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Ⅰ【文学コラム】14.「悲しみよこんにちは」とよもやま話

【文学コラム】14.「悲しみよこんにちは」とよもやま話


 NHK BSプレミアムで「悲しみよこんにちは」をやっているのを観た。フランソワーズ・サガンの原作も昔よんだが(朝吹登水子訳)、映画は1958年英米合作で、セリフは英語。モノクローム・ベースで、回想シーンだけがカラー。 
https://www.youtube.com/watch?v=-bxjMs3UboM

 新人ジーン・セバーグがヒロインのセシルに抜擢され、18歳の少女の潔癖さと残酷さを演じきっている。上映当時「セシル・カット」と呼ばれたショートカットヘアーが流行った。
デボラ・カー、デヴィッド・ニーヴン、ミレーヌ・ドモンジョという名優陣が脇をかため、よくできた映画になっている。

 さらに劇中では、戦後パリ、サン・ジェルマンに集うサルトルら実存主義者たちに、「実存主義者たちの歌姫」と呼ばれたジュリエット・グレコがテーマを歌う。これらの名前を並べるだけで、戦後欧州思想界を彷彿させる懐かしい世界が再現前されるようだ。

 18歳の「ジーン・セバーグ」は、1957年『悲しみよこんにちは』で、ヒロインのセシルに抜擢され一躍有名になり、彼女のヘアスタイルは「セシルカット」として大流行した。さらには、1959年、ジャン=リュック・ゴダールの初監督作品『勝手にしやがれ』に主演、ヌーヴェルヴァーグの寵児となる。しかし、その後はヒット作には恵まれなかった。

 その後アメリカで、公民権運動や反戦運動に傾倒し、ブラック・パンサーなどと関りFBIからマークされ、父親不明の子を孕んで流産するなど、かなり厄介な生活状態になっていたようだ。セバーグは精神面でバランスを崩し始め、ドラッグ、アルコール中毒、うつ病にはまり込み、パリ郊外の車の中で自殺遺体となって発見された。享年40。

 「フランソワーズ・サガン」は、18歳で出版された『悲しみよ こんにちは』で一躍文壇の寵児となり、以後、プチブル階級の男女の複雑な関係を描き続けた。若年での成功で、パリ、サン=ジェルマン=デ=プレで文学者ら名士らと交遊したが、当然悪い取り巻きも集まり、ドラッグ・アルコール・ギャンブル、バイセクなどゴシップクイーンとしても名を馳せた。晩年は経済破綻と薬物中毒に悩まされつつ、69歳で死去。

 「わたしが大嫌いなものはお金で買うことのできるものではなく、お金によって作られる人間関係やお金が大部分のフランス人に課している生活態度なのです」――プチブルに生まれ、プチブルから一歩も出ようとせず、プチブルの裏表世界を知り尽くした彼女の言葉であった。

 「悲しみよこんにちは」を読んでこの18歳の少女の才能に驚いた私は、さらに『ブラームスはお好き』を読んだ。新潮文庫版のカバーは、当時ブームだったベルナール・ビュフェのリトグラフがデザインされていた。「ブラームスはお好き」は、イヴ・モンタン&イングリッド・バーグマン主演で『さよならをもう一度』(1961)として映画化されたようだ。  
http://blog.goo.ne.jp/wangchai/e/7d3e55ca4f4b9fca99497a57a235f268

 「ベルナール・ビュフェ」は、パリで権威のある新人賞・批評家賞を受賞、若くして天才画家として有名になった。鋭く直線的な輪郭線、原色に近い明瞭な色彩で、無機質で機能的な都会生活での不安や苛立ちを表象した。日本でもバブル期、大企業のオフィスに最適な絵画として、リトグラフ作品がよく掲げられていた。

 ビュフェは、あまりにも早い時期に名声を得すぎたため、さらに、その素人にも分かりやすい画風のせいで、後年の作品ではマンネリ化が指摘され、飽きられていった。孤独にさいなまれる中で、パーキンソン病を患い、71歳で自らの命を絶つ。

 私自身、
額装業の友人を少し手伝ったときに、ビュフェの「アイリスと百合」を額装したものをもらった。サインとエディションNo.のあるリトグラフではなく、たぶん印刷の複製ものだったと思うが、いつの間にやらどこかへ消えてしまった。若くして世に出た才能たちも、パリで生き抜くのは大変なのだと知った。

(追補)
 この小説は「エレクトラ・コンプレックス」をテーマにしたものだとの指摘があったので、少し補足しておく。

 まずは、エディプス・コンプレックスだのエレクトラ・コンプレックスだのと、定式化されたものに沿って小説を理解するのは意味がないと思っている。とりわけ、エレクトラ・コンプレックスという概念には疑問がある。

 フロイトは、エディプス・コンプレックスをあくまで、秘匿された個人史を遡行することで解明しようとした。一方ユングは、それを人類の普遍史とした結果、神話に行きついた。そしてさらにそれを拡張して、人間の無意識の奧底には人類共通の素地(=集合的無意識)が存在すると考えた。

 フロイトが提唱しラカンによって定式化されたエディプス・コンプレックスは、主として男子が父親を通して社会化される過程を描き、それはあくまで男性中心社会を前提にしている。そして、女子の社会化は事実上無視されているが、これは事実上の男性社会では女子の社会化は望まれないで、むしろ抑圧される(家庭封じ込め)という現実を反映したものである。

 ユングは人間普遍を前提にするから、エディコンに対して別の理論が必要と考えたのだろうが、その提唱したエレクトラ・コンプレックスは、事実上「男性中心社会の下における女性の社会化」を取り扱うことになり、フェミニズムなどと絡めて拡散した議論にしかならない。日本でも、小此木啓吾などが「阿闍世コンプレックス」を提唱してたが、継承者は出てこないわけで、同上の理由による。

 エディコンは「パパ・ママ・ボク」の世界として図式化されるが、エレコンが描こうとする「パパ・ママ・ワタシ」の関係は、ママとワタシの関係が複雑な二重性をはらみ、シンプルに切り分けられない。それは、女性の社会化に抑圧的に働く男性中心社会が厳然と存在するからであり、そこでは「嫉妬」という社会化されえない感情の世界に紛れ込むからである。

 「悲しみよこんにちは」でも、セシルの攻撃対象となるのは、実の母親ではなく父親の愛人アンヌであった。だからこそアンヌを、自覚していない嫉妬による攻撃対象として描けたのわけで、あくまでセシル個人の、自覚していない嫉妬が引き起こした悲劇として理解すべきである。

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