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XⅢ【記憶に残す昭和文化誌(戦後編)】10.戦後昭和の音楽流行シーン(2)

XⅢ【記憶に残す昭和文化誌(戦後編)】10.戦後昭和の音楽流行シーン(2)


3. 1970年代
 グループ・サウンズのブームが商業ベースに飲み込まれるように終息したあと、代わって、それまで影に隠れていたフォークソング・シンガーが表舞台に登場した。彼らは商業ベースに乗るのを嫌ったため、単独ライブやフォークコンサートなどでの活動が主であった。

 関東を中心に、大学生などのアマチュアグループが、曲を自作し自演すると形でフォークソングを歌って、「カレッジフォーク」と呼ばれていたが、関西では、米のプロテストソングや反戦フォークの影響を受けて、更にメッセージ性の強いフォークを歌い、「関西フォーク」と呼ばれた。

 しかし、学生運動が沈静化するとともにメッセージ性はうすれ、反戦フォークから、恋愛や友情、日々の生活を歌うフォークが前面に出るようになった。これらはラジオ番組や深夜放送を通じて全国の若者に拡散し、加えて、シンガーソングライターとしてのシングルアーティストも多く登場した。


 70年代前半には、吉田拓郎や井上陽水らが登場し、フォークソングが熱狂的なブームとなった。「神田川(かぐや姫)」、「結婚するって本当ですか(よしだたくろう)」、「学生街の喫茶店(ガロ)」など、青春や日常を歌った叙情的な名曲が数多く誕生した。 

 そして70年代後半にもなると、よりポップでロック調のサウンドへ進化し「ニューミュージック」と呼ばれ出だした。フォークソングを基調にしつつ、ロックやポップスの要素を取り入れ、都会的で内省的な歌詞と洗練されたサウンドが特徴で、シンガーソングライターの台頭により、商業ベースと一線を画すアルバム志向の作品が多く制作された。 

 荒井由実(松任谷由実)、吉田拓郎、井上陽水、チューリップ、オフコース、サザンオールスターズ、山下達郎、竹内まりやなど、シンガーソングライターやバンドが中心となり、作詞・作曲を自身で行うスタイルが定着し、アルバムの売り上げが重視されたが、メディア(テレビ ラジオ 雑誌)の影響力が強まった。 

フォークソング代表的アーティスト

・60年代 カレッジフォーク/関西フォーク
ザ・フォーク・クルセダーズ - 「帰って来たヨッパライ」で一世を風靡https://www.youtube.com/watch?v=WW-DkzvSZoU
高石友也 - 反戦歌などを歌ったフォークの草分け
岡林信康 - 「フォークの神様」と呼ばれる存在

・70年代フォーク/ニューミュージック(黄金期)
吉田拓郎 - 日本のフォークシーンを変えた第一人者
井上陽水 - 圧倒的な歌唱力と作詞能力
泉谷しげる - フォークの神様 岡林信康に続くエネルギー
かぐや姫(伊勢正三、南こうせつ、山田パンダ)- 「神田川」などの名曲

アリス(谷村新司、堀内孝雄)- 叙情的なバラード
さだまさし - 物語性の高い名曲
松山千春 - 北海道出身の熱い歌声
イルカ - 代表曲「なごり雪」
海援隊 - 武田鉄矢率いるフォークグループ
紙ふうせん - 元・赤い鳥
あがた森魚 - 代表曲「赤色エレジー」
五つの赤い風船 - 関西フォークの雄

 70年代は歌謡曲・ポップスの世界では、沢田研二らによる「歌謡ポップス」の黄金時代であり、サザンオールスターズ、ゴダイゴらによって「ポップス/ニューミュージック」が融合してヒットを多発した。

 アイドル歌謡では、ピンク・レディー、キャンディーズ、山口百恵、桜田淳子、森昌子ら、歌って踊れるスターが登場して大人気に。フォーク・ニューミュージックでも、井上陽水「心もよう」、アリス「涙の誓い」、中島みゆき「わかれうた」など、シンガーソングライターによる情緒的でポップな楽曲がヒットした。

70年代の代表的な歌謡曲・ポップス名曲

・1970-1974年(歌謡曲の黄金期)
また逢う日まで / 尾崎紀世彦 (1971)
17才 / 南沙織 (1971)
喝采 / ちあきなおみ (1972)
恋のダイヤル6700 / フィンガー5 (1973)
あなた / 小坂明子 (1973)

・1975-1979年(ニューミュージック・ポップスの台頭)
木綿のハンカチーフ / 太田裕美 (1975)
微笑がえし / キャンディーズ (1978)
プレイバックPart2 / 山口百恵 (1978)
透明人間 / ピンク・レディー (1978)
いとしのエリー / サザンオールスターズ (1979)
銀河鉄道999 / ゴダイゴ (1979)
異邦人 / 久保田早紀 (1979) 

 1980年代になると、バブル景気を背景に、より洗練された都会的なサウンドや、個性の強いアーティストが登場し、音楽メディアもデジタル化されたCDが主流となる。ニューミュージックも、やがて「シティ・ポップ」呼ばれるようになり、さらに1990年代以降には、グローバル化とともに、日本の音楽も海外に広がり出し、「J-POP」という言葉が一般化するようになった。

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