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XⅢ【記憶に残す昭和文化誌(戦後編)】02.進駐軍のアメリカ文化とパンパン風俗

 【記憶に残す昭和文化誌(戦後編)】02.進駐軍のアメリカ文化とパンパン風俗


 敗戦後、連合国軍によるGHQの創設とともに、進駐軍として米兵を主とする多くの連合国兵が日本各地に駐留するようになった。そして進駐軍の駐留基地を中心として、多くの米国文化が日本にも普及しだした。

 ジャズをはじめとした米音楽やダンスが広まり、東京・大阪などの大都市に「米兵向けダンスホール」が急増(1946年頃には東京だけで200軒以上)。ここではルンバ、タンゴ、フォックストロット、ジルバ(ジルバ=ジャイブの日本風呼称)が盛んに踊られた。


 日本人ダンサー・バンドマンが米兵相手に演奏・ダンス指導を行い、生計を立てるようになった。有名な例では、後の大物ミュージシャン(服部良一、淡谷のり子、笠置シヅ子など)がこの時期にジャズやブギウギに深く関わっていて、また、美空ひばりとともに「三人娘」として売り出した江利チエミや雪村いずみは、進駐軍のキャンプ巡りでジャズなどをマスターした。

 戦後唯一の娯楽とされた映画界でも、GHQによりチャンバラ映画が禁止され、「アメリカ映画普及」のための配給窓口会社「CMPE(Central Motion Picture Exchange)」が東京に設立された。それにより、アメリカ映画を中心とした「洋画」ブームがおとずれた。


 進駐軍の兵士が利用する「進駐軍クラブ」により、「最新の英米の文化」がもたらされた。当時のアメリカで流行の「スウィング・ジャズ」がもたらされるとともに、クラブで提供された「ビールやウィスキー」などの洋酒が、従来の日本酒や焼酎にとって代わり、急激に普及した。


 戦後の食糧困窮時期には、GHQにより「学校給食への食糧援助」が行われ、アメリカでの余剰品や家畜飼料用の小麦や脱脂粉乳が充てられて、「パンを主食」とする食習慣が導入された。そして一般家庭にも、「食事の洋風化」が浸透した。

 その一方で、敗戦直後の混乱期の風俗文化では、「パンパン」と呼ばれる米兵相手の街娼が街中にあふれた。生活のツテをもたない若き戦争未亡人や、爆撃で焼け出された元令嬢までも、止むを得ず街頭に立ったという。

 また、GHQの公娼廃止指令により戦前からの公娼制度が廃止されると、「特殊飲食店」として表向きは飲食を提供しつつ、実質的に売春婦を配置する施設が急増し、これらは「赤線」と呼ばれた。さらに、風俗営業法の認可を得ず闇営業する地域は「青線」とされた。


 このような昭和戦後の風俗文化は、「売春防止法」の成立で規制されることなった特殊飲食店は、さらに「マントル嬢」「ソープ」「ファッションヘルス」といった多様な形態へと変遷していった。 



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