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Ⅶ【サブカル関連コラム】14.【わらべうた】

【サブカル関連コラム】14.【わらべうた】


 わらべ歌に興味をもって調べたことがある。これらには歴史的背景が沈潜していて、怖い歌が多い。

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「とおりゃんせ」

通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して くだしゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
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 なぜ「行きはよいよい 帰りはこわい」のか、歌って遊びながらも、子供ごころに意味はまったく分からなかった。調べると、このわらべ歌は江戸時代から歌い継がれていて、「関所」を通り抜ける過去の記憶が沈潜しているという。つまり「とおりゃんせ」は関所抜けの話で、二度と故郷に帰れないといった恐怖が込められているという解釈がある。

 遊び方は、二人の子供が向かい合って立ち、両手をつないで上にあげ関所をつくり、他の子供たちが歌に合わせて手の下をくぐっていく。歌の終わりで関所役の子供らがさっと手を下ろし、そこで捕まった子が今度は関所役と交代する。

 イギリスにも「ロンドン橋落ちた」という童謡があり、同じような遊び方をする。この童謡は「マザーグース」にも収録されていて、ロンドン橋が何度も落下して何百人もが死んだという、実際の恐ろしい出来事が背景にある。
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「はないちもんめ」


かってうれしい花いちもんめ
まけてくやしい花いちもんめ
たんす長持ちどの子が欲しい

あの子が欲しい
あの子じゃわからん
〇〇ちゃんがほしい
〇〇ちゃんがほしい

相談しよう そうしよう
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 「花いちもんめ」は日本の古い童謡・わらべ歌で、こども遊びで歌われる。

 2組に分かれて向かい合い手をつなぐ。交互に前後に行き来し、前に進んだ側が「〇〇ちゃんがほしい」と、相手側から引き抜きたい子を告げる。歌の区切りでじゃんけんして、勝ったチームが相手チームからひとり引き抜くという遊び。

 「花いちもんめ」とは、花売りが花を一匁(当時の銀の重さ)で売り買いする話とされているが、一方で、「花」は若い女性を指し、女の子が「人買い」に買われていくという哀しい風習を表しているという解釈もある。
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「かごめかごめ」


かごめかごめ
かごの中の鳥は
いついつ出やる

夜明けのばんに
つるとかめが滑った
うしろの正面だ~れ
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 鬼役の子が目を隠して中央に座り、その周りを他の子が輪になって歌を歌いながら回る。歌が終わった時に、鬼は自分の真後ろ(つまり後ろの正面)に誰がいるのかを当てる。

 「かごめかごめ」は、暗がりで繰り広げられる不思議な儀式と、「夜明けのばんにつるとかめが滑った」という意味不明な不気味な歌詞によって、さまざまな解釈がある。挙げだしたら切りがないが、その不気味さを暗示するような話を取り上げてみる。

 「籠目」とは竹で編まれた籠の編み目であり、籠目の形は「六芒星」という三角形を上下に絡み合わせた文様で、西洋では「ダビデの星」として有名。さらに角の一つ少ない「五芒星」は、陰陽師 安倍晴明が用いて、陰陽五行説に基づくともいわれる。

 そして、「かごめかごめ」は罪人が運ばれる「唐丸篭」の「籠目」であり、刑場へ運ばれて行く様子を歌ったとされる。「つるとかめが滑った」は、まったく別次元の意味不明な言葉で、罪人の首が切り落される瞬間を象徴したのかもしれない。で、「うしろの正面だぁれ?」となると、そこには首切り役人が刀を振り上げてるわけだ(笑)
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 これらのわらべ歌は、それに連動する子供遊びとともに歌われる。子供たちは、このような歴史的背景などまったく知らず、無邪気に楽しげに歌い遊ぶ。しかしその背景にある暗い歴史は、なんとなく感じ取っているのかもしれない。

Ⅰ【文学コラム】36.風に吹かれて(自動生成おちゃらけ文)

【文学コラム】36.風に吹かれて(自動生成おちゃらけ文)


#この文章は下記のサイトを利用して、スクリプトによって自動生成されたものです。
http://www.pandora.nu/pha/tools/spam/harukin.php (消失している)

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『村上春樹風にノーベル文学賞について語る』(おちゃらけ擬文)

 完璧なノーベル文学賞などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。
 六月にデートした女の子とはまるで話があわなかった。
 僕が南極について話している時、彼女はノーベル文学賞のことを考えていた。
 ノーベル文学賞の目的は自己表現にあるのではなく、自己変革にある。
エゴの拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある。

 「ね、ここにいる人たちがみんなマスターベーションしているわけ? シコシコッって?」と緑は寮の建物を見上げながら言った。
 「たぶんね」
 「男の人ってノーベル文学賞のこと考えながらあれやるわけ?」
 「まあそうだろうね」と僕は言った。「株式相場とか動詞の活用とかスエズ運河のことを考えながらマスターベーションする男はまあいないだろうね。まあだいたいはノーベル文学賞のことを考えながらやっているんじゃないかな」
 「スエズ運河?」
 「たとえば、だよ」
 「ノーベル文学賞?」と僕は聞いた。
 「知らなかったの?」
 「いや、知らなかった」
 「馬鹿みたい。見ればわかるじゃない」とユキは言った。
 「彼にその趣味があるかは知らないけど、あれはとにかくノーベル文学賞よ。完璧に。二〇〇パーセント」


 僕が三番目に寝た女の子は、僕のペニスのことを「あなたのノーベル文学賞」と呼んだ。
 そして今日でもなお、日本人のノーベル文学賞に対する意識はおそろしく低い。
 要するに、歴史的に見てノーベル文学賞が生活のレベルで日本人に関わったことは一度もなかったんだ。
 ノーベル文学賞は国家レベルで米国から日本に輸入され、育成され、そして見捨てられた。それがノーベル文学賞だ。
 ノーベル文学賞は盲のいるかみたいにそっとやってきた。
 「それはそれ、これはこれ」である。
 冷たいようだけど、地震は地震、野球は野球である。
ボートはボート、ファックはファック、ノーベル文学賞はノーベル文学賞である。
 「どうせノーベル文学賞の話だろう」とためしに僕は言ってみた。
言うべきではなかったのだ。受話器が氷河のように冷たくなった。
 「なぜ知ってるんだ?」と相棒が言った。
とにかく、そのようにしてノーベル文学賞をめぐる冒険が始まった。


 「君の着るものは何でも好きだし、君のやることも言うことも歩き方も酔っ払い方も、なんでも好きだよ」
 「本当にこのままでいいの?」
 「どう変えればいいかわからないから、そのままでいいよ」
 「どれくらい私のこと好き?」と緑が訊いた。
 「世界中のノーベル文学賞がみんな溶けて、バターになってしまうくらい好きだ」と僕は答えた。
 「ふうん」と緑は少し満足したように言った。「もう一度抱いてくれる?」
 僕はなんだか自分がノーベル文学賞にでもなってしまったような気がしたものだった。
誰も僕を責めるわけではないし、誰も僕を憎んでいるわけではない。
 それでもみんなは僕を避け、どこかで偶然顔をあわせてももっともらしい理由を見つけてはすぐに姿を消すようになった。

 「僕はね、ち、ち、ノーベル文学賞の勉強してるんだよ」と最初に会ったとき、彼は僕にそう言った。
 「ノーベル文学賞が好きなの?」と僕は訊いてみた。
 「うん、大学を出たら国土地理院に入ってさ、ち、ち、ノーベル文学賞を作るんだ」
 ノーベル文学賞には優れた点が二つある。
まずセックス・シーンの無いこと、それから一人も人が死なないことだ。
放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。
他人とうまくやっていくというのはむずかしい。
 ノーベル文学賞か何かになって一生寝転んで暮らせたらどんなに素敵だろうと時々考える。
 「ずっと昔からノーベル文学賞はあったの?」
 僕は肯いた。
 「うん、昔からあった。子供の頃から。
 僕はそのことをずっと感じつづけていたよ。そこには何かがあるんだって。
 でもそれがノーベル文学賞というきちんとした形になったのは、それほど前のことじゃない。
 ノーベル文学賞は少しずつ形を定めて、その住んでいる世界の形を定めてきたんだ。
 僕が年をとるにつれてね。何故だろう? 僕にもわからない。
 たぶんそうする必要があったからだろうね」

 その夜、フリオ・イグレシアスは一二六回も『ビギン・ザ・ビギン』を唄った。
 私もフリオ・イグレシアスは嫌いなほうだが、幸いなことにノーベル文学賞ほどではない。
 「それから君のフェラチオすごかったよ」
 直子は少し赤くなって、にっこり微笑んだ。
 「ノーベル文学賞もそう言ってたわ」
 「僕とノーベル文学賞とは意見とか趣味とかがよくあうんだ」
と僕は言って、そして笑った。
 彼女は少しずつノーベル文学賞の話ができるようになっていた。

 泣いたのは本当に久し振りだった。
 でもね、いいかい、君に同情して泣いたわけじゃないんだ。
 僕の言いたいのはこういうことなんだ。一度しか言わないからよく聞いておいてくれよ。

 僕は・ノーベル文学賞が・好きだ。
 あと10年も経って、この番組や僕のかけたレコードや、
 そして僕のことを覚えていてくれたら、僕のいま言ったことも思い出してくれ。

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『村上春樹氏、村上春樹について語る』(戯文2)

 完璧な村上春樹などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。
 六月にデートした女の子とはまるで話があわなかった。
 僕が南極について話している時、彼女は村上春樹のことを考えていた。
 村上春樹の目的は自己表現にあるのではなく、自己変革にある。
 エゴの拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある。

 「ね、ここにいる人たちがみんなマスターベーションしているわけ? シコシコッって?」と緑は寮の建物を見上げながら言った。
 「たぶんね」
 「男の人って村上春樹のこと考えながらあれやるわけ?」
 「まあそうだろうね」と僕は言った。
 「株式相場とか動詞の活用とかスエズ運河のことを考えながらマスターベーションする男はまあいないだろうね。まあだいたいは村上春樹のことを考えながらやっているんじゃないかな」
 「スエズ運河?」
 「たとえば、だよ」
 
 「村上春樹?」と僕は聞いた。
 「知らなかったの?」
 「いや、知らなかった」
 「馬鹿みたい。見ればわかるじゃない」とユキは言った。
 「彼にその趣味があるかは知らないけど、あれはとにかく村上春樹よ。完璧に。二〇〇パーセント」

 僕が三番目に寝た女の子は、僕のペニスのことを「あなたの村上春樹」と呼んだ。
 そして今日でもなお、日本人の村上春樹に対する意識はおそろしく低い。
 要するに、歴史的に見て村上春樹が生活のレベルで日本人に関わったことは一度もなかったんだ。

 村上春樹は国家レベルで米国から日本に輸入され、育成され、そして見捨てられた。それが村上春樹だ。
 村上春樹は盲のいるかみたいにそっとやってきた。

 「それはそれ、これはこれ」である。
 冷たいようだけど、地震は地震、野球は野球である。
 ボートはボート、ファックはファック、村上春樹は村上春樹である。

 「どうせ村上春樹の話だろう」とためしに僕は言ってみた。
 言うべきではなかったのだ。受話器が氷河のように冷たくなった。
 「なぜ知ってるんだ?」と相棒が言った。
とにかく、そのようにして村上春樹をめぐる冒険が始まった。

 「君の着るものは何でも好きだし、君のやることも言うことも歩き方も酔っ払い方も、なんでも好きだよ」
 「本当にこのままでいいの?」
 「どう変えればいいかわからないから、そのままでいいよ」
 「どれくらい私のこと好き?」と緑が訊いた。
 「世界中の村上春樹がみんな溶けて、バターになってしまうくらい好きだ」と僕は答えた。
 「ふうん」と緑は少し満足したように言った。「もう一度抱いてくれる?」
 僕はなんだか自分が村上春樹にでもなってしまったような気がしたものだった。
 誰も僕を責めるわけではないし、誰も僕を憎んでいるわけではない。
 それでもみんなは僕を避け、どこかで偶然顔をあわせてももっともらしい理由を見つけてはすぐに姿を消すようになった。

 「僕はね、ち、ち、村上春樹の勉強してるんだよ」と最初に会ったとき、彼は僕にそう言った。
 「村上春樹が好きなの?」と僕は訊いてみた。
 「うん、大学を出たら国土地理院に入ってさ、ち、ち、村上春樹を作るんだ」

 村上春樹には優れた点が二つある。
 まずセックス・シーンの無いこと、それから一人も人が死なないことだ。
 放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。
 他人とうまくやっていくというのはむずかしい。
 村上春樹か何かになって一生寝転んで暮らせたらどんなに素敵だろうと時々考える。

 「ずっと昔から村上春樹はあったの?」
 僕は肯いた。
 「うん、昔からあった。子供の頃から。
 僕はそのことをずっと感じつづけていたよ。そこには何かがあるんだって。
 でもそれが村上春樹というきちんとした形になったのは、それほど前のことじゃない。
 村上春樹は少しずつ形を定めて、その住んでいる世界の形を定めてきたんだ。
 僕が年をとるにつれてね。何故だろう? 僕にもわからない。
 たぶんそうする必要があったからだろうね」

 その夜、フリオ・イグレシアスは一二六回も『ビギン・ザ・ビギン』を唄った。
 私もフリオ・イグレシアスは嫌いなほうだが、幸いなことに村上春樹ほどではない。

 「それから君のフェラチオすごかったよ」
 直子は少し赤くなって、にっこり微笑んだ。
 「村上春樹もそう言ってたわ」
 「僕と村上春樹とは意見とか趣味とかがよくあうんだ」と僕は言って、そして笑った。
 彼女は少しずつ村上春樹の話ができるようになっていた。

 泣いたのは本当に久し振りだった。
 でもね、いいかい、君に同情して泣いたわけじゃないんだ。
 僕の言いたいのはこういうことなんだ。一度しか言わないからよく聞いておいてくれよ。

 僕は・村上春樹が・好きだ。
 あと10年も経って、この番組や僕のかけたレコードや、そして僕のことを覚えていてくれたら、僕のいま言ったことも思い出してくれ。

Ⅰ【文学コラム】35.風に吹かれて風の歌を聴け

【文学コラム】35.風に吹かれて風の歌を聴け(村上春樹文学について)


 「完璧な文章などといったものは存在しない。絶望が存在しないようにね」 ― 村上春樹『風の歌を聴け』冒頭より

 「完璧な"〇〇"などといったものは存在しない。"絶望"が存在しないようにね」――たとえばこの倒置された会話文を、本来の語順にもどすと「"絶望"が存在しないように、完璧な"〇〇"などといったものは存在しない」となる。この場合〇〇に入るのは、"希望"といった対義語に限定されるはず。この文に、原文のように"文章"という語を入れてみると、明らかに前後の脈略がなくなって意味不明な文章となってしまう。

 村上春樹の文章には、このように一見意味があるように思えるが、その内実のない空虚な文が多い。これは読者に自由かってな読み込みを許すとともに、若者が置かれている、意味が捉えがたくなっている今の世界の表象でもある。若者にとっては、取り巻く状況をうたい上げるフォークソングの歌詞のように、村上春樹の小説を「聞き流す」のがこころよいのだ。これが、「村上春樹文学」が世界中の言語の下でも受け入れられる根拠でもあろう。

 以前には、「完璧な"ノーベル文学賞"などといったものは存在しない。絶望が存在しないようにね」と言った単語置き換え遊びをやってみた。村上春樹の文の空虚さを確認する試みでもあったが、まさにこれがそのまま該当するかと思われる事が起こった。ボブ・ディランのノーベル文学賞がそれで、フォークソングの歌詞が果して文学かという議論もあった。

 これは、フォークソングの歌詞のように「気分だけ共有して聞き流せる」というものを、ノーベル文学賞選考委員会が「文学」だと認めたということで、同じような受容のされ方の「村上春樹文学」が受賞しておかしくないということだ。逆に言えば、一旦その種のものに文学賞を授与したからには、村上文学はしばらくスキップされるのかも知れないが、それはもはや関心外のことだ。

 もし日本に文壇史なるものがあったとすれば、その文壇が消えてなくなって久しい。文壇史を展望しようとした著作は伊藤整「日本文壇史」講談社、瀬沼茂樹「日本文壇史」講談社、さらに川西政明「新・日本文壇史」岩波書店と、膨大な巻数を数える。しかし私の知る限り、明治、大正、昭和と続く文壇も、・・・「第三の新人」、「内向の世代」ときて、ほぼ消滅したと見える。

 文壇が消え去っても何の痛痒もないし、文学に果たした文壇の独自の意味も見出しがたいが、同じような文学世界観を共有するグループの存在は、一通りの目安としての役割を果たしてくれた。ほとんど文壇スキャンダル史とも言える「新・日本文壇史」を書いた川西政明は、その文壇消滅の最後に、スキャンダルらしいスキャンダルもない「村上春樹」を単独でもってくる。

 文壇とは、ある程度「文学的世界観」を共有する緩やかな同時代人グループとでも呼べば良いのだろうが、明治以降の近代文学で一貫して共通するのは、少なくとも「純文学」と呼ばれた世界では「"私"をめぐる問題」が最優先された。それは日本文学固有の性格であり、その世界を狭隘にしたものでもあったが、とにかくそれは文壇史を一貫して来たと言える。

 然るに川西政明は、『春樹は「私が私であるのはいやだ」という自同律の不快から出発し、「世界の終り」にいた「僕」を救出する場所までやってきた。』と指摘する。つまり村上春樹は、「私」を拒否することで私の自己撞着から免れようとする。窮屈な近代世界の「私」に窒息しそうな若者たちにとっては、それはビデオゲーム同様の「私からの解放」とうつるだろう。

 村上春樹の文学は、たしかに「私からの解放」であった。それは、「文壇」および「文壇史」からの解放でもあった。しかしそれは同時に、日本文学固有の「私」の死でもあった。つまりは、日本文学の消滅を意味する。これは「私の自己同一性」を否定する現代思想/ポストモダンの思想と軌を一にするものであるが、そうであるなら、もはや「文学」である必要もないのではないか。

 私は村上春樹と同年代であるが、文学的には「第三の新人」など一世代前の文学に馴染んできた。そして、村上春樹以降の世代の文学は、まったく読めなくなった。それ以降の世界の表現には、文学よりも、漫画・アニメ・映画・ポップスソングなどという媒体がより適しているのではないかと思われる。当然これは、私の個人的な思いに過ぎないが。

Ⅰ【文学コラム】34.三島由紀夫と男と女・右脳と左脳

 【文学コラム】34.三島由紀夫と男と女・右脳と左脳


 いま手元に三島由紀夫著「文章読本」というのがある。粗末な紙の印刷で、古本屋の店頭ならべてあったのを50円で買ったものだ。奥付には、昭和34年1月号「婦人公論」の別冊付録となっている。「不道徳教育講座」というエッセイも同様に手元にあったのだが、遊びに来た知人が持って行ってそのままになった。これも同時期に、雑誌「週刊明星」に連載されたものらしい。つまり、ともに主として女性読者を対象に書かれたものだといえる。

 三島の小説作品はあまり評価していないし、その政治・文化思想や肉体改造などの行為も、ほとんどついていけない。つまり私は、熱心な三島支持者では決してないのだが、彼の評論やエッセーの類は、理性的に抑制されており、的確な指摘が多いと思われる。

 「男と女の一等厄介なちがいは、男にとっては精神と肉体がはっきり区別して意識されているのに、女にとっては精神と肉体がどこまで行ってもまざり合っていることである。女性の最も高い精神も、最も低い精神も、いずれ肉体と不即不離の関係に立つ点で、男の精神とはっきりちがっている」-「不道徳教育講座」より-

 たとえばこの一節、これなどは内容的に見れば極めて妥当なもので、それをゲイだのバイだの肉体の虚弱だのと、三島由紀夫のパーソンルなセクシャリティと結びつける点は一切見られない。

 ここに書かれていることは、現在科学が解明する男女の脳の構造からも補完的に説明できる。男では右脳と左脳が明瞭に分化されているのに対して、女の脳は左右の脳をつなぐ橋梁部分が太く短く、その間の交流が即時的に行われるらしい。

 つまり、男は分析的か感性的か、いずれかに特化しないと処理できないのに対し、女は、同時に複数の処理を並行して行えるということらしい。デジタル処理で言えば、パラレルかシリアルかということだが、早い話が、どちらにもそれぞれの利点がある。

 三島が作品を書くときには、左右の脳を総動員するのだろうし、そのベースになるのは肉体と感性ということだろう。つまりは右脳が支配的になる。しかしエッセイなどでは、極めて分析的に徹して書いていると思われる。つまり三島にとって脳を総動員する必要がないわけで、ある意味、これを使い分けられるのは男の特性と言えるかも知れぬ。そして我々は、二人の三島由紀夫で、好きな側面だけを選択しても良いわけだ(笑)

Ⅰ【文学コラム】33.文学者 森鴎外と『舞姫』

 【文学コラム】33.文学者 森鴎外と『舞姫』


*1888.9.8/ 森林太郎(鴎外)がドイツ留学から帰国する。

 森林太郎(鴎外)は、東京大学医学部卒業後、陸軍省に入省し、1882(明15)年22歳の時、衛生学を修めるとともにドイツ帝国陸軍の衛生制度を調べるために、ドイツ留学を命じられた。ドイツでは、ライプツィヒ、ドレスデン、ミュンヘン、ベルリンなど各都市に滞在した。

 ドイツ各地では、日本からの留学生と交流するとともに、当地の社交界にも顔を出すなど、社交的な研究生活を送った。ロンドンの下宿に引きこもって、書物相手の孤独な留学生活を送った、同時代人の夏目漱石とは対照的であった。4年後の1888(明21)年9月に帰国して、陸軍軍医学舎の教官に任ぜられた。

 鴎外は、軍医業務に就くかたわらで、学生時代から親しんだ文学でも才能を発揮する。外国文学の翻訳(「即興詩人」「ファウスト」など)や、評論的啓蒙活動をつづける中で、1890(明23)年には、ドイツ留学での経験をもとに「舞姫」を書き、続いて「うたかたの記」「文づかひ」と、ドイツ三部作と言われる作品を発表した。

 「舞姫」は、ドイツに留学中の主人公豊太郎が、ふとしたことでエリスというダンサーの少女と知り合い、恋仲におちいり同棲することになる。豊太郎は仕事の都合で帰国することになるが、妊娠していたエリスにはそれを告げられず煩悶する。やがて、そのことを知ったエリスは心労で発狂し、豊太郎は、後ろ髪を引かれつつも日本に帰国する。

 当時珍しい異国での日本人と外国人の恋愛物語は話題を呼んだが、ヒロインのエリスにはモデルが有るのではないかと噂になった。実際、鴎外が帰国した4日後に、横浜に入港した客船の乗客名簿に、「エリーゼ・ヴィーゲルト」というドイツ人女性の名前が残されている。

 エリーゼは1ヵ月ほど日本に滞在し、その間に鴎外とも面会し、帰国後も文通を続けたとされている。ドイツでの関係が「舞姫」に書かれた通りとは言えないが、憶測すれば、エリーゼは鴎外の後を追って日本にやって来た。しかし将来が嘱望される軍医官僚エリート森林太郎にとって、それはスキャンダルでしかない。それとなく説得されて、エリーゼは寂しく日本を去った、などという構図も考えられる。

 しかし鴎外が「舞姫」を発表したのは、この出来事の2年後であり、むしろ逆に、エリーゼとの接触から触発されて「舞姫」を構想したのではないかとも考えられる。もし、ドイツ留学中にエリーゼとの関係があったのだとしたら、逆に「舞姫」のような物語を書くわけがないとも言える。

 小説とモデルの関係は、さほど単純ではないであろう。留学中のドイツでは、東洋から来た留学生など眼中に置かれないであろうし、せいぜいが、場末のホールのダンサー兼売笑婦との一夜があった程度でしかない、と考える方が具体性がある。それを、エリーゼというドイツ女性と重ね合わせて、膨らませた結果「舞姫」が成立したのではないだろうか。

 そんなことよりも、文学史上における「舞姫」の位置付けが重要である。ちょうどこの時期、山田美妙や二葉亭四迷によって「言文一致体」が試みられていた時期に当たる。いわゆる「口語文」の成立過程であるが、「口語」だから口で語るように書けばよいというような簡単なものではない。

 当時は標準語とか共通語とかは無い時代で、初期の言文一致体は、江戸の話し言葉で書き記そうと試みられたが、とても読めるものにはならなかったという。本格的な言文一致体の最初と言われる、二葉亭四迷の「浮雲」でさえ、第一編は本人が不満だったという。

 柄谷行人「日本近代文学の起源」によると、本来、ロシア文学翻訳家であった二葉亭四迷は、「浮雲第二編」を書くにあたって、まず得意なロシア語で書いて、それを口語文として翻訳したという。つまり文としての骨格は、ロシア語という西欧語によって形成されているというわけである。

 同時期に書かれた「舞姫」は、文語体で書かれている。しかし、語尾活用や仮名遣いを変えるだけで、簡単に口語文に読み替えることが可能な文体であり、だからこそ容易に英訳可能だとも、柄谷は指摘している。ドイツ語に堪能であった鴎外は、ドイツ語で思考したものを文章化したから、文語体であっても口語文の骨格を持っているというわけだ。

 すなわち、「言文一致体」や「口語文」というものは、決して話し言葉を文字に置き換えたようなものではなく、明治維新で西欧語にさらされた上での、「新しい文体」の創出であったということである。明治の文豪とされる森鴎外も夏目漱石も、積極的に言文一致体運動に関わった訳ではない。しかし、ドイツ留学で鍛えられた鴎外と、英文学と格闘した漱石は、ともに必然的に新らしい「口語文」の文体を伴って登場したのであった。

 下記でどちらが読みやすいか、冒頭だけでも読み比べてほしい。

『舞姫』(森鴎外/青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/682_15414.html

『浮雲』(二葉亭四迷/青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000006/files/1869_33656.html