【文学コラム】06.野坂昭如、逝く(2015-12-11記)
1.チャタレー裁判
D・H・ローレンスの小説『チャタレー夫人の恋人』、伊藤整の翻訳が対象となった。原著の英国では、階級社会イギリスでの階級間の不倫恋愛がセンセーショナルとなったが、我国では、ひたすら細部の性描写だけが話題にされた。
D・H・ローレンスの小説『チャタレー夫人の恋人』、伊藤整の翻訳が対象となった。原著の英国では、階級社会イギリスでの階級間の不倫恋愛がセンセーショナルとなったが、我国では、ひたすら細部の性描写だけが話題にされた。
高校生のころ噂をきいて、英語の副読本として「チャタレー」の抜粋本を買って一石二鳥?を狙ったが、とても手に負えず数行で放置、二兎を追うものは・・・(笑)
2.悪徳の栄え裁判
マルキ・ド・サド『悪徳の栄え』を、澁澤龍彦が抄訳したもの。澁澤は、サド侯爵を本格的な文学者思想家として日本に紹介した第一人者であり、そのマニアックな博識は、いまも多くのファンを擁している。
マルキ・ド・サド『悪徳の栄え』を、澁澤龍彦が抄訳したもの。澁澤は、サド侯爵を本格的な文学者思想家として日本に紹介した第一人者であり、そのマニアックな博識は、いまも多くのファンを擁している。
高校生でたまたま、話題の澁澤龍彦の新書本「快楽主義の哲学」とか、適当に書き散らしたようなエッセー集を買って読んでいたが、クラスのだれかれが、その書名につられてひったくって回し読み、どこへ行ったか行方不明になってしまった。みな、エロ本と勘違いしたんだろな(笑)
3.四畳半襖の下張裁判
ニューヨーカー誌をまねて、都会的でモダンなセンスを目ざした『面白半分』という雑誌が発刊され、当時の著名作家などを半年交代制で編集長に起用していた。野坂昭如が二代目編集長のときに、伝説的な猥褻書で永井荷風の匿名での戯作と噂される『四畳半襖の下張』を全文掲載(とはいえ10頁程度の短文)した。『エロ事師たち』などの作品がある野坂だが、これは編集責任を問われた裁判であった。
「面白半分」のこれが掲載された号は、実は手元にある。狙って買ったわけではなくて、発刊以来購読してたら、たまたま発禁になったので残してある。それとなく借りた四畳半の部屋、破れたフスマから下張りの紙が見えていて、何気なく読むとこのような文が書いてあった、という風な書き出し。
本文は擬古文の文語体、とてもエロなど感じられる余地もない。しかも「大腰にスカスカと四五度攻むれば、、、」とか随所に擬音語が挿入されて、荷風の意図したユーモアさえ感じられる。これを猥褻と判じた裁判官は、よほど古文に熟達した人物だったのであらふ(笑)
*逝く年や 昭和は遠く なりにけり [何爺]
〇野坂昭如 初期作品つれづれ
〇野坂昭如 初期作品つれづれ
近未来SFでディストピアがブームのようだが、野坂のこの作品は、いわばダークファンタジーと言えるだろう。そして『火垂るの墓』に対するネガティヴなメルヘンでもある。
戦前から戦後にかけて、「骨餓身峠」という仮想の貧しい山間の炭鉱の寒村に、白く鮮やかに咲く死人葛(ほとけかずら)と、代々引き継がれる性と生と死の葛藤の物語。といっても抽象的すぎて分らないが、死人葛はその字のとおり、人の死体をのみ肥やしにして育ち、美しい花を咲かせ実を結ぶ。そして、その実が唯一、村人たちの命をつなぐ栄養源となる。
そして、兄と妹の間のそれ以外にあり得ない形での、近親相姦というおぞましい性と、兄が手に入れてきた生まれたばかりの赤子を、そのまま死人葛の肥やしに埋めるという、壮絶な生と死の近接。そして胸を病んだ兄は妹に、自分の死体を死人葛の肥料にせよと言って息を引き取る。このあたり、『火垂るの墓』で妹が亡くなる個所と対応する。
「火垂るの墓」で直木賞を取った翌年、「骨餓身峠」を書いている。前者をメルヘン風に描いた点への反省が、このようなおぞましいダークファンタジーへ向わせたのかもしれない。
その頃、神戸で遠藤周作の講演会があり、私も聴きに行った。ちょうど評判になっていた「骨餓身峠」を、この狐狸庵センセイは絶賛していた。『沈黙』の作者遠藤ならば「神の沈黙」を問うところだが、野坂は死人葛の白く鮮やかな花をそっと差し出したのであった。
「オモチャのチャチャチャ」でレコード大賞童謡作詞部門を受賞したあと、小説中央公論に「エロ事師」を連載し始めると、当時の文壇の中央に居た吉行淳之介や三島由紀夫に絶賛され、その後、長編として書き上げて一躍流行作家となった。
作中では、ブルーフィルム・トルコ風呂・白黒ショー・エロ写真・ゲイバーなどなど、当時の昭和風俗がカタログのように展開され、野坂独特の文体でユーモラスに描き出される。井原西鶴の俳文を連ねたような長い文体に、関西弁の会話が要所にはさまり、物語りは、義太夫や浪花節など上方文化固有の語りもののごとくテンポよくすすむ。
「エロ事師たち」が評判になると、同じノリで「とむらい師たち」を書く。「エロ事師たち」が「生と性」の狭間でたくましく生きる人間たちを描いたとすると、「とむらい師たち」は「生と死」の境界を生業(なりわい)とする人間たちの、生命力豊かなうごめきが描かれている。
・『アメリカひじき/火垂るの墓』
『火垂るの墓』がジブリのアニメであまりにも有名になってしまい、野坂昭如がその原作者であることを知る人も少ないかもしれない。この初期短編集は、『火垂るの墓』と『アメリカひじき』が昭和42年度下期の直木賞受賞作となり、他の初期短編と併せて刊行されたものである。
『火垂るの墓』がジブリのアニメであまりにも有名になってしまい、野坂昭如がその原作者であることを知る人も少ないかもしれない。この初期短編集は、『火垂るの墓』と『アメリカひじき』が昭和42年度下期の直木賞受賞作となり、他の初期短編と併せて刊行されたものである。
短編集のタイトルとしては『アメリカひじき』がむしろ先に置かれており、いわばこれがA面、『火垂るの墓』がB面という扱いになっている。野坂にとって「アメリカひじき」は、それほど思い入れのあった短編であったと思われる。「火垂る」が、戦時中に亡くなった幼い妹への抒情的な鎮魂歌であるとすれば、「ひじき」では、戦争を生き延びた「その後」を、散文的で滑稽な人間模様として描きだしている。
終戦直後、すでに進駐軍の占領下になっており、戦後の食糧難下で不定期にわずかな食糧が配給されてくる。希望するものが配給されるわけもなく、ときには進駐軍が提供する馴染みのない食糧とかも回ってくる。私たちが学校給食で悩まされた脱脂粉乳なども、当初は米国で家畜の飼料用の脱脂粉乳が提供されたのが始まりだという。
『アメリカひじき』は、野坂自身の戦後の焼跡闇市体験を題材にした作品で、敗戦直後の進駐軍に対する卑屈な経験を思い起こし、米軍の補給物資をくすねて分け合った経験など、滑稽な逸話が語られる。ドラム缶にいっぱい詰められた乾燥された真っ黒な粒子、はて何かといぶかるうちに、誰かが「ひじき」だという、つまり「アメリカひじき」というわけだ。
何度も煮だして濃い茶色のアク汁を捨て、やっと煮詰めた真っ黒な物質はなんともまずい。米軍は何でこんなまずいものを食ってるんだと嘲笑ったが、後日分かったところによると、それはブラックティー、つまり「紅茶」の葉を煮だして、出しがらの葉を食っていたというわけで、そんな惨めで恥ずかしい思い出が語られる。
『火垂るの墓』では、主人公の清太は死んでしまうことになっているが、『アメリカひじき』では、戦後を生き延びた俊夫という主人公の「その後」物語ともなっている。
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