このブログを検索

XⅢ【記憶に残す昭和文化誌(戦後編)】08.テレビの黄金期と消費生活への反映

XⅢ【記憶に残す昭和文化誌(戦後編)】08.テレビの黄金期と消費生活への反映


 テレビジョンのカラー放送は1960(s35)年に始まったが、1964(s39)年の東京五輪を契機に本格化し、1970(s45)年大阪万博の前後から爆発的に普及した。1973(s48)年にカラーテレビの普及率が白黒テレビを上回り、1970年代後半にはほぼ全家庭に普及するようになった。

 1970年代には、カラーテレビの普及で番組も大きく変化し、バラエティ豊かな番組構成へ移行し、家族団らんの「お茶の間テレビ」文化が一般化した。映像が鮮やかになり、バラエティやドラマの表現力が向上、ニュースやスポーツ中継の臨場感が増し、視聴時間は1975年頃にピークを迎えて、家族で夕食後や土曜夜に番組を楽しむ習慣が定着していった。 

 学生運動や政治闘争が沈静化する中、番組はアイドル・コント・ホームドラマ中心の明るい娯楽へシフト。「シラケ世代」といわれた若者層にも響く、日常や人情を描く作品が増えた。10代のタレントがテレビで活躍する場が拡大し、アイドルブームが本格化する。

*ホームドラマ・家族もの
 TBSの『ありがとう』(平岩弓枝脚本/石井ふく子プロデュース)は、ドラマ史上最高視聴率50%を越え「お化け番組」と呼ばれた。『時間ですよ』(久世光彦演出)、『寺内貫太郎一家』(向田邦子脚本)など、下町人情やギャグを交えた温かい家族像が人気で、さらには山田太一・倉本聰・向田邦子らの脚本で、現実の家族の暗部や心の空洞を描く深みのある作品(例:『岸辺のアルバム』1977年)へ進化してゆき、ドラマの黄金期を形成した。 

*バラエティ・コント番組
 公開収録の笑いが全盛で、TBS『8時だョ!全員集合』(ザ・ドリフターズ)、フジ『コント55号の世界は笑う』、そして萩本欽一の『欽ちゃんのドンとやってみよう!』は素人を起用した参加型で大ヒット。関西発の視聴者参加番組(『プロポーズ大作戦』など)も全国区になった。 

*アイドル・音楽番組
 『スター誕生!』は萩本欽一司会の公開バラエティで、歌とコントを披露する場が豊富で、子どもたちが真似する文化を生みだした。新人オーディションコーナーでは、山口百恵、桜田淳子、森昌子(花の中三トリオ)らアイドルを輩出する。

*子ども向け・特撮/アニメ
 『仮面ライダー』シリーズ、『ウルトラマン』、『ドラえもん』など特撮・アニメが家族視聴の中心。ロボットものや魔法少女ものも活況。


*報道・その他
 あさま山荘事件(1972年)のライブ中継で視聴率89.7%を記録するなど、リアルタイム報道の影響力が拡大。時代劇のニューウェーブやスポーツ中継も充実。

 1970年代はテレビが「情報と娯楽を同時に届ける」メディアとして国民生活を変えた時期で、政治色が薄れ、明るい家庭向けコンテンツが増えた一方で、後半には家族のリアルな葛藤を描く作品も登場し、視聴者の意識を反映。視聴率競争が激しく、「お化け番組」が次々生まれ、「家族で共有するテレビ」のピークで、テレビの黄金時代を形成した。 


 1970年代のテレビCMは、テレビの家庭普及とカラーブームに乗り、キャッチーなコピー・有名タレント起用・印象的な音楽が特徴で、社会現象になるほど話題となった。視聴率の高い番組と連動し、家族で共有される文化が強かった時代である。

話題・流行したCM
*「モーレツからビューティフルへ」(富士ゼロックス)
シンプルで印象的なコピーが流行語に。仕事の激しさから美しさへのシフトを表現し、企業イメージ向上に大きく貢献しました。

*「男は黙って」(サッポロビール)
三船敏郎が出演。男らしさを象徴する力強い演出で、ビールCMの定番スタイルを確立。1970年代の男性像を反映した話題作。 

*マンダム「う〜ん、マンダム」
チャールズ・ブロンソン出演。海外セレブを起用した大胆な演出と低音のセリフが男性向けCMの象徴となり、強烈なインパクトを残しました。

*「いい日旅立ち」キャンペーン(国鉄 現JR)
心温まる映像と主題歌が融合し、旅行ブームを後押し。

*「お正月を写そう」(フジカラー)
家族の思い出を呼び起こす情感豊かな作品。

 1970年代のCMは、経済成長期の明るさや家族の日常を反映して、タレント起用(アイドル・海外スター)が活発化し、広告賞で高評価の作品が多数生まれた。政治色が薄れ、娯楽性が高いものが人気を集め、テレビ番組と同じく「お茶の間」で繰り返し話題になった。 

0 件のコメント:

コメントを投稿