【文学コラム】15.漱石における"明暗"
漱石は、本格的に作家としてやっていくために、朝日新聞に籍を置いて「虞美人草」を書いた。恋愛というエゴと、日常の打算というもう一つのエゴのせめぎ合いを、藤尾という女性キャラに照らし合わせて、分光してみせた。
しかし、私にはこの作品がいちばん面白かった。スタンダールの「赤と黒」みたいな心理活劇的絢爛さを感じながら読んだ。漱石の後半作品でのテーマを、すべて含んでいると思う。
「三四郎」に始まる三部作では、恋愛というエゴの行く末を描いた。三四郎の淡い思春期ロマンスが、「門」では、煮詰まった夫婦生活の小さな幸せへと収斂してゆく。ある意味、愛をネガティブに照射して見せたと言える。
後期三部作では、ロマンス要素の無き、日常の下でのエゴが描き出される。ロマンスを剥ぎ取られたエゴは、つまるところ「こころ」での先生の自殺に行き着く。日常でのエゴもまた、やはりネガティブなものとして描かれた。
漱石は「私の個人主義」では「自己本位」を説いて、エゴの重要性を主張している。一方で「則天去私」などということも言って、ある意味、矛盾を抱えているように思われるが、これは一つの「自己」というものの両面を表現したに過ぎない。
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