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Ⅻ【現代伝説考】Ⅰ.異空間伝説05-2「自殺の名所」

Ⅰ.異空間伝説05-2「自殺の名所」


 自殺者の集中するメッカとでもいうべき場所が各地にたくさんある。投稿の話題に出てきただけでも三原山・華厳の滝・青木ヶ原・東尋坊などなど、ふるくから自然の自殺の名所がいくつもある。それらの投稿でもふれられているが、自殺が自殺を呼び寄せるという傾向がある。ここでは高層住宅団地など、あらたにできた自殺多発地での噂の流され方をみてみよう。

『高層住宅での自殺者01』
《 うちのカミさんが今年の夏に、今は辞めているバイト先の不動産屋から仕入れて来た話。
 小生、かつて自殺の名所としてマスコミを騒がせた某高層住宅の住人で(ミエミエだ(冷汗笑))、こちらに移って以来2年間、自殺のうわさなど聞いたことがありませんでした。しかし、依然自殺はよくあるらしく、ただ入居者が入居に際して二の足を踏むのを恐れて、役所ぐるみ伏せているだけだそうな。「パトカーも救急車も、サイレンを鳴らさず出動するということか」などとトンチンカンな質問でカミさんを悩ませ、再度聞いてくるように頼んだのですが断わられました(惜笑)。

 こういう住宅は、人が密集しているわりに隣近所の交流が極度に希薄で、このことがこの手のうわさに奇妙なリアリティーを与える条件になっているような気がします。つまり確かめようがないということです。以前、確か3人目までが地元の人で、以後は外部から自殺者を呼び込むようになったというのを本で読んだことがあります。現在は、その本にも書かれていたように、玄関側の共用通路の手すりから上にかけて格子がはめ込んであり、屋上にも出られないようになっております。飛び降りようと思えば、玄関を入ってベランダからということにどうしてもなるはずです。つまり地元住民しか自殺は可能でない。 疑問は尽きませんが、「やっぱり」のたぐいより「ウソでしょ、でも......」のような話の方が、一般には伝播力はあるように思います。》

 「情報の欠落が噂を増大させる」という法則がある。事実が伏せられる結果、噂がより増幅されるという状況は、この投稿者の手によって如実にしめされている。あえて長文を引用した所以である。つぎのレスポンスも同様の理由で引用させていただこう。

『高層住宅での自殺者02』
《 ぼくも11階建ての高層住宅に住んでいますが、飛び降り自殺のニュースはやはり完全に伏せられてしまいますね。「天井が剥がれて落下した」とか「火事になった」という話は必ず掲示板などにお知らせが出るんですが、自殺だけはたとえ衆人環視の中で起こっても黙殺されます。
 たとえば引っ越してきた最初の頃、したがってもう20年近く前ですが、うちの真下に未明に飛び降りた人がいて、新聞配達が死体を発見したそうです。その現場で線香を炊いてお坊さんが読経をしたので、事実であることが分かったんですが、正式発表がないもんですから、死んだのは男性だ、いや女子高生だとさんざん噂が飛び交いました。
 また、つい最近も午後の買い物をする奥さんたちで人通りの多い時間に、飛び降りた人がいて大騒ぎになったそうです。でも、やっぱり黙殺。》

 自然の名所が伝統的な自殺場所にえらばれたのだとすると、巨大な高層住宅群の無機的な景観は、現代の自殺者の無表情な心性をあらわしているといえよう。そのような人工の虚空間が、思いつめた自殺志願者の心をひき寄せる磁場をもち特異な空間として彼らの前にあらわれる。そしてまた、その噂を語りあう都市住民たちも、噂に接することで日頃は生活におわれて忘れている都市生活の無機質性を想い起こすことであろう。


Ⅻ【現代伝説考】Ⅰ.異空間伝説05-1「特異な空間」

Ⅰ.異空間伝説05-1「特異な空間」


 ここで取りあげるのは、明確に仕切られた閉鎖空間ではないが、ほかとは違った特異な現象がみられるような空間である。まずは、荒唐無稽な噂の引用からはじめてみよう。

『超能力研究所』
《 所謂「深夜ドライブ」ネタ。
 「狭山湖周辺を深夜ドライブしていると、道端に[超能力研究所→]という朽ちた看板を見つけることがある。矢印の方向に車を進めると、
*突然の豪雨に襲われるが雨が止むと車は乾いたまま とか
*『ドーン』という車の屋根になにか大きなものが落ちた音と衝撃を感じるのだが、車は何ともないし別に大きなものも落ちていない
とか
*細い一車線の道で向こうからヘッドライトが見えるのに、いくら走ってもその対向車に近づかないとかの不思議な体験ができる。別に身の危険はないし、引き返せば元の道に戻れる」
 これは5〜10年程前に東京の学生(免許を取って深夜のドライブをしたくなる年頃)の間で結構広まっていた噂話です。》

 この話のおもしろいところは、「超能力研究所の看板」というひとつの創作だけで、不思議な現象のおこる空間ができてしまう点であろう。なにしろ原因が「超能力」なのだから、いくらでも不思議な現象の話はつけ加えていくことができるのである。そういう意味では、きわめて発展性の大きい噂であるといえる。

 このような超能力ではなくても、電磁力・放射線といった目に見えない力のはたらく場が噂の原因となっている話は多い。

『レーダーの電磁波で』
《 成田空港開港前の話だったと思います。どこで聞いたのか、読んだのか忘れてしまいました。正確な話があったら教えてもらいたくもあります。
 開港準備に取り掛かっているころの事だそうです。木枯らしが強く吹き付ける中、一日の仕事が終るった鳶職人さんが、コントロールタワー近くのビルの屋上にやってきました。夕日が真正面に見える、眺めの良い場所です。そこで沈む太陽を見ていると、身体の芯からあたたまってくるようで、なかなか居心地が良かったのです。

 その後突然、一週間ほどして、その鳶職の人は亡くなったのだそうです。鳶職の息抜きの場所は、レーダーのアンテナの正面。普段は立入禁止区域です。言うまでもなく、レーダーは電子レンジと類似の強い電磁波を使った機械です。そこは危険区域でもあったのです。》

 われわれのまわりには、目には見えない電磁波が飛びかっているのは間違いない。しかしその人体への影響は、素人にはよくわからないしまたその量も測定しようがない。そんな不安が噂をつむぎだすのであろう。次のような、プラスにはたらく影響の噂もある。

『高圧電線で賢い子ができる』
《 私の前すんでいた町は,小さい町なのに,賢い子がようけでてます。医者が2人に大学の先生。これは,町の上を通っている高圧電線の磁気の影響です。》

 また、放射線の脅威は一般に知れわたっている。したがって、原子力を取りあつかう機関についてはその安全性が強調される。それが逆に不安をあおり噂の発生源にもなる。そしてまた、その内部情報がほとんど表にでてこないことも、噂を増幅するようにはたらくであろう。

『原発銀座の道路遮断機』
《 福井県の若狭地方の国道には、やたらと積雪用の遮断機が充実しているのは、原発事故の時に封鎖をするためだそうだ。(2年ほど前、国道27号線を走る車の中で、運転しているデザイン会社の社員に聞いた)》

 かつての伝統社会では、内と外を明瞭に区画する結界があった。ところが上にしめしたような現代伝説では、そのような結界が目に見えなくなり、いつのまにかその結界を踏み越えて危険な領域にはいり込む不安を物語っているようにおもわれる。現代の都市空間にも、そのような目には見えない結界が張りめぐらされているのではないだろうか。

 また、ファクシミリやパソコン通信ネットなど情報伝達媒体の発達により、物理的には遠くへだたった地域も瞬時につながれることになり、独特の特異空間が形成されている。この論考もパソコン通信で集められた噂が素材となっているが、つぎの例はファクシミリで全国に広がっている噂である。「電子伝説」とでも名付けるべき、あらたなフォークロアであろうか。

『関西当たり屋ファックス1』
《 また、「例のFAXネタ」に関しては、わたしがかつて勤務していた会社にも同じFAXが流れてきたことがありましたので掲げておきます。
 2〜3年前でしたね? あれが流行ったのは。どなたかがおっしゃっていたと同様の文面「関西方面からクルマの当たりや集団が関東方面(首都圏?)に進出してきているので十分気を付けましょう」が、送付者名なしで流れてきました。 車種は忘れましたが、「白いクラウン」「泉州ナンバー」(こんなのありましたっけ)などと特定されていたと記憶しています。総務の女性(東京下町に生まれたときから住んでいる)が、さかんにいろいろな人に宣伝して回っていました。》

 まずは、首都圏方面からみた関西という土地柄のイメージの特異性を指摘しておきたい。このあたり異界性については次項以下でふれる。このファクシミリを使って流される噂も、つぎつぎと追認情報がよせられた。

『関西当たり屋ファックス2』
《○ 時期を置いて、色々なところで(小)流行するらしい。私が最後に見たのは、***さんの説明よりももっと最近です。
 ○ 車のナンバーや車種がもっともらしい。和泉(いずみ)とか難波(なんば)とか河内(かわち)とか、いかにも「ヤバそうな(族車に多いとされる)」ナンバーが並んでいる。
 ○ この手のファックスは総務部門に届いた後(黙殺されなければ)、各部門に現物のコピーを添えて回覧されます。各部門に回覧されるコピーが、また、新たな怪ファックスの元になるように思います。私が見たのはファックスとしてもかなり不鮮明でしたから。黒い斑点がぽちぽちしていてコピーを繰り返した感じでした。
 ○ 後、差し出し人は実際には不明であるにも関わらず、コピーに付く前書き(総務が作った説明書き)では、いつのまにか、『所轄警察署からの通達』になっていたりします(本当)》

 ファクシミリだけではなく、つぎのようにパソコン通信ネット上でも確認もされているようである。

『関西当たり屋ファックス3』
《 これって、再FAXされるだけではなくって、ネットワークにも流れてくるんです。旧 junet でも数ヶ月に一度この種の情報をみかけたらしく、今ログを調べて見ると、1990年11月ごろの記録がありました。》

 これがデマではなく、信用できる情報としてあつかわれているることも多いようだ。

『関西当たり屋ファックス4』
《 実はこの部屋を覗くまで、流言だとは思っていませんでした。というのも、この記事、以前勤めていた会社で、堂々と社内回覧板の中に閉じ込んで対応策まで朱書きしてあったものですから・・・(^_^;。ここでログを読んだ時、一瞬、まさかうちの会社の人が面白がって外部にFAXで流していたのではあるまいな?と、思ってしまったほどです。》

 このような新しい情報空間をながれる噂と、従来にみられた流言飛語などの噂とを比較対照してみるのも大きなテーマとなるとおもわれる。それにはあらためてふれる機会もあるだろうが、ここでは独特の噂空間を形成する可能性を指摘するだけにとどめておこう。

 生き馬の目をぬくとも言われる株式市場や金融市場では、日常の生活感覚とは異なった金銭感覚や雰囲気が支配しているようである。そのような世界に生きる人たちの間でも、利害が密接にからんだ噂やデマがみだれ飛ぶであろうと想像される。ここでの噂は、もっぱら意図と狙いをもってながされるのが特長であろうか。この世界もまた、特異空間といっておかしくはない。

『兜町に流れる噂』
《 俺は 株やってないけど,日本の資本市場の本拠地の兜町では,噂がしゅちゅう.意図的であったり. 例えば,今では,「JT株で多量の失権株が発生する」なんて,まことしやかにささやかれるし》

 この世界では、多くの自殺者を出した噂やデマも多いにちがいない。しかし自殺者はいったん死んでしまった以上、利害で動くこの空間ではもはや噂の種にもならないのかもしれない。ここでは、戦後もっとも大きな噂で幾人もの死者も出したとされる、いわゆる「M資金」の話も忘れるわけにはいかないであろう。

『M資金の謎』
《 現代日本のフォークロア(??)と言えば、よく、色々な詐欺事件やら有名人の自殺やらで名前が出てくる「M資金」を忘れるわけにはいきません。と、いいつつ、この関係の話を直接聞いたという話もないし .... (^^)。誰か、M資金の話を本当に誰かから*直接*聞いた人はいませんか?》

Ⅻ【現代伝説考】Ⅰ.異空間伝説04「劇場系」

Ⅰ.異空間伝説04「劇場系」


 劇場やライブハウスといったパーフォーマンス空間には、やたらに霊や怪異現象の噂が多い。ほとんどすべての劇場にひとつやふたつの怪異譚があるといってもいいだろう。とりあえず「でる」といわれる劇場の報告を羅列してみよう。

『東京青山劇場に*でる*』
《 その1。東京の青山劇場は、以前、墓地があった所に建っている。その柿落としの時には、打ち上げを劇場の中でやった。すると、外部からは誰も入って来ないはずなのに、なぜかカウボーイ・ハットをかぶった見しらぬ人たちが大勢参加していた。以降も、ここには、よく出るそうな。》

『サンシャイン劇場に*でる*』
《 その2。サンシャイン劇場も、以前に墓地だった所であり、よく出るそうな。商業劇場では、深夜に仕込をすることは普通だが、ここは、よく出るので禁止されている》

『新橋演舞場の回り舞台に*でる*』
《 その3。新橋演舞場には、廻り舞台の下で見かけたという話がたくさんあるそうな。》

『明治座に*でる*』
《 その4。明治座は、改装前、舞台袖の奥に建物の都合で隙間があいていた。そこは薄暗く、よく出たそうだ。》

『こまつ座の小道具部屋に*でる*』
《 その5。劇場ではないが、こまつ座の小道具室は、幽霊のたまり場になっているという話。》

 ここまでは同一人の報告であるが、これを見ただけでも劇場にはやたらに「でる」という気がする。なにはともあれ、劇場という場所の特異空間性を確認しておかなければなるまい。

 まず舞台が劇場の中心であり、文字どおりハレの場であることはいうまでもない。すべてのスポットライト・フットライトがあつめられ、演者・観客ともに全員の意識が集中される場所である。しかも、演者にとっては聖なる場所でもある。

 ところが一歩舞台裏にはいると大道具・小道具部屋、舞台の袖、さらには地獄を想像させるところから名付けられた奈落と呼ばれる場所まで、とたんに妖しげな雰囲気のただよう猥雑な空間になる。このような極端な落差こそ、幽霊たちにとってはそれこそ恰好の舞台装置であろう。役者が舞台に登場するのと同じように、幽霊たちも自分たちの「舞台」に登場する。

 また、舞台は演者たちが変身する場所でもある。役者たちが、その架空の役割に神憑り的に魂を入れこむ霊的空間でもある。他方観客席は、普通の人々がさまざまなパーフォーマンスを楽しみにくる娯楽の場である。このような両者の対照的な心理の落差もまた、異様な雰囲気をかもしだす。

 さらには、興行がうたれているときの熱気と対比すれば、観客のいない劇場はがらんとした虚空間であろう。ハレの舞台のときのために黙々と稽古というケのときをすごす役者や舞台関係者たち。そしてひと気のすくない舞台裏の薄暗い空間。こういった状況から劇場伝説は生成してくるのであろうと考えられる。

 青山劇場やサンシャイン劇場の噂に指摘されているように、もと墓地であったりという立地の因縁と怪異現象がむすびつけられることも多い。あるいは、劇場の舞台裏というのはさなざまな事故のおこりやすいところでもあり、過去の事故死者や自殺者の霊が伝説に登場したりもする。こうして舞台関係者のあいだでささやかれ出した噂が、外部にひろがるにつれてさらに尾ひれがついていくことであろう。

 このような劇場伝説と似たようなシチュエーションで、ライブハウスの音楽関係者のあいだでも同様の噂が発生すると考えられる。

『ライブハウスの幽霊』
《 目黒駅前のライブハウス「SONOKA」は、日本のジャズクラブの草分け的存在だそうですが、友人から聞いた話。彼女の同居人は活躍中のドラマーですが、SONOKAには「出る」というのがミュージシャンの間で定説になっている。0時を過ぎると聴こえる、ライブが終わって掃除をしていると聴こえる(ピアノの音など)、というのがその内容。
 前のオーナーの何かである、というようなことを言っていました。幽霊ネタは埒外かもしれませんが、話者が音楽関係者であること、場所がライブハウスであることなどから並べてみました。
 劇場などでも同様の話があると聞きます。聞いたのは去年、友人はやはり音楽をやっている20代の女性です。》

 さすがにライブハウスだけあって、ピアノなどの音が重要な役割をはたしているのが特異なところであろうか。

 墓地という因縁のかわりに、もと監獄という歴史が反映された奇っ怪な劇場伝説をも紹介しておこう。あの極東軍事裁判でさばかれた、A級戦犯たちの記憶につながる巣鴨プリズンとむすびついた話である。

『監獄跡のサンシャイン劇場に*でる*』
《 池袋にあるサンシャイン劇場は、墓場ではなく、軍隊の関係施設かなにかがあって(正確なものを忘れてしまった。ごめんなさい)、「でる」というのは有名です。
 スーパーエキセントリックシアターのゲネプロで、幕をあけたら、誰もいないはずの客席に軍服姿の方々がずらっといたというのが、私の聞いた話です。
 ああ、思いだした。巣鴨プリズンがあったんだ。そうそう。たしか、そうだったと思います。昔のことはよくわからない世代なので、(なにせ東京オリンピックもしらん)もしかしたら、違う施設かも知れませんが。》

 もうひとつ、建物そのものの外観の異様さとむすびついた話を引用して、つぎの稿にうつろう。京都大学西部講堂という、大学の講堂とはおもえない寺院の本堂のような瓦葺きの木造建築での伝説である。かつての大学紛争の舞台にもなり、その屋根瓦には色とりどりのペンキが塗られているという不思議な外観からしても、噂のひとつやふたつあってもおかしくないとおもわれる。

『京大西部講堂の怪』
《 それはともかく、京都大学の西部講堂の怪談の話はもう出ましたか? とにかく、この話がしたくてはるばるやってきたので、まあ聞いてください。
 実名は出しませんが、これをぼくに語ってくれたのは、友人の女性ピアニストです。ぼくはちょっと芸人のまね事もやるので、彼女と一緒に西部講堂でイベントをやったこともあります。その時は、講堂の客席真ん中にコンクリートの台みたいなものがあって、そこでぼくは演技をしたのです。さて、そのコンクリートの下には、何があると思います?

 西部講堂は中世の寺院の一部をどこかから移築したものだとか。だから、昔から居ついた幽霊がいっぱいいるんですね。講堂でお芝居をやると、そういう幽霊が見物に出てくるので、もぎりを通った人は少ないのに、暗い客席の中は静かな観客たちでいっぱいになっていることが、しばしばあるそうです。また、そういう時は、悲しい場面でもないのに、俳優の声がみんな泣き声になってしまう現象も起きると聞いています。
 その西部講堂に、ぼくもよく知っているパフォーマーが、ある時出演しました。この人は語り手であるピアニストのご主人で、パフォーマンスの分野では世界的に有名な人です。

 その彼が出演した時、客席、といっても土間ですが、そこに穴を掘り、幽霊を穴に封じ込める儀式を演じた後、そこにしっかりと杭を打ち込んだのだそうです。終演後、その講堂を管理している学生たちに彼は「この杭は抜かない方がいいよ」と、なにげなく言ったのだとか。しかし、学生たちはそれを気にとめず、杭をぽいっと抜いてしまいました。
 その夜、学生たちが講堂の中で眠っていて、一人がふと目覚めると、その穴からぶわーっとものすごい勢いで、たくさんの幽霊たちが飛び出してくるではありませんか。わわわわ・・・! そして、学生に「こっちへおいで、こっちへおいで」と手招きするんですって。ふらふらとそっちへ行きかけた学生。その彼をからくも止めたのは、最後に穴から出てきた学生の祖母の幽霊でした。彼女は生前キリスト教徒だったのですね。「こっちへ来てはいけない」。制止する祖母の姿に、学生ははっと我に返りました。間一髪、彼は救われたのです。

 翌朝、彼から事の次第を聞いた学生たちは驚き、神社から神主を呼んできて、おはらいをしました。そして、そこをぶ厚いコンクリートでしっかりと塗り固めたのでした。あのコンクリートの台はそうやって、できあがったものなのです。それから、幽霊たちはどうなったかって? さあ、その後のことは知らないのですけどね。》


Ⅻ【現代伝説考】Ⅰ.異空間伝説03「医学伝説」

Ⅰ.異空間伝説03「医学伝説」


 いうまでもなく医学関係は、病気という生死の境界をとりあつかう世界である。しかも現在では、大半の人間がその死を病院でむかえるような状況となっている。とすれば、そのような死とむかいあう病院・医療関係に、多くの怪談があるのに不思議はない。

 そのうえ医療世界は、われわれ一般人には閉ざされた密室空間でもある。診察をうけ検査をうけ治療をうけるとしても、自分のカルテになにが書かれているか知るべくもないし、薬をもらってもそれがどのように機能するのかよくはわからない。患者はひたすら、医師という専門技術者の指示にしたがうしかすべをもたない。

 生死の境界に位置しながらその内実にはふれられない密室、このような医療世界のもつ境界性と密室性からさまざまな噂話が生まれでてくるのであろうか。まずは、もっともよく知られている医学伝説からとりあげてみよう。

『死体洗いのバイト01』
《 さて、養老先生の本を読んでいる途中ですが、「死体洗いのバイト」について記述がでてきました。わたしもこの話と言うか、そんなものがあるというのは聞いたことがあります。
 この話の仕組みは、とても常人には出来ないようなことをさせるバイトがあるが、それだけに料金も高い、という仕組みになってますね。お金の欲と、恐怖心とのせめぎが、ポイントになるのでしょう。》

 大学病院などで、解剖用の死体を洗うという高給のアルバイトがあるという噂で、自分も聞いたことがあるというたくさんの証言があげられている。いくつか引いてみよう。

『死体洗いのバイト02』
《 高校時代の事ですが、同級生の悪友が実際に大学病院に尋ねに行ったことがあります。向こうの人いわく、「あんたもだまされて来やはったんどすか。そんなもん、おまへん。だいたい、死体関係は、おたくらみたいな若い人には扱ってもらいまへん。1日やったらうなされて寝られんようになりまんがな。」
 同級生の話しだと、「死体洗い」ではなく、解剖用の死体を水槽でホルマリン処理する仕事だそうです。時間が経つと死体がプカ〜と浮かんでくる。それを、竹竿かなんかでつついて沈めるだけでいいらしい。「楽そうな仕事なんやがな〜」と残念そうにほざいておりました(^^;。》

 大江健三郎の小説『死者の奢り』の一シーンが噂の発生源だという説もあるが、それはともかく実際にそのアルバイトをしたという人はいない。

『死体洗いのバイト03』
《 京大付属病院のバイトということで伝わっておりました。また、他に、人間モルモットのバイトの話も、ワリのいいバイト話として伝わっておりました。》
 このように、地元の有名な大病院の名前をかぶせてまことしやかにささやかれる。

『死体洗いのバイト04』
《 高校生の頃、友人から(加藤という奴だった)死体洗いのバイトしないかと誘いがありました。聞くと、恐いがかなり高額のバイト料なるらしく、実際にK大学付属病院にで募集してると言います。それじゃ、やろうと言う事でその友人と、申込にいって、そんな話しはデマだって言われた経験があります。25年程昔の事です。》

 外界からは見えない密室で洗浄される死体、あるいはホルマリンの浴槽に浮かぶ死体といった情景は、だれも見たことのないはずなのに不思議な現実感をもっている。このリアリティがこの噂の浸透力の強さなのであろう。

 実際にはありえないのがあきらかな噂が多いなかで、医学伝説にはひょっとしたらと思わせるものが少なくない。これは実際にはのぞけない密室的な世界の出来事であるだけに、逆に現実的な可能性を感じさせるのであろう。つぎの話も、奇妙な現実感をもってつたえられる現代医学伝説のひとつである。

『解剖教室の壁に耳あり01』
《 <壁に耳あり>って,解剖教室で実験して,退学させられた医学生ってのは,(出典は永井明)やっぱ噂なんでしょうね。誰か,当人をしってる人がいるのでしょうか?》

 ここにあげられた出典が噂の起源になったのか、それとも先行してあった噂が書物を経由してさらに広がっていったのかはさだかではない。いずれにせよこの話も、噂として聞いたことがあるという人がつぎつぎにあわられる。

『解剖教室の壁に耳あり02』
《 うーん。そうかあ。「壁に耳あり」の話には出典があったのですね。でもそれ、いつの本ですか?私は10年以上前にこの話を知り合いから聞きましたよ。私の聞いたヴァージョンは「ある医大で、解剖実習の最中に、学生のひとりが、御遺体の耳を切り取って壁に叩き付けて『壁に耳あり!』と言った。秀逸なジョークで実習室の雰囲気は和んだが、その学生は退学になった」というものです。》

『解剖教室の壁に耳あり03』
《 壁に耳あり、のネタは、どこの大学でもあるらしく、どこの医学部生も、「それは自分の学校の話だ」といってはばかりません。本当はどこなんですかねぇ。》

『解剖教室の壁に耳あり04』
《 壁に耳ありネタ 現役の看護学生さんから聞きましたが、「献体なんかやめた方がいいよ」といってこの話をしてくれたんです。つい最近聞きました。一般論であるかのような口ぶりでした。》

 まさにこのように噂が広がっていくのかと思われるぐらい、投稿の連鎖は興味ぶかい。死体の解剖という常人からすれば異様な光景と、死体をただのモノとして取り扱う当事者とのあいだにあるイメージの落差からこのような伝説がつむぎだされるのであろう。

 主人公の医学生は、遺体をモノとしてしか感じられなくなって玩具にするという、常人感覚の麻痺した医療関係者の代表としてとらえることもできる。また他方では、そのような感覚になじみきれない初心の学生の異常行動として、噂を伝えあう一般人の批判感覚をあらわしているともみなせる。そのようなイメージのねじれがこの話にリアリティをもたせている。いずれにせよ、噂の伝達者にとってこの解剖教室は、かいまみることのできない異空間としてグロテスクに想像されることはまちがいない。

 治療現場では患者はすべてを医者にゆだねるほかはなく、あなたまかせの密室でどうされるかわからないという不安を、極端に拡大した噂話をひとつ紹介しよう。歯科医での話である。

『歯医者での怪』
《 小学生時代に見聞した噂を思い出しました。当時住んでた地方の市の私のテリトリィには2軒の歯医者がありまして
誰言うとなく□□歯科は善い歯医者で、○○歯科は悪い歯医者だ、ということになっておりました。
 どうしてそうなのか子供目には識別できなかったものですが、あるとき、悪い歯医者の擦硝子窓の下をクラスメイトと通りがかりました。すると級友は徐に、最近あったことだがと断りながら次の話をしてくれました。
 何事が起こったものか、突然恐ろしい悲鳴が通りまで聞こえ、なにやら金槌か木槌でゴンゴン打ちつける音が聞こえ、
続いて「助けて〜」の絶叫が聞こえてきた。ゴンゴンという音は次第に凄みを増し、ついにはグオングオン鳴り始め、
と、急に病院の玄関の戸がばたんと開かれ、顎を両手で押さえたおじさんが裸足で飛び出してきて脱兎のごとく逃げていった。》

 医学関係者は常人の生理感覚を超越しなければやってられない、といった主題の噂も多くある。つぎの話も、一般人の感覚とのギャップが伝説のエッセンスとなっている。

『医学生は尿もなめる01』
《 ある教授が学生の前でコップを手に語ったそうです。医学者には旺盛な好奇心が必要だ。このコップには糖尿病の疑いのある患者の尿が入っている。簡単に確かめるには、こうすればよい。と言ってコップの液に指をつけ、ペロリとなめた。そして、君達の中で、誰かやるか。次の試験で10点、上乗せしよう。と言ったので、一人の学生が手を上げ、やってみた後、その教授は言ったそうです。医学者には冷静な観察力も必要だ。私がコップに入れたのは中指で、なめたのは人差し指だ。  20年くらい前、京大医学部学生に聞いた話。》

 これには、ローカルな世界で20年間も語りつがれているというつぎのような証言もえられた。

『医学生は尿もなめる02』
《 糖尿病の患者さんの尿の話は、私も大学の知人に聞いたことがあります。私は現在学生なので、その話は、二十年前から現在まで語り継がれているって言うことですねぇ。あらまぁ、すごい。》

 最後に、艶笑小咄ふうの話題をひとつ紹介してつぎの課題にうつろう。

『歯垢中の見慣れない菌』
《 折角ですからもうひとつ紹介しておきましょう。これも「或る医大」でのお話。授業で、お互いに向かいの学生の歯垢を採取して顕微鏡で観察する、というのをやった。
 或る学生の向かいは女子学生だったのだが、その彼女の歯垢に見たことのない細菌があったので彼は教授を呼んで質問した。『先生、見慣れない菌があるのですが』
 教授がやってきて顕微鏡を覗いて一言 『君、これは精子だよ』》

Ⅻ【現代伝説考】Ⅰ.異空間伝説02-2「寮・下宿」

Ⅰ.異空間伝説02-2「寮・下宿」


 学生などの寮や下宿も、同年輩の単身者が同じようなつくりの個室で生活するという同質性をもっている。若者のひとり暮らしということでそれなりの孤独感が強いであろうし、自殺者なども比較的でやすい環境にある。また同じような構造の生活空間にあるということは、噂を共有し伝えやすいともいえる。

 自殺者を発生源にした噂を二例をあげる。まずは、開かずの間という「いわく因縁」に結びついた事例から。

『学生寮の開かずの部屋』
《 今から7年ぐらい前の話
 S賀大の,学生寮が芹川河口の橋の右岸に建っています。そこの103号室は,昔そこで自殺した学生がおり,私が学生の頃誰も入っているものがいなくて,ドアーが開かないということです。 - 話者 30才ぐらいの男性》

 また自殺者の幽霊がでるというのも典型的な噂であり、それが現在寮として使われていない理由になったりもする。

『元女子寮の幽霊』
《 資料館の幽霊
 現在資料館として使われている建物は以前は女子寮だったそうで、二人で一部屋の普通の寮でした。あるとき、作品のアイディアを盗んだとか盗まないとかで同じ部屋の二人が争い、疑われた方の女学生が自殺したそうです。以来、幽霊がでるとか。》

 自殺者以外の噂もひとつあげておこう。

『押し入れから手が』
《 そういえば、下宿してる時代の話しを思い出しました。ワンルーム・マンションなんかない頃ですから、襖ひとつで仕切られた下宿屋です。下宿のおばさんが、ときどき気をきかして学校へ行った下宿生の部屋を掃除してくれてたんですが、ある学生の部屋の押入から、どうも変な匂いがする。空けてみると、ダンボール箱の中から人間の腕が、にゅーーーっと・・・。
 もちろん、おばさんは腰を抜かしてフガフガー(^^)。医学部の学生で、解剖実習用の「腕」を持ち帰ってたそうで、そこの下宿生の間だけでで「ローカル伝説」となってたようです。》

 学生寮・下宿ともに人の入れ替わりははげしいが、先輩から後輩へと語りつがれて独自のローカル伝説を形成する。このような噂を共有することで、めでたく共同体の一員としてみとめられるのであろうか。古老から子供たちへと語られたかつての在郷伝説の、ある種の縮小版とみなしてもおもしろいとおもえる。

Ⅻ【現代伝説考】Ⅰ.異空間伝説02-1「学校の怪談」

Ⅰ.異空間伝説02-1「学校の怪談」


 学校の噂話が、一冊の書物にもなるぐらい(*1)たくさんあることには注目すべきだろう。全国の公立小中学校はほぼ同じような造りになっていて、そこに同年齢の同質的な生徒たちが長時間をすごしている。かつての伝説をうみだした閉鎖的な地域共同体が崩壊したいま、その疑似的な機能を学校がになっているとも考えられる。
(*1)『学校の怪談:口承文芸の展開と諸相』常光徹 著(ミネルヴァ書房1993)

 ただし、伝統社会で長老から子供へ語りつたえられたような垂直的な関係はなく、子供どうしのあいだで水平的な共鳴現象をおこすような形で伝播していくのが大きな特長である。さらに、TV雑誌などのマス媒体が仲介して全国に転移していく。そしてその受け皿となる学校には、全国どこへいっても同じような構造のトイレや理科室などが造られていて恰好の怪談の培養地となる。

 典型的な学校怪談としては、さきにふれた「トイレの花子さん」「赤い紙青い紙」「赤マント青マント」などのほかに、つぎの「こっくりさん」もあげられる。

『こっくりさん』
《 先にご紹介した『怪談の心理学』の中に書いてあったのですが、本当にこっくりさんは流行りましたよね。小生が小学生の高学年の頃ですから1970年代なのですが、この本にも昭和48年からの流行の報告がされていました。何でも、この流行の発信元が群馬県だったというのです。群馬県のお隣の埼玉県でも、小生たちがこっくりさんを同じ頃やっていたはずで、どうも眉唾ものですが、どんなものでしょうか。あの頃、こっくりさんをはじめたきっかけは、少年まんが誌に連載されていた『恐怖新聞』や『うしろの百太郎』に載っていたからだったと思うのですが、いかがでしょうか。『漂流教室』も怖かった!》

 この投稿には具体的な流れは書かれていないが、子供たちが机の上においた硬貨などに指を重ねあわせてじっと神経を集中しているとその硬貨が動いたりするといった話である。その結果、だれかに「こっくりさん」がとり憑いたといって、一種の集団催眠のような現象がおこる。このように、同質的な集団が共鳴現象をおこして恐怖を増幅していくのが学校怪談の特長であろう。

 この恐怖の源泉は、閉鎖空間に同質集団が閉じこめられているという状況自体にあると考えられる。同質的な集団はその内部自体のみでは活性化しにくいし、また内部にはストレスなどの圧力がたまる。外部との直接的な交流があればこのような状況は解消されやすいが、そうでない場合には内部的に「異者」をつくりだしてその代替とする傾向がある。

 特定の仲間を「徴つき」の異者と見なしてしてひき起こされる、いわゆる「いじめ問題」などはそのような構造をもっていると考えられる。積極的に異者をつくりだしかつ排除することで、同質集団は活性化されたりまた緊張も放出されたりするのだろう。伝統的な閉鎖社会ではそれが固定化されて異人や妖怪の伝説になっていたこととの相同性をみれば、学校伝説のはたしている機能もうかびあがってくるとおもえる。

 「こっくりさん」の例でいえば、だれにでもこっくりさんがとり憑く可能性があるという前提のゲームである。そのようななかでお互いが牽制しあいながら「徴つき」をつくりだすといった不安とスリルが、この噂を成りたたせていると考えられる。

 また学校のトイレのような妖しげな密室は、異界との境界であり通行の接点とも見なせる。そのような場所に、異人としての「トイレの花子さん」や「怪人赤マント」はあらわれるのである。もちろんこのような異人は外部からの闖入者などではなく、そこに生活する同質集団の不安の投影にほかならないであろう。

 以上はまだ性的な意識が顕在化しない小学生などに多い事例であったが、これに性意識がくわわると恐怖というより艶笑小咄ふうの噂になってくる。かといってただの笑い話でもなく、まことしやかに伝えられなかば信じているような雰囲気もただよっている。そのような事例をあげてみよう。

『保健室エッチ』
《 私の小学校から中学校時代に根強くあった噂です。
「H中で、生徒同士が保健室でSEXしていて、抜けなくなって救急車で運ばれた」というものです。これは「H中事件」として固有名詞化していたほど、ポピュラーな噂でした。東京都大田区の中学校です。
 で、高校に入って同級生にH中の卒業生が居たので訊いてみると、「それはN中事件だろ」と言われました。どうやら当のH中では、N中であった事件として噂されていたようです。ちなみに私はS中でした。》

 具体的な学校名をそえて語られているところに、半分は事実として信じられていることがうかがえる。また学校の保健室というのも理科室・音楽室・体育館などとともに、噂の発生しやすい特殊な空間だということも指摘しておこう。
 これが女子高ともなると妊娠出産の不安ともからまって、切実さと滑稽が同居してくるようでもある。

『女子高のうわさ』
《 「女性のなかで流通している特有の噂」というもので、女子高などで聞く「避妊または妊娠にまつわるもの」というのをころっと忘れておりました。
 「事後にコーラで洗浄する」「飛び跳ねる」という避妊法!を聞いたことがあります。今の高校生はこんなこと信じてるかしら。
 また、「顔つきがきつくなると胎児は男」「お腹がとがった形になると胎児は男」などというのも、年配の女性がしたり顔で言ったりします。
 週刊女性雑誌で、「出産」にまつわる記事は人気があるようです。有名人のであれ、一般人のであれ。出産したことはありませんが、一種臨死体験のようなところがあるんでしょうか。とても特殊な時間帯というかんじがします。ところで、水子地蔵というのはつい最近始まった風習(商売?)なのでしょうか?》

Ⅻ【現代伝説考】Ⅰ.異空間伝説01-3「風呂場」

Ⅰ.異空間伝説01-3「風呂場」


 裸になる場所といえば当然風呂場があげられる。風呂場には、温泉や公衆浴場のように多数がいっしょにはいる公共性のあるものと、家風呂のように個別性をもったものとがある。前者は密室とはいえないが、後者はトイレとならんで個室性・密室性をもったプライバシーの場でもあろう。まずは後者の例からあげてみよう。
 
『風呂場で人間ちり鍋』
《 岸和田市民病院に勤務する知人に聞いた話。入浴中に、ぬるかったのでガスをつけたまま、心臓発作か何かで死んだ人がいた。知人が発見した時には、湯がグラグラ煮立っていた。慌てて救急車を呼んだ。やってきた救急隊は、とりあえず引き上げようとして、両肩を持って引き上げたら、湯につかっている部分の骨だけがズルズルっと持ち上がり、身は残ったそうだ。ちりなべを食べている時に聞いた。》
 
 この投稿に触発されてでてきた、よく似た事例をもうひとつ。


『風呂場で人間スープ』
《 たぶん、その温泉? は、気持ちよくなるなにか、温度だとか雰囲気、あるいはガス分圧などの状態がときとしてうっとりしてしまうようなことになっていて、ほんとに老人などが沈んでしまうのかもしれないな、と、思います。親戚が話てたけど、知人のおじいさんがガス風呂で「追い炊き」している最中に往生を遂げたらしく、そのまま湯が煮立って、人間スープになってしまったということです。》

 浴室で老人などが亡くなることは、少なくはないとおもえる。浴槽に浮かぶ老人死体の光景からは、なにがしかの孤独感と悲惨さがうかがえる。また、それを発見した家族の衝撃も大きなものであるはずだ。そのような家族から、出来事が積極的に口外されることは考えにくい。

 ところがいずこともなしに話がもれると、部外者の口さがない噂話へと発展されていく。そのような過程をへて、このような「人間ちり鍋」や「人間スープ」が作られていくのであろう。「試着室ダルマ」のような若い女性だと、いくばくかのロマンやエロスも共有される余地があるが、浴槽の孤独な老人死体にはそのようなロマンは含まれようもない。

 ロマンなき恐怖は無惨なだけである。とすれば、そのような状況はできるだけ遠ざけておきたいという心理がはたらく。それには、滑稽化して笑いとばすのがいちばんということになろうか。試着室から消えさる若い女性にはいささかの秘密のにおいが漂うが、浴槽での老人死体のプライバシーなど一顧もされようがない。同じ密室であっても、主人公によってはまったく意味の異なった物語となるようである。

 多数の出入りする公衆の浴場にも「老人死体」は登場する。

『温泉の老人死体』
《 東京の品川区と大田区の境界付近にM温泉という銭湯があります(新幹線から煙突が見えるので御存じの方もいらっしゃるかもしれません)。
 ここは、温泉といっても地下の化石化した海水を温め直して浴槽に張っている方式のようで、入浴料金は通常の銭湯と同じです(関係ないか…)。特徴的なのはお湯の色です。殆ど醤油同然の色合い、底のタイルは全く見えず、湯舟に浸かっても水面下20cmほどの我が身さえもう見えません。どんな成分なのか、入っていると肌がスベスベするからたいしたものです(これも関係ないですね…)。
 ここに、年に数度は救急車が呼ばれることがあります。湯あたり等で倒れた人を運ぶのですからどうということもないといえばそれまでですが、近所で、永年、酒屋を営んでいるご主人の話によると、そのうち一度や二度は、湯舟の底に沈んでいた爺さん婆さんの死体をそっと運ぶんだそうです。
 「笑っちゃだめだよ、*** さん。入ってる人の膝に触って『?! ワーッ! 』ってこともあるしさ、湯をしまって、お湯を抜きはじめて見えてきたりするんだから…」》

 この投稿に連動して後日に掲載されたコメント投稿を、続けてあげてみよう。噂話の伝わり方に妙があるので、長めに引用してみる。

『#304-1温泉の老人死体』
《えー、実は私、大田区M込には数年前まで住んでおりまして、今でも、週に一度はお稽古事で通っているのですが、残念ながら、M温泉に入った事(お肌がつべつべになるなら、いっぺん行ってみたかったな〜)も、その噂も知りませんでした。で、先日、お稽古の先生(戦後よりM込在住、初老のご婦人)に、
 「センセ、わたし、M温泉の、こーゆー話を聞いたんですけど…」
 「ええっ! 私、M温泉には、何度も行ったことあるのに、まあ、嫌だ!ホントなの?」(初耳だったらしい)
 「…あ、その、多分、ウソです(^_^;)」
 「んまあっ! 何て悪趣味な。 一体何処の誰なの、そんなデマを言うのは!」(そのまま、苦情を言いに飛んでいきそうな勢い)
 「…えと、えと(^_^;)」(必死で話題を変える私)
 その時「でも、お年寄りが、温泉に入っている時に亡くなる、ってのは、良く有る事なのね。実は、ウチの隣もそうなのよ」と話して下さったのが、十数年前、先生のお宅のお隣のご隠居さんが、正月、寒川神社へ参拝に行ったついでに、そこの温泉(何でしたっけ?名前)に入ったら、そこで、ぽっくりいってしまい、浴槽の底に沈んでいたのを、後から入って来たお客に発見された。 …と、いう話。
 「それを聞いた時にはねぇ、私、失礼だけど、なんてバカな死に方、と思ったものですよ。」と、先生。うーむ、これはホントの話なんでしょーか? それとも、お返しにひっかけられたのでしょーか(^_^;)》

 この「お稽古の先生」からさらに別の人に伝わっていくとき、「M温泉で実際にあった話」となってしまうのかもしれない。それにしても、このお師匠さんの言葉をかりるまでもなく、この老人死体もたぶんに突きはなされた語られかたをしてゆくことが想像される。たくさんの人が出入りする公衆浴場や温泉の浴槽で、ひとり寂しく沈んでいる老人の死体。これには、大都会の雑踏のなかでの孤独といった、都会生活者の疎外感のような意識が重ねあわされているとも考えられるのではなかろうか。

 さて、この論考では「水」のもつ意味がひとつの主要テーマになる予定である。ここでは、風呂の水ないし湯がもつ意味に簡単にふれてみよう。都会生活は、かつての伝統的社会とくらべれば相対的に自由ではある。しかし、当然のことながら無際限の自由などはなく、われわれは目には見えにくいさまざまな糸にしばられている。このような都会生活者を水族館の魚にたとえてみればどうだろうか。目には見えない透明な水、しかし魚はその外に出ることはできない。

 もちろん物理的には都会から出ることはできる。しかしながら、たとえ外に出たところで、さまざまな都会生活のしがらみから完全に自由になることはないだろう。かつての田園生活はノスタルジーのなかにだけあって、たとえ物理的には田園にもどったとしても、それはかつて存在したような田園生活ではない。また村落で生まれそだって生活しているとしても、TVをはじめとする都会の情報がかれらを取りかこんでいる。われわれのまわりには、すでにそのような象徴的な意味での「都会」が蔓延しているのである。

 このような目には見えない透明な「都会」を水族館の水にたとえれば、現代人が水族館の魚として生活せざるをえない状況もうかびあがってくる。ここで風呂の水底に沈む孤独な老人死体は、群衆のなかでの孤独をかこつ現代都会人と重ねあわさって見えてくるのではないだろうか。もちろんここで都会とは、目にはさだかに映らないもうひとつの大きな密室、という意味をおびてくるのである。

 この項では、都会・水・密室という象徴的な関連を指摘するにとどめてつぎにうつろう。