【生活文化コラム】04.【内裏雛の左右は?】
古くから「左方上位」という考え方があり、たとえば律令官制で左大臣と右大臣では、左大臣が上位とされる。となれば帝と妃を模したとされる内裏雛でも、男性中心社会でしかも帝なのだから、当然左に男雛ということになる。ところがこの「左右」は、あくまで帝の位置から見てということになり、つまり内裏雛側からすれば、こちらから向かって右側が「左」ということになり、京都方式の向かって右に男雛がくるというのが正しいことになる。
これは平安京の左京・右京も、左右が逆に見えるのと同じ理屈である。つまり帝が内裏で南面に向かって立ち、その左手側に位置するのを左京としたわけで、北を上とする現在の地図では逆になる。左近の桜・右近の立花というのも同じで、紫宸殿から南面される帝からする左右で、紫宸殿に向かって見れば左右逆になる。
私が子供の時、奥の間の上に掲げてあった昭和天皇皇后の御真影も、かくのごとくであったと記憶している。そして令和の時代になっても、天皇・皇后は必ず同じ左右に並ばれることになっている。例えば御夫妻で海外を訪問されるとき、西洋の国王と妃と逆の並びだったら、違和感があるだろうから。
あとは余談だが、京都五山の送り火で、東山にあるメインの大文字は格別として、金閣寺裏山に、小さ目の「左大文字」というのがある。これに内裏雛と同じ原理を当てはめると「右大文字」になるはずではないかという疑問がわく。まあ地域の村民が、自分たちの祖先を送るために勝手に始めた山焼きが起源だというから、これは帝などの雲の上のお方とは関わりのないことなのかもしれない。
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