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XⅢ【記憶に残す昭和文化誌(戦後編)】07.少年雑誌と漫画の世界

XⅢ【記憶に残す昭和文化誌(戦後編)】07.少年雑誌と漫画の世界


 1888年に創刊の「少年園」が、日本初の総合的少年雑誌といわれているが、当初の雑誌は男女や年齢層を明確に区分していなかった。しかし、1914年に「大日本雄弁会(講談社の前身)」から「少年倶楽部」創刊されると、「怪人二十面相」などの小説、「のらくろ」や「冒険ダン吉」といった漫画を掲載し、飛行機などの紙製模型を付録にするなどして、男子の人気を得えて、少年雑誌の代表例となった。

 また、大日本雄弁会では、小学生から中学生を中心読者とした少年雑誌「少年倶楽部」、義務教育を終えた層向けの大衆雑誌「キング」と、年齢階層別の雑誌展開を進めていく。さらに、少女向けの「少女世界」が創刊されるなど、少女雑誌というジャンルが分離していった。

 第二次世界大戦後は、少年雑誌の漫画雑誌化が進み、ベビーブーム世代が就学するころには、ほぼマンガ誌と呼べる内容になっていった。そして、いくつもの「紙製付録」をつけて付録合戦の様相をしめした。さらに、人気漫画シリーズの「別冊付録」も登場して、付録が少年雑誌の間にはじけそうにはさまれた月刊漫画誌が、書店店頭にうず高く並んだ。

 1960年代になってテレビが普及する前には、少年少女月刊誌は、子どもたちにとって唯一のメディアであり、娯楽、遊びなどの情報すべてを提供していた。毎月の雑誌販売日ともなると、いちばんに書店に飛び込んで雑誌を買い、好みの連載漫画を真っ先に読むというあんばいで、厚紙と輪ゴムなどで作る組立て付録でさえ楽しみにした。

 漫画中心になっていたが、読み物も、SFや推理、冒険もの等の小説は、挿絵たっぷりの絵物語風でまだ残っていたし、兵器やメカの図解、スポーツ情報、一口知識や笑い話、世界の謎といった少年向けの情報も提供された。それらの情報が、子供たちの遊びの流行を作り出していた。

 当時のおもだった少年雑誌と、ヒットした漫画を挙げてみよう。

『少年画報』       「まぼろし探偵」(桑田次郎)・「赤胴鈴之助」(福井英一/武内つなよし)
『少年クラブ』   「月光仮面」(川内康範 作/桑田次郎 画)
『冒険王』            「アラーの使者」(川内康範 作/九里一平 画)
『少年』                「鉄腕アトム」(手塚治虫)・「鉄人28号」(横山光輝)
『ぼくら』            「七色仮面」(川内康範 作/一峰大二 画)・「少年ジェット」(武内つなよし)

 「まぽろし探偵」「月光仮面」「七色仮面」「少年ジェット」などは、テレビで実写ドラマ化され、人気の連続番組となった。「鉄腕アトム」や「鉄人28号」などのロボットものは、実写ドラマには無理があり、のちにアニメ化されてから大人気となった。テレビ番組でのキャストには、少女時代の吉永小百合、藤田弓子、山東昭子などがいた。

 高度経済成長下の1960年代にはいると、テレビという新しい娯楽メディアが各家庭に入り込み、プラモデルや最新玩具が登場すると、流行が早くなるとともに、紙工作の組み立て付録も通用しなくなった。そして1959年には、「少年サンデー」(小学館)・「少年マガジン」(講談社)が発刊され、週刊漫画雑誌の世界に移っていった。

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