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Ⅷ【生活文化コラム】13.【西陣と織物産業】

【生活文化コラム】13.【西陣と織物産業】


 半世紀も前になるが、経済学部の専門課程の学生となって、振り分けられた卒論ゼミの指導教官の専攻は日本経済史だった。それは、通常の歴史経済史的研究ではなく、計量的な分析を加えて経済事象を解析する手法であった。

 私の育った西陣の織物業は、あらためて経済学的に眺めてみると、この近代化された日本の経済において、いまだ江戸時代以来の「問屋制家内工業」を続けている、なんともおかしな業界であった。京都は百年以上続く老舗が数多く存在し、その特殊な経済社会が注目されているところなので、私も西陣の問屋制家内工業の経済的な構造を解明してやろう考えた。

 しかし、思い付きで威勢よく取り組んでみたが、なにしろそのような分析をした先行研究がほとんどなく、資料データも皆無に近い状況で、結局はあっさりと断念した(笑)

 あらためて「西陣織会館」のwebを眺めてみると、次のような記述に出くわした。

《「西陣産地は社会的分業が発達したところ」
 製織段階にいたるまでには数多くの準備工程が必要である。西陣産地では、これらの工程が製織段階での出機のように、すべて分業で行われている。従って、図案家、意匠紋紙業、撚糸業、糸染業、整経業、綜絖業、整理加工業などの業者が独立して企業を営んでいる。これらの業者は、いわゆる西陣の地域で織屋と混然一体となって存在し、それぞれの仕事を分担している。(約200企業、600人) このように西陣産地は、社会的分業が高度に発展したところである。》

 たしかに、子供心に見ていても、まわりには西陣織に関わる様々な人がいっぱいいた。たとえば、図案から織物ができるようにプログラミングする工程だけとっても、「図案家」「紋匠師」「紋掘り」に分かれて、「図案家」が描いた絵を、「紋匠師(紋意匠図師)」が細かなマス目のドットデータに分割し、「紋彫り屋」がそのデータを、「紋紙」という厚紙のパンチカードに穴をあけて書きこむ。

 その紋紙をタコ糸で連ねたものを、ジャカードという機屋(はたや)上にある機械に掛けると、プログラミング通りに経(たて)糸が上下して、そこに色とりどりの緯(よこ)糸がくぐることによって、あざやかな西陣織の柄が織り込まれてゆく。(この工程は、今は磁気デジタルデータ化されてコンピュータ処理される)

 織元(親方/問屋にあたる)が、この図案を紋紙の工程まで仕上げさせ、経糸と緯糸を手当てし、賃機(ちんばた)織屋に織り上げさせる。そして、その出来上がった帯の営業販売までを取り仕切る。この織元が西陣業界の唯一の資本家で、好況の時は雨後の筍の様に生まれ、不況になるとバタバタと倒れてゆく。そういう形で、自然な生産調整がなされるわけだ。

 まず、原材料の経糸と緯糸を指定された色に染めあげる「染め屋」があるし、経糸には機屋に掛けてセッティングできるように「整経」という工程があり「整経師」が担当する。緯糸は「糸繰り」から「糸巻き」という工程で、「飛び杼(ひ)」に装着できる「管(くだ)」に巻く作業があり、これらはパートのおばさんや家庭内の年寄りのお婆さんなどの仕事である。

 ほかにも、一反風呂敷に帯を背負って、全国に売り歩く「仲買」とか、無数に関わる人たちがいる。これらの西陣織に関わる人たちは、マルクスが言う「労働力の再生産費」、つまり彼ら労働者とその家族が生きていける最低限の収入が得られる仕組みになっている。かといって、資本家である織元が搾取して大儲けしているわけでもない。織元も零細のいち個人事業主に過ぎず、自分たちの暮しに相応な収入がある程度である。

 きわめて小資本で織元になれるし、そのかわり少し景況が悪化するとすぐに倒産する。そういう環境なので、織元も一定以上に商売を広げると、あっという間に倒産する憂き目にあう。京都の多くの老舗が長年生き延びているのは、業務の拡大を第一目標にしていないからだと思われる。

 西陣が問屋制家内工業を続けて、資本主義の公式通りの工場制機械工業に移行しないのも、このような事情に基づいていると思われる。そして、業界規模の数倍もの人が西陣で就業して、西陣が「高度に発展した社会的分業」と言われるのは、昨今の状況に置き換えると、デフレで失業対策とされる「ワークシェアリング」を、歴史的知恵のもとで無意識に実現して来たのではないだろうか。

(追補)
『「着物業界」が衰退したのはなぜか? 「伝統と書いてボッタクリと読む」世界』

《 アトキンソン氏は、日本の職人文化を蘇らせるため、「品質の高いものを今よりも安く、正当な価格で提供をすることで、回転率を上げる」ことを目指していくべきだといっている。》

 一般的に常用される産業生産物と、冠婚葬祭などの儀式でまれにしか使用されず単なるステータスシンボル化したものや、外国人観光お客が記念の土産物に買って帰るものを、同じテーブル上で論じるから、こういうスカタンな論になる(笑)

 高品質低価格で世界を席巻した自動車や家電産業のかつての成功体験を、もはや天然記念物化している伝統産業に適用しても仕方ないだろう。

 この提言のもとになっているデービッド・アトキンソンは、日本の国宝や重要文化財などを補修している小西美術工藝社の経営に携わり、経営の近代化と建て直しに成功して名声を得たが、この業界は国の文化財政や公的文化機関による需要に依存している特殊業界であって、民間需要にしか期待できない和装業界に当てはまるはずもない。

 外国人観光客のニーズに期待してるようだが、そんなもんは清水坂の土産物店の売り上げ額にも及ばない。しかもそのような観光土産物品は、東北など過疎地域や中国東南アジアで作っているものがほとんど(和装品も同様)で、京都の財政には一切寄与しないので、京都市財政が破綻しかけてるのだ(笑)

 かつて、外国からの外人オバサン連をつれて祇園をぶらついたことがあったが、土産に着物が欲しいと言うので、近くの喫茶店のマスターに聞いたら、そんなもん特注で数百万ほどするので、店で売ってるもんはおまへん、観光客用の浴衣とかなら新京極か寺町あたりに、土産物用の化繊で数千円で売ってるかも知れまへん、と言われたわい(笑)

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