Ⅵ.美女と湖水00「流れる水と淀む水」
この最終章では幅ひろく「水」に関係する話題を集めた。現代の伝説を取りあげるにあたって、まず第1章「異空間伝説」を中心として現代人の生活空間に焦点をあてた。また第3章「人体と人格のメタモルフォーシス」を核としては、現代人の肉体と精神の関係をひろく取りあげた。ここで取りあげる「水」は、そのような現代人の体内を流れる血液であり、また都市生活者の相互間をとり結ぶ神経系統のネットワークともたとえられるであろう。
水をいかに解釈するかによってさまざまな視点が考えられる。水に対する伝統的な心性や文明史的な観点などをふまえて論じるとなると、この小論の射程には納まりきらないであろうし、またわたしの手の及ぶところでもない。
今回の試みではさまざまな噂話の投稿ばかりではなく、投稿者相互のあいだで熱心な議論考察もくりひろげられた。それらの見解はこの拙論でも各所で参考にさせていただいたが、とりわけ「水」に関しては次の「その筋」氏の考察が示唆的であった。本題にはいるまえに、その考察のなかの「流れる水と淀む水」の一部分を引用させていただく。
『流れる水と淀む水』
《 流れる水は,物を運ぶ働きを持っています。日本の農村は,谷間である扇状地の中腹から上の方にかけて位置しているのが普通のようです。ちょうど,山にへばりつく形で農家が展開しているものが多いように感じます。(私がすんでいる地域に特有の事であるのかも知れませんが)
《 流れる水は,物を運ぶ働きを持っています。日本の農村は,谷間である扇状地の中腹から上の方にかけて位置しているのが普通のようです。ちょうど,山にへばりつく形で農家が展開しているものが多いように感じます。(私がすんでいる地域に特有の事であるのかも知れませんが)
としたら,流れてきた水が<淀み>かけるその境に,その淀みを見下ろすような形で家がたちならんでいて,<淀み>から,田圃に水を引くことになっていたのでしょう。つまり,一本の川を,下の1,2,3の繰り返しで利用していたのではないかということです。新田といわれるものがだんだん下流域に作られていくという形で展開しているのではないかと考えます。
\3
\1 ,2
-------- 1.集落
\3 2.淀み
\1, 2 3.田
--------
\1 ,2
-------- 1.集落
\3 2.淀み
\1, 2 3.田
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# この辺は,詳しい方に教えて頂かないと解らないのですが,平野の中に都市が展開するのは,比較的近年の事ではないのでしょうか。
# この仮定が正しいかどうかは全く自信がありません。参考書などを教えていただきたいところです。
# この仮定が正しいかどうかは全く自信がありません。参考書などを教えていただきたいところです。
さて,上に述べた仮定が正しいものとすれば,<淀み=淵>は,<何かが流れてきて,そこに留まる>場所と定義できることになります。また,農村の生活からみると,そこは生活するための基盤であることになります。淀みがなくなることは,直ちに<水不足=飢饉>を意味するからです。また,下流の村からすると,上流の<淀み>は,水不足となる原因であるのは勿論ですが,豊かでありすぎれば洪水を引き起こすのですから自分たちの生活を脅かす<悪>ということになり,ここに,<淀み>に対する<2重価値>が生じてくることになります。善であり同時に悪であるものが,<淀み>なのではないでしょうか。
とすれば,ここに潜むものが善神と悪神の<2重価値>をおわされるのも必然的なことです。<河童>は,淵に人を引きずりこむと同時に,律儀に妙薬を人々に与える存在ですし,<龍神>は,人に害を与える神であると同時に,雨をもたらしてくれる神でもあります。》
この考察にある「流れる水と淀む水」という概念を念頭において、以下の水にちなんだ話題をながめていってみようとおもう。





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