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XⅢ【記憶に残す昭和文化誌(戦後編)】08.テレビの普及と生活の変化
Ⅰ【文学コラム】37. 『小野小町と小町伝説について』(文学部レポート)
Ⅰ【文学コラム】37. 『小野小町と小町伝説について』(文学部レポート)
『小野小町と小町伝説について』(S47年度前期、国文学特殊講義レポート/23歳)
小野小町という名を聞いて、まず私の頭に浮ぶのは絶世の美女というイメージである。何々小町と言えば美女の代名詞となっており、いつの世の男性にとっても憧れの対象となった女人像であろう。そしてこの理想の女性像は、決して良妻賢母とか貞女の鏡といったもう一方の理想的女性像とは結びつかない。その結びつかないところが魅力の所以である、と私には思われる。小野小町という名は、世慣れた男をニタリと喜ばせ、純情な青年の心をときめかせるような魅力をもっているのである。そして、私の中のミーハー精神もまたその魅力に感応した、というわけだ。これが、ここで小野小町について愚考してみようとする動機である。
これは古今集仮名序に紀貫之が記している有名な一節である。古今集撰者としての貫之は、ここではもちろん小町の歌そのものについて述べているのであって、必ずしも容色について云々しているわけではあるまい。しかし素直な気持で読んでみると、どうしても小町は美女でなければならないというような響きが感じ取れないだろうか。「衣通姫」というのは、躯[からだ]の色が衣を通して光り輝くほど美しかったのでその名が付いたと言われているそうだから、この当時の美女の代名詞だったと解することができる。その衣通姫にたとえられる小野小町が、実のところ醜女であったということになれば、小町の歌そのものがグロテスクな様相を帯びてきて具合の悪いことになるのではないだろうか。また、「いはゞよきをうなの、なやめる所あるにゝたり」とある「よきをうな」とは、「美き女」という字を充てるのが適当な気がする。やはり小野小町という女性は、「美[よ]き女[をうな]」でなくてはいけないのである。
一方、小町の歌才については、貫之が六歌仙の一人に挙げているという事実だけで十分であろう。したがって、「才色兼備の女人」という小町のイメージが成立していたと推定してよいと思われる。多くの小町伝説が後世に語られるようになったその原動力を、私はこのイメージに求めたいと思う。それはまた、初めに書いた小野小町という名の持つ魅力として、現代の我々の空想力を刺激するのである。 種々の小町伝説が形成される原動力は想定された。次に問題となるのは、その原動力が展開していく方向を規定したものは何かということである。結論的に言うと、その方向付けに重要な作用をしたものとして、古今集その他に残されている小野小町自身の歌を挙げたい。要するに、才色兼備の女人というイメージを結んだ小野小町の魅力が原動力なり、彼女自身の歌がその展開を方向付けた、という乱暴な仮説を立ててみたわけである。 以上によって、このあと私に残された仕事は明らかになってきた。巷間に残されている種々の小町伝説なるものを、何らかの形で歌人小野小町の歌と結びつけてみせるという仕事である。ところが遺憾ながら、私にはその能力もないし根気もない。したがって、以下の文章は実証的研究とは程遠い出鱈目な考察となってくることと思われるので、その点は予め御了承いただきたいものです。 まず、小町の歌を手っ取り早く片づけてしまおう。と言っても、歌の出来栄えについては私に云々する資格がない。ここで問題とするのは、その内容についてである。さて、数少ない小町の歌を内容的に見ると、次のような三つの系統のものが見出せる。(B)我が身の容色の衰えを悔む歌。
(C)言い寄る男をうまく受け流す歌。
うたたねに恋しき人をみてしより 夢てふものは頼みそめてき
花の色は移りにけりないたづらに 我が身世にふるながめせしまに
あべのきよゆきの朝臣
つゝめども袖にたまらぬ白玉は 人をみぬめの涙なりけり
返し 小町
おろかなる波だぞ袖に玉はなす 我はせきあへずたぎつ瀬なれば
なお、この小町の返し歌については、抑制しえぬ激しい恋心を詠んだものとする説があるが、それではこのやり取りの妙味がなくなってしまう。ここはやはり、小町の機知が清行の戯れの求愛歌を、白々しい間の抜けたものにしてしまった、という所に解釈の焦点を置いておきたい。
以上に例として挙げた三つの歌からだけでも、小町と言う女人像が朧げに浮び上がってくる。試みにそれを考えてみよう。
何よりもまず、絶世の美女という但し書きがある。それだけでも、世の男性としては小町に対して好意的にならざるを得ない。花の色の衰えを悔むにしても、これが醜女であれば、何と浅ましい女だということになる。ところが絶世の美女ということになると発想の展開の仕方が、ぜんぜん異なってくる。容色だけにしか頼ることのできない女の性[さが]の哀しさ、という同情的な方向に考えが向いていくのである。
男を突っぱねるにしても、そこに機知の閃[ひらめ]きがあるだけに、決して非情な女とは映らない。その突っぱね方で、多少の冷酷さを感じさせる程きっぱりした調子であるいことで、むしろ第三者的立場に在る男にとっては痛快であり、よりいっそう魅力をつのらせるものである。
このような驕慢とも思える強さを示す女性が、いったん恋に身を置く立場に陥ると、夢をも頼みとするような弱々しい女に変貌する。この落差が、小町の読者たる男性諸氏を一挙に小町ファンに仕立て上げてしまう。少なくとも、多少ロマンティックな要素を持った男性であれば、まずはひとたまりもないであろう。あとは、各自の頭の中にある具体的な美女のイメージをそれに当てはめて、空想のおもむくままに楽しめばよいというわけである。
いづれにしても、空想の展開するのに十分な条件は整ったことになる。かくして、様々な空想を経て種々の小町伝説が流布することになったとしても、そこに不思議はないであろう。
今から、種々の小町伝説を取り上げて先に分類した歌と結びつける作業に移るわけであるか、残念なことに私の手元にはほとんど資料がない。たった一冊だけあることはあるのであるが、それが資料として利用するには甚だ心もとないものである。手の内を見せてしまうことになるが、ここでその唯一の資料、というよりも種本[たねほん]に近いものとして利用しようとする書物を紹介しておきます。
吉行淳之介著『小野小町』がそれである。これは、著者自身「戯作」と称する作品で、週刊誌上に連載された小説である。小説である以上、それを資料として用いるということ自体に問題があるのであって、そこから生じる誤りの責任は当然私の方にある。しかしまあ、そんな堅いことを言っても仕方がないので、この小説で取り上げられている伝説を引用させていただきます。なお、この小説における著者の解釈はすこぶる興味深いので、この点に関しても大いに頼らさせていただくことになります。
まず有名な、深草少将百夜通いの伝説を取り上げよう。言い寄る深草少将の心の誠を試みるため、小町が少将に百夜通いすることを課す、という噺である。この説話はかなりすんなりと、分類Cの系統の歌からくる小町につながる。この説話に於いては、小町は少将に惚れられた強い立場にあり、結局少将は百日目の晩に雪の中で倒れるという、悲劇とも喜劇ともつかない落ちになっている。
ところで、前出の吉行氏の小説の中では、藻之瀬[ものせ]二郎説なるものが紹介されている。著者吉行氏が古本屋で見つけた『小野小町』という書物の著者が藻之瀬二郎であり、その書物からの引用という形で吉行氏の小説に書き込まれているのが藻之瀬説である。その藻之瀬説に於いては、小町と少将のやり取りが、全く別の方向へすこぶる面白く展開されているのであるが、長くなるのでここでは省略せざるをえない。なお、この藻之瀬二郎とその著書なるものは、小説の中では明言されていないが吉行氏自身のでっちあげではないか、と私見する次第である。
次に取り上げるのは、いわゆる髑髏[どくろ]伝説なるものである。簡単に紹介すると、落魄窮死した小町の髑髏が行きすがりの旅人に語りかけ「秋風の吹くたびごとにあなめあなめ 小野とはいはじ薄[すすき]生ひけり」という歌を詠む、といった筋書きである。誰のものとも判別できない髑髏の眼窩から薄が生い出ているという荒涼たる風景は、容色の衰えを悔む分類Bの系統の歌を延長した線上にあり、しかもその最極点に位置するものであろう。 これに類似したもので落魄した小町の後日譚の系統の説話はかなり多くあるようである。なぜ絶世の美女であった小野小町が、このような老醜をさらす説話に登場しなくてはならなかったのか。これはかなり興味深い問題だと思われる。後世の仏教的無常観や儒教観が何らかの作用を及ぼした、ということは十分に考えられることである。しかしそれだけでは納得しきれないような要素が残るように思われる。私は次のように考えてみたい。小野小町は絶世の美女ということになっている。ありふれた平凡な男女にとっては、とうてい手の届かない位置にあるのである。そこで、これでは癪だから何とか自分たちのレベルにまで引きずり降ろしてやろう、いうことになる。つまり、「美人美人と言うけれど婆[ばばあ]になれば皆同じ」という糞リアリズム的発想へと行きつくのである。この発想が逆に働くと、最初から自分たちとは比較不可能な神様の位置にまつり上げてしまうことになる。その例が御伽草子に見られるようである。「小町草紙」という説話で、小町という色好みの遊女が実は如意輪観音の化身であった、という噺である。まるで古典落語の世界のような、荒唐無稽でユーモラスなこの噺は、私の好みに合いそうなので一度原文にあたってみたいと思っている。
最後に、分類Aに属する歌、つまり遂げられぬ想いを嘆く歌に結びつく伝説を取り上げようと思うのであるが、なかなか適当なのが見当たらない。やむを得ず、鎖陰伝説なるものに登場願うことになった。これは伝説というより俗説と呼ぶのが適当なもので、噺の筋書きも何もありはしない。要するに、小町は鎖陰であったという俗説である。鎖陰とは吉行氏の説明を引用させてもらうと、「要するに男性と交わることが不可能な陰部構造」ということが分かればよろしいとのことである。ちなみに、糸を通す穴のあいていない針を小町針と呼ぶのは、この俗説に由来するらしい。
想いが遂げられないで夢を頼みにしている歌など、フロイト流の分析でも用いれば何とか鎖陰伝説にこじつけられそうである。また、「想いが遂げられない」という意味を適当に解釈すれば、もっと直接的に結びついてしまう。しかしここで重要なのは、如何なる過程を経てこの俗説が形成されたのか、という問題である。この点については吉行氏の絶妙な解釈があり、私もその見解に賛成なのでここで簡単に紹介しておこう。
小野小町は絶世の美女であり、また歌才にも秀でていた。いわば、当時における才色兼備の大スタアであったのである。となるとファン気質としては、特定の人物にスタアを独占させないためには、女性としての肝心な部分を抹消してしまえ、ということになる。こういうプロセスで、小町の躯から局部が消え失せた。(もちろん、人々の観念上に於いてである)以上が吉行氏の解釈である。このようにして形成された俗説は、小町自身が詠んだ歌とも微妙に結びつけられて流布されていったのである。
いわゆる小町伝説として総称されているものは、必ずしも起源を歌人小野小町にもつものばかりではなく、全く異なった起源に発するものも多いということである。しかしながら、その区別が判然とせずに、小町伝説として小野小町に結びつけて伝えられてきたからには、やはりそれなりの結びつく要素があったからであろう。とすれば、その結びつきに視点をあてて、その糸をたぐってみるという作業にも、それなりの意味を与えることができる。そのような観点から、このレポートを書くに至った次第である。もっとも、かなりデタラメな作業ではありましたが……。
XⅢ【記憶に残す昭和文化誌(戦後編)】07.少年雑誌と漫画の世界
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また、大日本雄弁会では、小学生から中学生を中心読者とした少年雑誌「少年倶楽部」、義務教育を終えた層向けの大衆雑誌「キング」と、年齢階層別の雑誌展開を進めていく。さらに、少女向けの「少女世界」が創刊されるなど、少女雑誌というジャンルが分離していった。
1960年代になってテレビが普及する前には、少年少女月刊誌は、子どもたちにとって唯一のメディアであり、娯楽、遊びなどの情報すべてを提供していた。毎月の雑誌販売日ともなると、いちばんに書店に飛び込んで雑誌を買い、好みの連載漫画を真っ先に読むというあんばいで、厚紙と輪ゴムなどで作る組立て付録でさえ楽しみにした。
漫画中心になっていたが、読み物も、SFや推理、冒険もの等の小説は、挿絵たっぷりの絵物語風でまだ残っていたし、兵器やメカの図解、スポーツ情報、一口知識や笑い話、世界の謎といった少年向けの情報も提供された。それらの情報が、子供たちの遊びの流行を作り出していた。
『少年クラブ』 「月光仮面」(川内康範 作/桑田次郎 画)『冒険王』 「アラーの使者」(川内康範 作/九里一平 画)
『少年』 「鉄腕アトム」(手塚治虫)・「鉄人28号」(横山光輝)
『ぼくら』 「七色仮面」(川内康範 作/一峰大二 画)・「少年ジェット」(武内つなよし)
「まぽろし探偵」「月光仮面」「七色仮面」「少年ジェット」などは、テレビで実写ドラマ化され、人気の連続番組となった。「鉄腕アトム」や「鉄人28号」などのロボットものは、実写ドラマには無理があり、のちにアニメ化されてから大人気となった。テレビ番組でのキャストには、少女時代の吉永小百合、藤田弓子、山東昭子などがいた。
Ⅶ【サブカル関連コラム】16.【つげ義春の訃報】
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Ⅺ【おもいつき歳時記】06.【七夕】
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「端午の節句」(5月5日)は、男子の成長と健康を願い、鎧・兜・鯉のぼりなどを飾る日である。菖蒲を飾り、その強い香りで厄を払う「菖蒲の節句」とも呼ばれ、菖蒲湯に入る風習もあり、男子の将来の立身出世を祈る。
XⅢ【記憶に残す昭和文化誌(戦後編)】06.高度経済成長と大衆文化
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XⅢ【記憶に残す昭和文化誌(戦後編)】05.草創期のテレビ文化
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さすがに、テレビ受像機の中に人が入っていろいろ演じていると信ずるものはなかったとおもうが、テレビの醸し出すリアル感はすごいものであった。のちのカラーテレビでは、プロレス中継での流血画像を観て、ショック死した老人がいたというのが話題になった。









































