだ。さきに恋愛心理を水にただよう木の葉にたとえてみたが、ボートそのものが木の葉と見なすこともできる。恋愛の不安定な心理状態とボートをむすびつけるのも、ひとつの視点ではなかろうかとおもう。

 ここでも水にたいする解釈が重要なポイントだとおもわれる。水の分析はあとの章の課題となるが、ここでは、海ではなく池・川といった陸水がほとんどであることを指摘しておこう。