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Ⅶ【サブカル関連コラム】12.【漫画家ジョージ秋山追悼】

【サブカル関連コラム】12.【漫画家ジョージ秋山追悼】


>「浮浪雲」「銭ゲバ」のジョージ秋山氏死去

  ジョージ秋山といえば「浮浪雲」で有名だが、漫画家としての彼の変身を3段階みてきた。60年代後半に少年マガジンなどで「ほらふきドンドン」「デロリンマン」といったギャグ漫画を連載し、注目していた。

 当時は大学生などが平気で少年漫画を読みだすハシリだった。そこでは、手塚などの従来の少年漫画に対して、赤塚不二夫・永井豪・谷岡ヤスジなど、過激なギャグマンガが登場し、当時のPTAなどの顔をしかめさせた。

 しかし若者の反体制運動が盛んなのと並行して、かれらの過激さは学生たちからも歓迎された。ジョージ秋山もそのうちの一人だった。

 「デロリンマン」などはズッコケるギャグとしての悪だったが、その後、ジョージ秋山は「銭ゲバ」や「アシュラ」など、純然たる悪を世に問う路線を取り出した。ただしわたし自身は、あまりにも意図的に構成された悪だと思った。

 そのあまりにも極端な悪が世間から糾弾され、有害図書指定されるなどして逆風が吹くと、ジョージ秋山は「告白」を連載し、虚実ないまぜた上で、すべての連載を終了させて引退宣言する。

 数か月後に復帰すると、すっかり作風を変えて、やがて「浮浪雲」にたどり着く。このような彼の「変節」を知るわたしとしては、素朴に「浮浪雲」を彼の代表作として済ませられない気がする。

 このあたりは、彼の漫画家としての出発点まで戻って検証する必要があると思われる。


(追補)2022.12.18
 この人の作風の三段階の変化が気になっていたので、ちょいと経歴を調べてみた。戦争末期に在日二世として生まれて、戦後の子供時代は極貧生活を経験、中卒で上京して神田の貸本漫画の取次店に就職したという。

 漫画家を目指すがなかなか芽が出ず、下積みが続いたようだが、ちょうどサンデー・マガジンという漫画週刊誌の創刊があり、そのブームに乗ったらしい。私が「ほらふきドンドン」などを読んで面白いと思ったのはその時期だった。

 やがて「銭ゲバ」や「アシュラ」など悪魔系作品の連載を始める。手塚治虫や寺田ヒロオなど、ほのぼのヒューマニズムの漫画に浸ってた小学生の私には、ちょっとついて行けないものを感じた。話題になった極端な露悪的作品は、有害図書指定されるなど世間から集団砲火を浴び、売れっ子だった彼は、突然、すべての連載を止めて引退を宣言したりする。

 そしてその後、当時創刊された青年向け雑誌で復帰し、「浮浪(はぐれ)雲」の連載を始めた。初期のギャグ作品は、成り上り精神旺盛な頃の世間迎合的な作品で、その後、極端な「悪」を描き出したのが彼の本音であったのであろう。しかし、その極端に増幅した悪の描き方は受け入れられず、再度、転身する。その行きついた先が「浮浪雲」だった。

 とはいえ彼自身、世間のしがらみに縛られずマイペースの、「浮浪雲」のような生き方を獲得したわけではなく、それも願望の世界であったと思われる。漫画というツールを通して、極端な願望世界を描くというのは、彼の作家生活を通してあったわけで、彼自身「アシュラ」のような絶対悪をやったわけでもないだろう。

 ニーチェは「ツァラトゥストラ」の中で、ひとは生涯で三段の変化を経るという。「最初は駱駝、次に獅子と変化し、やがて赤子となる」、当初、ひたすら世間のしがらみという重荷を背負い続け、次に目覚めるとライオンとなって世間に反抗して食い破る、そして最後には赤ん坊みたいに安らかに思うままにふるまう。

 ジョージ秋山も、在日二世として生まれ、過酷な少年期を送ったという原初体験を背負い、かような「三段階の変化」を作品世界で描いて見せたのであろう。

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