【生活文化コラム】05.【十円硬貨の記憶】
十円銅貨は昭和26年から製造を始めたらしい。となると、わたし自身は昭和23年生まれだから、3歳前後の記憶となる。三島由紀夫は「仮面の告白」で、生れたときの産湯を使う時の光景を憶えているなどとデタラメを書いている。
それはありえないが、3歳の記憶となると、結構早い時期だと思っていた。しかし調べてみると、発行されて流通しだしたのは28年かららしい。それだと5歳の時となるので、それならあり得ると納得した。
小学生の頃、昭和31年発行の10円硬貨には、製造ミスで金が混じっているので高く売れると、小学生たちの間で噂になった。当時の小遣いは、そのつど10円玉一個もらって駄菓子屋に走るのだが、目を皿のようにして31年の硬貨じゃないかと確認した。
結局、一度も巡り合わなかった。たまたまその年は、前年までの硬貨がだぶついていたので、一枚も製造されなかったということを、のちになってから知った。
+ネットでこんなのが見つかったが、昭和33年まではギザ十だったはずで、これは偽物と思われる。
ちなみにギザ十とは、コインの周囲にヘリにギザギザの刻みがある十円玉のことで、昭和26年から昭和33年の間に製造された。本来は、金貨や銀貨の地金価値の高いコインで、周囲を削って地金が盗まれるのを避けるために付けられたもので、十円銅貨のような価値の低いものは、たんなる飾りに過ぎず、現在のものにはこの飾りは無い。
(追補)
子供が小さい頃、平等院の近くに住んでいて、子供たちを連れてよく平等院に行った。改装前でまだ世界遺産の指定もなく、がらがらに空いていた。鳳凰堂の手前の池で、お尻を向けて股覗きして十円玉を池に投げ込むとラッキーがやってくるぞと、でたらめを教えて遊んでた。しばらくして元の場所に戻ると、女子大生らしきグループが、まねして股覗きしてコインを投げ込んでた。
この話をネットで書いたら、世界遺産にそんなことするなと怒られたが、もっと古き良き時代だった。お寺のお賽銭にもなるし(笑)
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