このブログを検索

Ⅹ【マインドフルネス】03.長岡真意子氏との応答

Ⅹ【マインドフルネス】03.長岡真意子氏との応答


2014/10/24「毎日歯を磨くようにマインドを整える」
http://kosodatekyua.com/2014/10/mainichihawomigakusyounimindwototonoeru/


>>Sasaki,Nobuo
October 25, 2014
》叩きのめすでもなく、緩み過ぎるでもなく、そのバランスをどうとっていくかだよね《

 私の場合は、「鬱を克服する」とかいう発想はある時点で捨てましたね。むしろ、「鬱とうまく付き合っていく」とか「鬱を手なずける」という方向に考えて、気楽になった。そう考えると力みが抜けて、バランスがとれた付き合いができるようになったと思います。

 つまり、ひとより少し風邪を引きやすい体質みたいなもんだと考えて、引きそうだなと感じたときに適当なケアをして悪化しないようにする。ある時期まで抗鬱剤が手ばなせなくて、常に持ち歩いていた。で、少しおかしいなと思ったら、それを飲んで気配を散らせていたけど、今ではすっかり薬も必要としなくなってます。

 そういう「鬱との付き合い方」の面で言うと、私の場合は森田療法でしたが、マインドフルネスの考え方や実践がとても役に立つと思います。ちょいと呼吸を整えるとか、普段からコツをつかんでいると薬にたよる必要もないし、いざとなればこれで何とかなるという安心感もあります。薬を手放せなかったのも、そういう安心料だったのだと、今では思われますね。

 禅仏教では、心を丹田におさめる、という言い方をしますね。丹田がどこにあるかよく分からないけど、体の重心みたいな場所でしょう。心臓に心があるとか頭で考えるとか、実際よりは頭でっかちで重力バランスが狂いがちなのが人間ですね。さらに、マインドは糸の切れた凧のように勝手に飛翔したりもします。そういう状況で、丹田ないし体の重心にマインドを結びつけて、そこで自在に活動させるような状態が理想だと思われます。

 鬱というのはマインドが極端に振れる状況ですが、通常の状況でも同じでしょう。人のあらゆる生活場面で、マインドフルネスは有効だと思いますよ。子育てなんて、こちらが振れなくても、勝手にあっちこっち振れまくってくれるでしょうし(笑)


>>長岡真意子
October 27, 2014
 佐々木さん、コメントありがとうございます!

 「治す」ではなく、「鬱とどう付き合うか」と発想を変えたことで、力が抜けていいバランスがとれるようになられたんですね。「風邪を引きやすい体質」というぐらいの捉え方で、風邪をひきそうになると、ちょっと厚めの服を着てみたりお風呂に入って温かいものをいただいて早めに寝たりするように、鬱病もちょっと悪化しそうだなと思うと、薬を飲まれたりとされていたと。なるほどです。

 「体質」とうまくつきあっていく、そう思うと、変えていかなければ!と意気込むよりも、確かにリラックスして向き合えますね。マインドフルネスでも、「治そう」という気持ちは横においておいてくださいというようなことを最初に言われます。逆に「全く効きやしないよ」という姿勢でもなかなか難しいのですが。結果を求めて期待し過ぎず、気持ちをオープンにしているような状態がいいんですね。

 森田療法などを試され、マインドフルネスの呼吸やコツなども、安心料として役に立つと思われるとのこと、記事の友人も佐々木さんの言葉に励まされると思います。

 昨夜ももう一人やってみたいなあという友人と話して、一緒に試してみようということになりました。俳句を作る方達でもあり、わいわいと楽しく取り組んでいきます。

 「頭でっかちで重力バランスが狂いがちなのが人間」、まさしくそう思います! マインドフルネスも、頭がぱんぱんになっているところを、下に下にと下ろしていくようなイメージです。禅仏教では丹田なんですね。確かに普段「腹が据わる」どころか、頭ばかりに重心がいってよろよろと何ともバランスが悪いと感じています。熊野の修験道の方と話していた時、「左足の親指」で考えるんだとおっしゃっていた言葉を思い出すことがあります。マインドフルネスでは歩いている場合は地面や、椅子に座っているならば椅子との「接点」を意識するというようなことを言うことがあるのですが、確かに意識を「接点」へとシフトさせることで、すっと落ち着く感があります。

 「問題を抱えている」場合から、「よりヘルシーに」まで、日常的にバランスをメインテナンスできる術を身につけられたらいいなと思ってます。子育て、本当ですよ、毎日そりゃもう勢い良くぶんぶん振り切れさせてくれます。(笑) そんな中日々、マインドフルネスに随分助けられている、そう実感しています。

 佐々木さん、ありがとうございます! そちら日本は月曜日始まりましたね。こちらは日曜日、今からパンケーキ作ります。良い日々を!


>>Sasaki,Nobuo
October 30, 2014
http://logmi.jp/26481
 ”TED”からの抜粋なので、論旨がたどりにくいようですが、面白いことを言ってるように思いました。

 私たちには「経験の自己」と「記憶の自己」とがあって、物事の判断や行動指針にそれらが関与します。で、極端な例外的経験が記憶に残りやすいので、「記憶の自己」に判断させると、偏った決定をしがちになるようです。

 「経験の自己」として、平和で幸福な経験の時間が圧倒的に多いにもかかわらず、ちょっとしたトラブルに悩まされたりすると、それが「記憶の自己」に強くインプットされて、不幸感の方が多く占めたりするということですね。

 これは「飛翔するマインド」を放置して「プリゼントにフォーカス」すると言うのに似ていませんか。せっかく平和で幸福なプリゼントを忘れて、あれやこれや過去や未来の勝手な想像のために悩んだりしてるんじゃないですか、という話として理解してみました。

 「平和は単調で退屈だが、戦争はそれぞれに個性的で刺激的である」というような話を聞いたような気がしますが、同様に「幸福は退屈で記憶に残らないが、不幸な出来事は記憶に残りやすい」ということでしょう。

 恋人たちが、恋愛中の幸せな日々よりも、別れたときの出来事が記憶に強くインプットされるようなもんだけど、そのような「記憶の自己」で一切恋愛をしないという決断をしたら、それこそ不幸な判断になりかねない(笑)


>>長岡真意子
November 1, 2014
 佐々木さん、コメントありがとうございます!

 「長い間幸福について考えあぐねている学者の一人」という心理学行動経済学者のダニエル・カーネマン氏の幸福についての説明、とても興味深かったです。

 幸福を妨げる要因には、「経験の自己」と「記憶の自己」との混同があると。

 楽しく満たされた瞬間がたくさんあったとしても、少しでも嫌な体験が加わると全てが嫌な出来事として記憶に残ってしまうことがある。素晴らしい音楽の最後にとんでもない雑音が聞こえたり、大腸内視鏡検査の実験でもあるように最後に嫌な目にどかんと会ったりするなら、それまでの全ての体験がもう最悪のものとして記憶に残ってしまったり。

 なるほどです、それは確かに、「プリゼント」から離れ、「飛翔するマインド」にがんじがらめになっている状態とも、言えるのかもしれません。

 瞬間瞬間の体験がそのままフェアにとらえられるのではなく、偏った記憶としてゆがめられ、それらが「幸福である/ない」という判断に用いられてしまう。

 確かに氏が言うように、「幸福というのはもっと複雑なもの」なのだと、自らの瞬間瞬間の体験をフェアに眺め直してみる必要があるのかもしれません。

 平和と戦争、幸福と不幸、瞬間瞬間の平和や幸福により気がつき、それらがより「幸福である」という判断に組み込まれていくのならば、また人も社会も変わっていくのかもしれませんね。

 恋愛、本当ですね。確かに体験した瞬間瞬間の喜びを、フェアに眺めて。ポジティブ、ネガティブ、どちらにしてもワンサイドだけをみるのなら、「ファンタジー」でしかなくて。ファンタジーから抜ける時、次へのステップも開けるのかもしれません。

 いつもはっとさせられる言葉の数々、ありがとうございます。今日はハロウィン、長い夜になりそうですよ。そちらは週末ですね、佐々木さん、どうぞゆったりとお楽しみください!

 
>>Sasaki,Nobuo
November 1, 2014
 補足です。幸福と不幸に関する名言、出典が分かったので記しておきます。内容の記憶もあいまいでした。

》「すべての幸福な家庭は互いに似ている。不幸な家庭はそれぞれの仕方で不幸である。『アンナ・カレーニナ』《

 あと、夢についてですが、我々が目が覚めたときに覚えている夢は、目覚めの数秒前に見たものだけで、寝ている間には膨大な夢を見ているのだけれど、起きたときにはすっかり忘れているのだという話も、どこかで聞きました。人間の脳はしっかりしているようで、いろんなとこで欺かれていることも多いようですね。「脳自身の過ちは脳自身では気づけない」といったことは心しておくべきかも知れません。

 
>>長岡真意子
November 2, 2014
 佐々木さん、ありがとうございます!

 『アンナ・カレーニナ』からだったんですね。違う作品になりますが、トルストイの『懺悔』は、私自身学生時代何度も読み直し、心の奥底に響き続けていた作品なんです。最後は「夢」の話で終わっているのですが、とてつもない高い場所でチューブのようなものに横たわっていて、それでも、「大丈夫」だということを覚えておく、というような内容だったと思います。頭ではちんぷんかんぷんだったこの「大丈夫」という感覚が、年月を経、以前よりは感じられるようになったかなと。

 マインドフルネスも、この「大丈夫」といった「戻る場」のようなものを、観念ではなく、呼吸にフォーカスしたりと、感覚として身体化していく作業なのかなとも思っています。

 夢は私自身よく見て覚えている方だと思うのですが、確かに、膨大に見ている中のほんの一部分なのかもしれません。

「人間の脳はしっかりしているようで、いろんなとこで欺かれていることも多い」
 覚えておきます。点を全体化してしまう粗さ、見つめていきたいです。

「脳自身の過ちは脳自身では気づけない」
 実感しています。ちょこちょこ軌道修正するには、身体感覚が有効だと。
いつもありがとうございます! 日曜日、お楽しみくださいね。 感謝を込めて。

Ⅹ【マインドフルネス】02.長岡真意子氏との応答

Ⅹ【マインドフルネス】02.長岡真意子氏との応答

マインドフルネス
2014/09/22「子育て幻想、幸せ感の平均値と瞬間瞬間の幸せ感と」
http://kosodatekyua.com/2014/09/kosodatenitsuitenogensou-shiawasekannoheikinchitosyunkansyunnkanoshiawasekann/


>>Sasaki,Nobuo
September 28, 2014 - 1:27 am | Permalink
 このグラフはおもしろいですね。思わず、私ぐらいの年齢の日本人で、仕事人間として子育ては妻まかせ、サラリーマンを定年まで続けた男性のグラフを想定しました。その想像される単純さから、このグラフに重ねると皮肉な結果が出そうで笑ってしまった。

 それはさておき、思春期・青年期の振幅は分るとして、子育て期にも大きく振れるのは盲点でした。青年期といえば、大人の仲間入りをして、本格的に「他者」と向かい合うことになる時期。ことに恋愛などは、異性(でなくても良いが)という最も身近な他者経験の場でもあります。いささか無理があるでしょうが、子育て期の子供というのも、母親にとって「最も身近な他者」とは言えないでしょうか。

 「最も身近な他者」という語義矛盾とも思える状況こそ、まさに「幸せ感の振れ幅」を大きくするものではないかと思います。家族という枠組みの中では他者でも他人でもないわけですが、それが一対一で母親と子供が向かい合うとき、そこでは他者としての顔をもちます。なんといっても、子供の重要な仕事の一つは、そういう親から独り立ちして、他者として独立していくことでしょう。その過程での苛立ちが、反抗期として表れるんじゃないでしょうか。親にしても、独り立ちさせるのが目的であっても、一方でそうさせたくないというアンビバレントな情況があるはずです。

 子供は親に対して、一方で甘えるかと思えば、反発したりするでしょう。他方で、親がついうっかりしてしまいそうなのが、子供をダブルバインドにするような言動でしょうか。独り立ちさせようと、自分ひとりでやりなさいと突き放しながら、あれやこれや心配して構いすぎるような状況とかですね。このような「最も身近な他者」と日々直面していれば、それこそ幸福感の振幅が極大するのも無理はないと思われます。

 前に触れたと思いますが、今、さる学者さんの日記をデジタル化する作業をしてます。その人の訳書に、マイスター・エックハルト『神の慰めの書』というのがあるのですが、その中に次のような一節があります。

「神は在(いま)す。神は私よりも私に近く在す」

 この「神」と「私」の位置関係はどうなってるんでしょうか、分らないですね(笑) この「神」の代りに先ほどの「他者」である、恋愛の相手であったり子育て中の子供を入れてみればどうなるでしょうか。これが私のイメージする「最も身近な他者」との関係構造です。目の前で勝手な振る舞いをして迷惑者なのに、「私より大事」な恋人であったり子供であったり、と。

 とまあ、勝手な想像をしてました。冒頭に述べた男性モデルでは、このような他者との遭遇をまったく無しに定年まで過ごしてしまう状況を想定しました。シンプルそのままで定年まで過ごしてしまい、気が付いたら何も残ってなかったというモデルを思い浮かべて苦笑してました。それに比して、女性の人生は見事に分節されている、という言葉をそのまま現したグラフだと思いましたです。でわまた。


>>長岡真意子
September 30, 2014 - 2:47 am | Permalink
 佐々木さん、コメントありがとうございます!

 「最も身近な他者」との体験が、ダイナミックな幸福感の振れ幅に関係しているというの、なるほど!です。思春期は「性」を意識することで、またそれまで自分との境界が曖昧でもあった親をより「他者」として意識することで、「最も身近な他者」との葛藤が激しくなる時期。

 そして親となり体験する、子供との関係。「自分の一部のようであり、自分とは全く違う存在」と、日々四六時中密に過ごす子育て期。

 「過干渉」と「ほったらかし」の間を行き来しながら、何とかちょうどいい着地点はないものかと模索し。自立独立をゴールに据えながらも、「自分の一部」のような錯覚から、ついつい自分の枠内に囲ったままにしておきたいと動いていたり。子育てはまさしく「アンビバレントな情況」の中での試行錯誤です。

 マイスター・エックハルト氏の、「私より私に近い存在」と「神」について表した言葉を、思春期の恋愛対象や、子供に置き換えてみる。すると、なぜこうも幸福感がアップダウンするのかと、見えてくるようでもあるというの、とてもストンと納得しました。

 「自分自身より大事な存在が、目の前で迷惑なこともしてくれる」、まさしく! そこに深く自身の存在がえぐられるような落ち込みも体験し、同時に、自身を超え大切に感じるものがあるという深い部分での喜びも味わうことになる。

 「自分自身より大事な存在」、恋愛対象や子供の先に、神学者エックハルト氏の言う「神」といった超越した存在があるなら、「救い」ですね。そうならば、そこに行き着く前で、アップダウンのジェットコースターに乗っている毎日も、ぎゃーと叫びながらも、楽しんでいる自身を見出せるのかもしれません。

 この「子育て期を体験せず定年までサラリーマンの父親」というの、年月と共に変化してきていますね。こちら米国でも、父親が子供と過ごす平均時間は、1965年では一週間に2.6時間だったのに対し、2000年には6.5時間に、専業主夫(stay-at-home father)も十年前に比べると三倍に増えているなんていうデータなどあります(少し前にまとめたものを見返してました)。七十年代には、「オムツなど替えたことがない」という男性がほとんどだったのに対し、今では「オムツを替えたことがない」というのは恥ずかしいという認識が、父親の間にあるとか。

 私自身、父と共に家族で団欒といった思い出は、本当に少ししかありません。それでも成人して随分してから、「直接的に育児に関わらずともどれほど家族のことを思っていたか」というような言葉を父から聞き、はっとさせられたことがあります。密に過ごすということはなかったものの、「自分自身より大事な存在」、そこに確かに「会社」や「組織」の他に、「家族」というものがあった、ただ表され方が違ったんだなと。

 これからは、ますますパートナー共に子育て期のアップダウンを体験するカップルが増えていくのでしょうね。母より父のみでということもあるのでしょう。
佐々木さんのコメントに、子育ての日常の中で、また違った角度から様々眺める機会をいただいています。ありがとうございます。こちらも月曜日始まりました。当たり一面黄金色。まぶしーです。どうぞよき日々をお過ごしください!


>>Sasaki,Nobuo
September 30, 2014 - 5:10 am | Permalink
 コメントへのお返事を見て、これまでの話題との関連を考えてみました。畢竟「最も身近な他者」との葛藤というのは、前回の話題にてらすと、小我と大我との間を行き来する体験に相当するのではないかと思いました。


>>長岡真意子
October 1, 2014 - 2:04 am | Permalink
 他者との葛藤を通し、自分の枠を超え、より大きな自分を見出していく、そう志向していけたら。葛藤の中で、とてつもなく小さな自分、エゴにまみれた自分と付き合いつつ。そんなことを思います。ありがとうございます。佐々木さん、どうぞ今日も良い日をお過ごしください!

Ⅹ【マインドフルネス】01.長岡真意子氏との応答

【マインドフルネス】01.長岡真意子氏との応答


(注記)長岡真意子さん主催『ユア子育てスタジオ』より、彼女とのコメント応答を転載させていただきます。五人の子供さんを育てながら、子育ての実践と探求のブログ連載記事です。
https://kosodatekyua.com/profile/

 その忙しい子育て生活の中で、自分や子供の健全な心の維持の方法を「マインドフルネス」というメソッドに見つけられているようです。メインの子育てには私にコメントする余地がないのですが、マインドフルネスに関しては、私にも思い当たることが多く何回かコメントさせていただきました。

 やりとりは昨年の今ごろのことですが、ブログでは奥に沈んでしまっているので、備忘録を兼ねてこちらに掲載します。本文については、冒頭にリンクを置きますので、そちらを参照してください。

 「マインドフルネス」については、記事の中で展開されているので自然に理解できるはずですが、日本の禅の考え方にも通じるところが多く、むしろ日本人には解りやすいメソッドではないかと思います。私個人としては、若い時の「鬱病」との対応で非常に役立ったと思っており、その時の体験などをコメントしています。

なお下記『オールアバウト』でも「子育てガイド」として、実践ガイドを展開されております。
http://allabout.co.jp/gm/gp/1648/


2014/09/13「誰もが手に入れられる幸せへの鍵? マインドを整える習慣」
http://kosodatekyua.com/2014/09/darenidemoteniirerarerushiawasehenokagi/


>>Sasaki,Nobuo
September 17, 2014 - 3:22 pm | Permalink
 マインドフルネスという言葉は初見ですが、おもえば若い時期に鬱状態を経験して以来、ひたすらこういう思考を追い続けていたと思われます。押入れの暗闇にこもって、鬱固有の超ネガティブ思考でもがいてた時、なんとかしようと手に入れたのが、「森田療法」という大正時代に開発されたという古くさい精神療法の本。

 あれもこれも自分が悪いせいだ、という根拠も無い自責の念から逃れようとあがくのだが、より蟻地獄にはまって行く心境の時に、森田の説く「あるがままの自分を認めよ」という言葉に、ほっとする思いがした。まさしく、「ワンダーするマインド」を放置して「プリゼントにフォーカスせよ」ということです。森田博士自身の参禅体験から編み出した療法だということであった。もちろん欝は器質的な病気でもあるので、心の持ち方だけでは快癒せず薬や物理療法も併用したが、精神的な支えになったのは確かです。

 その流れから、禅仏教にはまる時期があった。「大法輪」という佛教雑誌を講読して、部屋で線香たいて座禅の真似事。しかし知れば知るほど、自分に「さとり」なんかとうてい無理という気持ちの方が強くなった。そこであっさり全部おっぽり出して、その次がニーチェだったのです(笑)

 勝手よみのニーチェだから詳細は省きますが、ようするに「勝手気ままにふるまえ!」というメッセージをニーチェから受け取ったわけです。我がままを通せば世間から排除されるという不安はぬぐえず、自然のままに出来るわけも無く、当初は世の中の「当たり前」に反発するという、意志的な方法でしたが、やっているうちに、思ったほどのバッシングもなく、むしろ面白い人間として相手にされる方が多くなった。

 それまでは、自分でも間違いなく、何の興味ももたらさない人間だと思っていたので、これは痛快な出来事でした。「我がまま」と「自分勝手」とは似て非なる部分があると思っています。我がままは、他人の我がままを許せないのですが、自分勝手は、他人の自分勝手も、しょうがないなあとおおらかに受容れてしまいます(笑)

 つまり、自在にマインドはワンダーしながら、必要とあらばいつでもプリゼントにフォーカスするという手法を、なんとなくデタラメに実践していたわけですね。そんなわけで、いまでは歳をとればとるほど、なんとなく日常を楽しむようになってます。さすがに霞を食べて生きるわけには行きませんが、必要な分だけあれば十分、雲の上で寝ころぶ久米の仙人みたいに、たまには地上の女の太ももを見て落っこちたりするのもいいかな、といった心境で過ごしてます(笑)

 女性は、自分の心と身体の関係が密接で、さらには子育てと、いやでもプリゼントに向き合わされる機会が多いでしょうね。そのぶん、心身のストレスも多いと思います。女性の生涯は、昆虫の「変体」のように、その時期ごとに分節されていると、とある女性が言いました。その状況に合せた耐性を得るための必然なんでしょうね。これからも大変でしょうが、それなりに脱皮分節しながらプリゼントしていってください。


>>長岡真意子
September 18, 2014 - 10:39 am | Permalink
 佐々木さん、コメントありがとうございます!
私が佐々木さんにお会いした二十年ほど前とは、この「超人」ニーチェ時代を謳歌されてからのことだったんですね。当時、様々なことを教えていただき感謝しています。

 「自分勝手」というのは、「我がまま」とは違い、自身と他者の「あるがまま(プリゼント)」を受け入れることにもなり、「自分勝手」に振舞ってみることで、「自在にマインドはワンダーしながら、必要とあらばいつでもプリゼントにフォーカスを実践していたとも言えるかもしれない」というの、なるほどーと思いました。

 「バッシングより、かえって面白いと相手にされた」というの、まさしく!と佐々木さんの当時の様子を思い出します。

 そこに至るまでの、「森田療法」や仏教雑誌を読むなど禅仏教にはまられたという若かりし頃の様子、佐々木さんが、そういうところを通られているとは全く知りませんでした。佐々木さんの奥深さの所以を見させていただいた気持ちです。シェアしてくださってありがとうございます。

 米国のマインドフルネスの流れというのは、いわゆる「さとり」とも呼ばれることのある「プリゼントにフォーカスした状態」というのが、「ヒトの心身にとってヘルシーである」という科学的研究に基づいているようです。

 「さとり」というと、どこか遥か遠いところにあるようで、長い間修行を積んだ特別な者のみがたどり着ける境地と感じますが、もし「さとり」を「プリゼントにフォーカスした状態」とするならば、五感や呼吸にフォーカスしてマインドワンダーにはまり込んでない状態に自ら整えるということは、誰もがちょっと集中すればできてしまう。それこそ仕事の合間や台所で料理中やの「リフレッシュメント」として用いていきましょうよというのが、マインドフルネスでもあると感じています。

 宗教的で深遠に感じる「さとり」の世界が、医療機関やカウンセリングの場などで、「よりヘルシーになるために有効」と合理的に切り取られ用いられ。二分間瞑想でプリゼントにフォーカスし、今日も朝からすっきりクリエイティブに仕事に向かいましょうと、現代の流れを引っ張る様々な企業(グーグルやインテルや)が、雇用者にマインドフルネストレーニングを用いていたりもする。

 科学的に効果が証明されたのなら、どんどん使ってみましょうという欧米。対し日本では、やはり長い間歴史を持つ禅思想や「さとり」や「解脱」といった概念が根付いているので、なかなかこう「ポップ」にはいかないかもしれません。

 「このプリゼントにフォーカスすることで心身ともにヘルシーになる」についての科学的データは多くあり(トレーニングを経て何人の○○な症状が何パーセント改善といったもの)、瞑想時の脳の仕組みへの変化などの研究もありますが、ではなぜそうなるのか?

 「プリゼントにフォーカスした状態が心身ともにヘルシー」というところまでは、エビデンスが多くあり、それでも後の「ではどうしてか?」の説明部分は、個人的な体験を通した言葉の問題ですね。

 アインシュタインの「ヒトは自身の体験や思考や感情、それは意識の錯覚(optical delusion)のようなものなのだけれど、それらを通し、全体から隔たれている」という言葉などを用いて説明されているのを見かけたりします。「プリゼントにフォーカスした状態」というのは、この「意識の錯覚」から抜け、全体を感じている状態であると。そこにヒト自身のヒーリングパワーもあり、深い安心感を得るソースがあると。

 この「ではなぜそうなるのか?」という問いへは、今のところ「不可知な領域」であるため、こうした宗教的な説明しかできない。ここから、「なんだかとっつきにくい」なども生まれるのでしょうね。

 実践体験を通し私自身は、「ソースに至る深い安心感」という感覚、とても納得しています。

 もらいコメントでとめどなくつらづらと思いを綴ってしまいました。

 「女性の生涯は、昆虫の変体のように、その時期ごとに分節されている」、そうかもしれません。卵から幼虫、さなぎ、成虫。子供が成人するまでというのは、母親はさなぎ期間なのかもしれませんね。ぱーと自ら開くわけでもなく、それでも同時に内側でこつこつと自ら成虫となる準備を続けられる期間でもあり。5人が成人するまで・・・長いですけどね。(笑)

 読んで下さりありがとうございます。佐々木さん、今日もよい夢を!


>>Sasaki,Nobuo
September 18, 2014 - 5:33 pm | Permalink
 「全体から隔たれている」という状況を、佛教では「大我(たいが)」と「小我(しょうが)」という言葉で説明してましたね。われわれが普通に思っている「エゴ・自我」といったものは小我とされます。「全体から隔たれている我れ」ですね。そのエゴを突き詰めていくと、必ず他者との葛藤が現われます。それを調整するのが宗教であったり法(law)であったりするんですが、どちらもなかなか馴染めません。

 そこで佛教では大我というのを持ち出してきます。大我とは、他人も自己も一緒に飲み込んだような我れであって、世界全体とつながっている我れなんですね。仏性とか悟りとかいろんな言葉で言われますが、はてどんなものか経験してない限りさっぱりわからない。

 もっと単純に、狭いケチな利害に捉われてる我れ(小我)をおっぽり出して、自分勝手にやって出てくるものにその都度対応すればいいじゃないか、と考えるようになりました。固定的な善や悪などないし、その都度のより善なことを選ぶ感性の方が大事だと思いました。

 カッコよく言えば、その都度の「今あるがまま」に同期するってことでしかないんですねw そのときに素晴らしい大我が顕現してくる。思っているよりもっとすごい自分があるってことです。これは事前に説明する方法がないし、その「自分」を信じて遂行していくしかないでしょう。おっしゃるように、実践体験を通し「ソースに至る深い安心感」という感覚を得るしかないでのしょうね。

 もちろん、その結果をトレースすれば、それなりのエビデンスは得られると思います。とまあ、こんなことを考えてたりします。


>>Sasaki,Nobuo
September 18, 2014 - 9:32 pm | Permalink
 日本語サイトでもマインドフルネスの紹介記事が出始めました。ビジネスユースの初歩的紹介のようですが、ご参考までに。
http://blogos.com/article/94737/?p=1


>>長岡真意子
September 19, 2014 - 11:12 pm | Permalink
 佐々木さん、コメントありがとうございます!

 「真我」と子供に名づけた知り合いがいたのを思い出しました。「真我」は「大我」と同じような位置づけと聞きます。仏教では、「世界全体と繋がっている我」こそが、真の我ということになるのですね。

 「小我であるエゴを突き詰めると、他者との葛藤が現れる」、それでも宗教や法がそれらを解決するかというとそうもいかない、そこで仏教では、「大我」という全体と調和した存在が、己の内に本来存在するという世界観が持ち出されてくると。

 一人一人の内に、個人を超え全体と調和する場が本来備わっているという世界観は、私自身感覚的にとてもしっくりきます。古代から様々な宗教のコアにある教えですね。

 過去未来と貫く「絶対的な善悪」などなくて、あったとしたら、それは確かに、観念的な思考の中のこと。今瞬間その都度の善による、それが「あるがままに同期すること」でもあり、そこに自分でもびっくりするようなびっぐな大我が現れると。

 この「一寸先の分からなさ」に不安感が生まれもするのですが、確かに、そこに「ソースに至る深い安心感」があるのならば、前にも後ろにも足場の見えない瞬間へと、飛び立っていけますね。

 とても深い感覚を、言葉にしていただいた気持ちです。

 blogosの記事の方、読ませていただきました。同じ筆者の方が、「米財界で禅が主流になった?教育、ビジネス、社会を変える「マインドフルネス革命」の兆し」 Blogos http://blogos.com/article/94073/ というようなものも少し前に書かれているのですね。次のこちらでの記事にも少し紹介させていただきました。

 こうして一気にブームのようになってしまうと、すたれるのも一気になってしまうのではないかと思ったりもしますが、マインドフルネス自体は長い歴史を持つもの、波の満ち引きに関係なく、進み続ける人々の群れがあるのでしょうね。

ありがとうございます! 佐々木さん、週末、ゆったりとお楽しみくださいね。


Ⅹ【マインドフルネス】00.長岡真意子氏との応答

Ⅹ【マインドフルネス】00.長岡真意子氏との応答


 「マインドフルネス」という言葉が、ぽつぽつと散見されるようになった。グーグルなどの先端企業が、社員のストレス解消やリラクゼーションに推奨するなどから評判を呼び、日本でもビジネス書籍などから紹介されるようになっている。

 ただし「マインドフルネス」は、本来はビジネス方面だけを目的としたものではなく、むしろ日常生活に瞑想法や呼吸術を採り入れ、生活そのものを捉えなおす思考法であり、ストレスや悩みから解放される生活術でもある。

 こう書くと、ある種の宗教性を感じるだろうし、マインドコントロールというカルトが使う手法を連想する人もいるかもしれない。実際、「マインドフルネス」は仏教、中でも禅仏教がベースになっているとされる。

 「マインドフルネス」という言葉が、ぽつぽつと散見されるようになった。グーグルなどの先端企業が、社員のストレス解消やリラクゼーションに推奨するなどから評判を呼び、日本でもビジネス書籍などから紹介されるようになっている。

 ただし「マインドフルネス」は、本来はビジネス方面だけを目的としたものではなく、むしろ日常生活に瞑想法や呼吸術を採り入れ、生活そのものを捉えなおす思考法であり、ストレスや悩みから解放される生活術でもある。

 そこから、呼吸法・瞑想法などの手法と、あるがままの自身を受容れるという考え方を受けつぎ、一方で、教団や経典などの宗教性を徹底的に取り去って、科学的なデータ検証でその成果を確認されつつあるものである。

 下記リンクは、「マインドフルネス」でアマゾン検索した結果であって、私自身はどれも読んでいないし、どれか特定のものを推奨するわけでもない。実際「マインドフルネス」を実践したこともないのであるが、これまでに私自身が考えて来た思考法、生き方にピッタリのものだったので興味をもったわけである。そのあたりは、長くなるので次項で書いてみたい。

 高校三年生になるころ鬱状態におちいり、家に引きこもったことがある。その時には物理療法などで回復したのだが、さらに大学生になってから再度、鬱病になった。通院治療を受けながらも、自身でもなんとかしようと書籍をあさったりした。そこで出会ったのが、森田正馬博士著『神経衰弱及強迫観念の根治法』(1958年刊)という書籍で、なんと旧漢字で印刷されている。

 その書籍で「森田療法」なるものの存在を知る。その考え方を一言で示せば「自身のあるがままを認めよ」ということであった。そしてその思考法は、森田博士の参禅体験からえられたものであったという。そこから私は、禅宗に関心を持ち、座禅会に参加するなど禅修行の真似事などもするようになった。

 当時は「鬱病」の明確な規定もなく、単に「神経衰弱」とか呼ばれていた。この本も鬱病そのものを対象にしたものではなかったが、不安神経症なども併発していたので、「あるがまま」の発想は大いに参考になった。そしてその思考こそ、仏教ないしは禅仏教の本質を為す考え方でもあった。

 小さいころから自意識過剰に悩まされた。みんなに好かれたくて他人に合わせようとするのだが、心の内ではエゴがうごめいて、それは当然相手にも分かる。いまから思うと、自己中心のうざい奴と思われていたに違いない。仏教では、そのように表層でただよう狭い自意識を「小我(しょうが)」と呼ぶ。

 一方で、仏教では人間の底にある本質には、みんなと繋がり合っている素晴らしい自分自身があるとする。それを「大我(たいが)」と呼ぶが、通常は小我に被われて現れて来ない。それがエゴとエゴのぶつかり合いの世界で、それぞれがストレスや悩みに取りつかれている世界でもある。

 そのような小我を取り去り、大我を出現させるために、禅宗では禅修行という伝統手法が用意されている。そして修業を積み、阿闍梨などと呼ばれ「悟り」を開いた人とされる。それを「仏」と呼ぶのであり、死んであれこれ悩まなくなった死人を「ほとけさん」と呼ぶのも、ここに一理はあるわけだ。

 しかし、そんな大層な修行生活を凡人が送るわけにも行かない。そのように神格化された「さとり」などに、今はこだわる必要はない。つまるところ、一つのことにこだわり、意識が一カ所に拘泥して硬直化することから、すべての問題が生じているのである。

 鴨長明「方丈記」の有名な冒頭に「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」とあるように、意識の中を様々な現象が移ろいすぎてゆくが、意識そのものは厳然として流れている、そのような状態が自在自我とでも言うもので、自由奔放に振る舞いながら世間を楽しむことができる。それが「さとり」だと考えれば良いのではないか。

 そこで私は仏教思想から離れた。漱石の「自分本位」を読み、ニーチェの「力への意志」を齧ったりした。それまで、自分自身を排除しようとしていたのだが、逆に、自分自身を前面に出すことを考えるようになった。自我を取り去るのではなくて、自我をより強固にしてステップアップするのだ。

 そうやって、私は徐々にではあるが、自分の言いたいことを言い、自分勝手に振る舞うようになった。最初のうちは、世間から排除されるのかと恐れたが、やってみると何のことはない、かえって世間に受け入れられるようになった。一つの事にこだわりそれに固執し続けるのではなく、その時その時次つぎと関心は移り変わってゆく。子供がオモチャをとり合うように、気まぐれな張り合いはコロコロ変わってゆく。それはいわば、子犬がじゃれ合ってるようなものだ。

 つまるところ、「小我」を取り去って「大我」に至るのではなく、「小我」を気ままに放置して自在に流れさせることによって、一つの事にこだわり続けない自在な流れが現れる。それが、「大我」であったというわけだ。森田博士の言う「あるがままを認めよ」というのは、そういうことであったのかと気が付いた。そのようなことに気が付きだしてからは、これということが無くても、好き勝手に振る舞いながら、歳を経るにしたがって日常が楽しくって仕方がない。

 そういう状況になってから、「マインドフルネス」という言葉と出会った。したがって、マインドフルネスを実行しているという意識は全くない。だが長年、我流でやってきたことが、まさに合理的科学的に実践する方法がそこにあったということである。

 マインドフルネスと出会ったのは、二十年以上前のネットでの知人、長岡真意子氏からであった。ひょんなことから二十年ぶりに、彼女のネットでの活動を知った。彼女は現在、チリ人の夫と5人の子供とともにアメリカで生活しているという。そして5人の子育てをしながら、子育て論を展開している。出産や子育ての過程で、さまざまな困難にぶち当り、そこで「マインドフルネス」と出会って切り抜け、その実践を子育てにも生かしているということである。

*「ユア子育てスタジオ」
http://kosodatekyua.com/profile/
 数年前に「ユア・スタジオ」のコメント欄での彼女との応答は、私のブログに転載してある。お互いの体験に即したマインドフルネス理解は、このブログを読んでもらうのがよいと思われる。

*ブログ「なにさま日記」


Ⅸ【歴史コラム】14.【皇道派・統制派、そして二・二六事件】

 【歴史コラム】14.【皇道派・統制派、そして二・二六事件】


 「皇道派」は、天皇親政の下での国家改造(昭和維新)を目指し、政財界の堕落を批判する陸軍士官学校(陸士)卒の若手将校たちが中心であったが、それに対して「統制派」は陸軍大学(陸大)出身者の上級エリートが主体で、陸軍の中堅幹部として、軍内の規律統制を尊重する穏健派が主体となった。


 皇道派は、「荒木貞夫」(大将)や「真崎甚三郎」(大将)をリーダーと仰ぎ、荒木が犬養内閣の陸軍大臣に就任し、陸軍内の主導権を握ると、真崎は参謀次長に就任し、実質上、参謀本部を取り仕切るようになった。荒木は、自分の閥で要職を固め、過激思想の青年将校らを東京の第1師団に集め、この頃から荒木・真崎の取り巻き連が皇道派と呼ばれるようになった。


 以前、荒木は教育総監部本部長、真崎は陸軍士官学校校長をつとめるなど、若手士官の教育に携わり、青年将校を中心に圧倒的な信望を集めていた。宇垣一成陸相のもとでの宇垣軍縮で、将校達の待遇が悪化し昇進も遅れると、青年将校たちの間で不平不満が激化、さらに昭和恐慌で農村が疲弊して、農村出身の青年将校たちは、宇垣ら軍閥を始め、財閥・重臣・官僚閥などがその因を作っていると考えた。


 荒木や真崎は、日露戦争時期を理想とし、天皇親政のもとで国体を明徴にし、日本の国力強化、軍の拡大が必須で、それを拒んでいる「君側の奸」を討つべしと唱え、青年将校らの崇敬を一身に集めた。しかし荒木や真崎には、明確な国体像や国政のビジョンはなく、青年将校らは思想家「北一輝」の国家社会主義的な政体思想などに指導された。


 それだけに、成果の見込みの有無を問わず危険な行動に走る皇道派を、危険視する空気が強く、犬養内閣時に荒木貞夫陸軍大臣に断行された露骨な皇道派優遇人事に、陸軍中堅層が反発し結集した結果、それが「統制派」とされるようになった。統制派には、皇道派のような明確なリーダーや指導者はおらず、初期の中心人物と目される陸軍省軍務局長の「永田鉄山」も、軍内での派閥行動には否定的な考えをもっていた。

 1934(s9)年11月には、皇道派青年将校と陸軍士官学校生徒らが重臣、元老を襲撃する計画「陸軍士官学校事件」が発覚する。その背景には皇道派と統制派の抗争があったとされるが、解明されず曖昧に処理された。さらに翌1935(s10)年8月、皇道派青年将校に共感する相沢三郎中佐が、統制派の軍務局長永田鉄山少将を、陸軍省において斬殺するという「相沢事件(永田斬殺事件)」を引き起こす。

 これらの事件では、荒木・真崎の関与は示されなかったが、荒木は1934年1月病気で陸相を辞任した。後任候補として真崎を望んだが容れられず、真崎は教育総監に回ったが、1935年教育総監をも罷免される。荒木の辞職、真崎の更迭によって、皇道派は中央での基盤を失い、焦った皇道派青年将校らが二・二六事件の暴発を引き起こすことになる。

 二・二六事件が鎮圧されたあと、荒木・真崎は直接の関与なしとなったが予備役になり、その他の皇道派の将校も予備役に追いやられ、大規模な粛軍人事によって皇道派はほぼ壊滅した。統制派では、相沢事件で暗殺された永田鉄山に代って、「東条英機」が中心に立ち、陸軍内での対立は統制派の勝利となると、陸軍内での勢力を急速に拡大し政治色を増してゆき、最終的に、東条英機の下で、全体主義色の強い東条内閣を成立させるに至る。


 二・二六事件で岡田啓介首相が辞任した後、短命内閣が続くが、1937年6月待望された近衛文麿内閣が成立する。近衛文麿内閣は、組閣直後に盧溝橋事件が起こり、日中戦争(支那事変)が勃発、不拡大方針を発表するが、軍部のコントロールに苦慮する。東条英機は、このとき陸軍次官として軍部の意向を代表し、1940年7月の第2次近衛内閣で陸軍大臣に就任する。


 優柔不断な近衛首相が右往左往するなか、対米戦争必至となると、近衛は内閣を投げ出し、1941年10月東条英機が首相拝命、ハルノートを受けて日米開戦となる。ところが実はこれらの背景に、「コミンテルン」(第三インター・国際共産主義運動の指導組織だが事実上スターリン支配下のソ連指揮下にあった)の工作員による大きな影響があったという説がある。


 近衛文麿首相の周辺や軍部の統制派の周りには、コミンテルンの工作員が多数配置されていて、日米開戦を促進させたとされ、また、アメリカのF・ルーズベルト政権の内部にも、日本との開戦を工作したスパイが存在したとされる。しかしこれらには明確な証拠がなく、日本の歴史学者の多くからは陰謀論扱いされてきており、主として右翼系研究者などから指摘されることが多い。

 しかし事実上、スターリン・ソ連の都合の良いように展開したという状況証拠だけでなく、日米開戦の直前には「ゾルゲ事件」が発覚し、近衛内閣嘱託の尾崎秀実も工作員だったことが判明し、コミンテルン工作の一端を覗かせた。また、「ベノナ文書」として、米国に潜入したソ連スパイがモスクワに配信した多数の暗号電文が、ソ連崩壊後に公開され、その中にも、米側に日本との開戦を促す動きが残されている。

 ヒトラーのドイツとの開戦を必至とみていたスターリンは、極東で日本と対立する2方面作戦は避けたい。そのため、公的には日ソ不可侵条約を結び、裏では日本の中枢に工作員を送り込み、日本軍の大陸勢力を南進させるように仕向けた。南進によって英・仏・蘭および米の権益と対立し、最終的に米と交戦するように工作させたというわけである。

Ⅸ【歴史コラム】13.【北野天満宮など散策】

【歴史コラム】13.【北野天満宮など散策】(2021.02.19)


 北野天満宮は承知の通り、右大臣菅原道真公が藤原氏の讒言で、九州大宰府に左遷され、当地で没した後、都では落雷などの凶事がが相次ぎ、菅公の祟りだとして恐れられた。そこで、朝廷は菅公の官位を復し、御霊を鎮めるのにつとめ、40年以上して都の子供に託宣があり、現在地の北野に道真を祀る社殿を造営し、これが北野天満宮となった。

 本来は、雷神となった道真公の御霊を鎮めるために祀られたが、学問の神として広く信仰されるようになり、現在では受験の神様として、受験生の絵馬がたくさん奉納されている。また、梅の花をこよなく愛した道真公ゆかりの梅は、境内にくまなく植えられ、この時期、最盛期を迎えている。

 さて昼時となり腹もへったので、弁当を買って「船岡山」のベンチで食べることになった。この船岡山は、何の変哲もない100m程度の小高い丘だが、まさに平安京大内裏の真北に位置し、歴史上、幾度も文献に登場する。

 まず、枕草子では「岡は船岡」と称えられ、「徒然草」では、都の葬送の地として、鳥部野などと並べて挙げられている。保元の乱の後に、敗北した源為義一族がここで処刑され、応仁の乱の際には、西軍の陣地が築かれ、周辺は激しい戦闘で焼け落ちたが、「西陣」の名称はこれが所縁となった。

 さらに、森鴎外は「興津弥五右衛門の遺書」という短編で、殉死を扱っている。明治天皇に殉死した乃木希典に衝撃を受けて、即日書き上げたと言われ、細川三斎の忠臣であった興津弥五右衛門は、三斎亡き後の始末をやり遂げ、殉死を願い出る。晴れて切腹を許された弥五右衛門は、細川家菩提寺の大徳寺高桐院を出て、切腹の場所とされた船岡山麓の仮屋まで、十八町の間に敷き詰められた藁筵の上を、晴れがましく歩んだという。

 なお、船岡山の東側には、織田信長を祀った建勲神社がある。船岡山は平安京の北方を護る四神相応の玄武に相当するとして、豊臣秀吉によって信長の廟所と定められたが、実現しないままだったのを、明治天皇により創建されたという謂れをもつ。

 曇り空で寒いので、昼を済ませてその足で、紫野今宮神社の参道にある「あぶり餅」を食べに行った。あぶり餅については、かつて詳しく書いたので下記リンクに任せるが、近年は評判を呼んで満席が多かったが、今回は感染症の影響で、がらがらの座敷に上がってゆっくりできた。半世紀前の高校時代、授業をさぼって、ここにたむろして時間を潰した思い出が、よみがえって来た。
https://naniuji.hatenablog.com/entry/2019/03/30/175544

 ちなみに船岡山で食べた弁当は、北大路橋西詰にある「グリルはせがわ」の持ち帰り弁当、ここも通常は1時間以上待つのが状態だった。高校の同級生がここの息子で、半世紀以上前から営業している洋食屋だが、近年、SNSなどで評判になり、観光客でいっぱいとなった。ハンバーグ弁当がウリで、ここで弁当を買って、川を渡った府立植物園で食べると、半日を千円程度で過ごせるデートスポットです(笑)

 久々に京都市内を知人と二人で車で散策した。少々肌寒いが梅の時期というので、まずは「北野天満宮」に参った。感染症のせいで参拝客は少なく、駐車場もフリーで停められた。信仰心も色気もない年寄り二人なので、ろくな拝礼もせず、十数分ほどまわりを見まわして帰るというありさまだった。

(天神信仰について)
 菅原道真が左遷されたのち、雷神として怖れられたため祀られたのが天満宮、と理解してきたが、それ以前から天神信仰というのがあったようだ。記紀によると、古来「天津神(あまつかみ)」と「国津神(くにつかみ)」とされる神があり、その天津神が「天神」とされるようになった。天満宮が天神さまと呼ばれるのは、その天神信仰と重ねられたためだとされる。

 天津神とは、天孫降臨伝説で「高天原から地上の葦原中津国に降りた神様とその子孫」だとされ、葦原中津国つまり地上での神様である国津神と区別されるということである。天津神は、イザナギノミコトとイザナギノミコトから生まれた神様とされ、代表的なのがアマテラスオオミカミ(天照大御神)である。

 とまあ、ここまでは神話世界の話だが、ちょいと調べてみると、日本国の誕生につながる壮大な話となってくる。柳田國男によると、「天津神を奉ずる渡来民族(水田稲作農耕民)によって山に追われた先住民が山人であるとし、山人は国津神を奉じた非稲作民であったとしている」ということである。

 これを私なりに噛み砕いてみると、もともと住んでいた「縄文人」を、大陸から先進文物を持ち込んだ渡来人系の「弥生人」が、先住民を東へ北へと追いやって行った歴史と重なる。つまり、縄文人の国津神を、弥生人の天津神が吸収合併していった歴史と繋がるのではないかと思われる。

 この先を考えると本一冊ぐらいになりそうだが、天(実際は大陸)から降臨した始祖の神様が、のちに雷神となって天から怒りを降り注いだ道真公の呪いと重なり、全国の「天神信仰」と重なりあわさって、各地に祀られたのではないか。とすれば、怒りの神が、学問など知恵の神を併せ持つようになった理由も納得できるわけだ(笑)

Ⅸ【歴史コラム】12.【映画「ゴッドファーザーⅡ」とキューバ革命】

【歴史コラム】12.【映画「ゴッドファーザーⅡ」とキューバ革命】


 1958年の末、キューバでは、カストロやゲバラの指揮する革命軍がハバナめざして進撃していた。アメリカ傀儡のバチスタ政権はほぼ崩壊の状況となり、12月31日の新春パーティで、バチスタは辞任演説をしている最中、宮殿にも人民が闖入してきて、翌1月1日そのまま隣国に亡命した。まもなく首都ハバナは革命軍によって制圧され、8日にはカストロがハバナ入りし、名実ともに革命軍の勝利が確定した。

 このバチスタ政権崩壊の模様は、映画「ゴッドファーザーⅡ」で描かれている。マイケルは、キューバに君臨するマフィアのドンに招かれ、バチスタ大統領主催の年越しパーティーに臨席する。そのバチスタが演説するさなか、革命軍が乱入してきて騒乱が会場を襲う。マイケルは群衆の中を空港へ逃げるが、途中で見かけた兄フレドは、マイケルを恐れるように群衆に紛れる。ドラマの重要な伏線が、歴史的事件を背景に描かれる。