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Ⅺ【おもいつき歳時記】04.【桃の節句と雛かざり】

【おもいつき歳時記】04.【桃の節句と雛かざり


 「桃の節句」は五節句の一つとされる。「五節句」とは、「人日・上巳・端午・七夕・重陽」の各節句で、かつて宮廷において「節会(せちえ)」と呼ばれる宴会が開かれたが、江戸時代に公的な行事・祝日として、この五節句が定められた。(中国由来の「二十四節気」とは異なる)

 「3月3日」は五節句の一つ「上巳の節句(じょうしのせっく)」にあたり、「桃の節句」とも呼ばれ、「雛祭り(ひなまつり)」として祝われる。雛祭りは女児の幸福を祈るために行われ、雛飾り、白酒、菱餅、桃の花などを飾ってにぎやかに祝う。


 今でも女の子のいる家庭では、「雛飾り」が祭られることが多い。雛飾りを並べる時に問題になるのが、男雛と女雛を左右いずれに並べるかである。ネットなどで画像を探してみると、おおむね男雛が左、女雛が右となっている。しかし京都など関西では、逆に向かって右に男雛がくるとされ、実はこれが本来の並びだという。

 古くから「左方上位」という考え方があり、たとえば律令官制で左大臣と右大臣では、左大臣が上位とされる。となれば帝と妃を模したとされる内裏雛でも、男性中心社会でしかも帝なのだから、当然左に男雛ということになる。ところがこの「左右」は、あくまで帝の位置から見てということになり、つまり内裏雛側からすれば、こちらから向かって右側が「左」ということになり、京都方式の向かって右に男雛がくるというのが正しいことになる。

 これは平安京の左京・右京も、左右が逆に見えるのと同じ理屈である。つまり帝が内裏で南面に向かって立ち、その左手側に位置するのを左京としたわけで、北を上とする現在の地図では逆になる。左近の桜・右近の橘というのも同じで、紫宸殿から南面される帝からする左右で、紫宸殿に向かって見れば左右逆になる。

 明治帝の御真影とされるものも、左側(つまり向かって右)に帝が来ている。ところが大正天皇以降では、これが逆になってくる。実は大正天皇の御真影の時から、西洋式に倣って並べたからだという。

 私が子供の時、奥の間の上に掲げてあった昭和天皇皇后の御真影も、かくのごとくであったと記憶している。そして令和の時代になっても、天皇・皇后は必ず同じ左右に並ばれることになっている。例えば御夫妻で海外を訪問されるとき、西洋の国王と妃と逆の並びだったら、違和感があるだろうかららしい。

 余談だが、京都五山の送り火で、東山にあるメインの大文字は別格としても、金閣寺裏山に、小さ目の「左大文字」というのがある。これに内裏雛と同じ原理を当てはめると「右大文字」になるはずではないかという疑問がわく。まあ地域の村民が、自分たちの祖先を送るために勝手に始めた山焼きが起源だというから、これは帝などの雲の上のお方とは関わりのないことなのかもしれない。

 さらに戯れごとになるが、ガッツ石松がテレビのクイズ番組に出て、「太陽はどちらから上る?」という問題に「左リッ!」と答えたというヨタ話がある。となれば、ガッツは常に南面を向いて立つという、帝と同じ思考回路をしているのであろうか(笑)