【生活文化コラム】10.【昭和の三種の神器など】
電話のダイヤルする、チャンネル回す、水道栓をひねる等々、これらはもはや死語だろう。比較的近年では、レンジでチンというのもあった。昭和30年代半ばころからであろうか、家電による家庭電化ブームが始まった。そのころ言われ出した三種の神器とは、電気洗濯機・電気冷蔵庫・テレビジョンだった。
初期の電気洗濯機は、洗濯槽の羽根を回転させて洗うだけで、脱水機も乾燥機も無かった。絞り器は、二つのローラーに洗濯物を挟んで、ハンドルを回転させて絞る原始的な仕組みだが、手で絞るよりは効率的だった。ただし、ワイシャツの貝殻ボタンなどはよく割れた。
電気冷蔵庫は大型で高価だったので、なかなか自宅では購入できなかった。戦後に普及しだした電気冷蔵庫は、下部にモーターやコンプレッサーを収納し、そこから冷媒を庫内壁面に循環させる形式で、ドアは一つのワンボックス型。ドアを開けると上部に小さな製氷ボックスが付いており、冷凍食品などない当時では、もっぱら氷をつくるだけだった。それでも、自宅で氷が作れるのは画期的に思われた。
それまでは、裕福な家庭などでは氷冷式冷蔵庫という、大きな氷の塊で冷やすものがあって、氷屋のお兄さんが道端で、ノコギリで大きな氷を切り分けてゆく。そこで飛び散る氷のかけらを手で受けて舐めるのが楽しみだった。一般庶民には冷蔵庫など無く、総菜素材は毎日、商店街に買いに行く習慣だった。夏場に冷たいビールが飲みたければ、近くの酒屋の大型冷蔵庫でギンギンに冷やされたビールを買いに走るし、子供たちは、駄菓子屋のアイスクリームボックスを覗き込んで、アイスキャンデーなどを買い食いする。
テレビジョンも、最初は街頭テレビで遠くからなにか動いてるのが見える程度、やがて家庭にも普及しだした。しかし、うちの家庭では遅くまで買ってもらえず、もっぱら先に入った家に見せてもらいに行く。夕飯時でも平気で上がり込んで見せてもらっていたが、いま思うとかなり迷惑だっただろう。遊び友達の家で兄弟も多く、こいつの所よりは早く入るだろうと思っていた家があったのだが、そいつが商店街の歳末クジで一等賞でテレビを当てたのは悔しかった(笑)
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