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Ⅲ【社会時事コラム】05.スティーブ&ビル

【社会時事コラム】05.スティーブ&ビル


 NHK-BSドキュメンタリー「スティーブ・ジョブズvs.ビル・ゲイツ」を何気に観る。終始、スティーブがビルをいじるというような対談の様子が、二人の関係を象徴しているようだった。 https://www.youtube.com/watch?v=HjsjolR4Jqc

 二人について何人かにインタビューした映像もあったが、その中の一人が次のように答えていた。

 「ヒッピーとオタクが いまの IT の世界をつくったのさ」このひと言で、番組のすべてが分った気がしたものだった。

〇パーソナルコンピュータの登場

 1970年代半ば、インテルやモトローラの関連ベンチャーから、ザイログZ80やモス6502といった画期的なマイクロプロセッサが発売された。これらは、数cm2のチップにコンピューター演算の基本機能が組み込まれたもので、それに入力(電卓キー)、出力(電光表示)、補助記憶(RAM)などを基盤に取り付けて一体化すれば、それが基本機能を備えたコンピュータであり、マイクロコンピュータ(マイコン)と呼ばれた。

 当時20歳前後の学生だったビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズらは、このチップを見て壮大な可能性を思い描いて感動したそうだが、我々にはただのゲジゲジのような部品の一つとしか見えない。そのようないわばマニアの世界に、キーボードを備えた筐体(箱)に必要なパーツを内蔵させ、「BASIC」("Beginner's All-purpose Symbolic Instruction Code" 初心者向け汎用記号命令コード)という初心者用プログラム言語を搭載した、パーソナルコンピュータが発売された。

 このころ、ウィリアム・ヘンリー・"ビル"・ゲイツ3世(William Henry "Bill" Gates III、1955年10月28日)はハーバードの学生で、以前からの友人ポール・アレンとともに、「BASICインタプリタ」を開発し、小さな成功を達成した。一方で、汎用大型コンピュータで世界制覇していたIBM社は、急激なダウンサイジングに対応するため、パーソナルコンピュータ市場への本格参入を図り、IBM PCの開発を始めており、ビルらのマイクロソフトにOSの開発を要請した。

 この「IBM PC」はその後のPCの標準となり、MS-DOSはほとんどのパーソナルコンピュータに搭載された。これがMS社の発展の基盤となった。しかしテキストベースのMS-DOS
に対して、ジョブズのアップル社は、既にGUI(グラフィカルユーザーインターフェース)を有する「Macintosh」を販売しており、圧倒的な操作性を実現していた。

 MS社は、1995年発売の「Windows 95」に至って、ようやくMacintoshと比肩しうるレベルに達した。しかし、Windows 95は世界中で圧倒的に多数のPCに搭載されて、技術的に先行していたが高額なMacintoshを凌駕してしまった。これでビル・ゲイツの天下が始まり、他方で、スティーブ・ジョブズは販売不振の責任でアップル社を追放される。

〇インターネットとモバイルコンピューティングへ

 スティーブン・ポール・“スティーブ”・ジョブズ(Steven Paul "Steve" Jobs、1955年2月24日 - 2011年10月5日)は、アップル社の共同設立者の一人であり、MacintoshからiPhoneまで、数々の独創的なPC関連デジタル製品を生み出したプロデューサーとして有名で、アップル社を世界のトップ企業に押し上げた実業家でもある。 

 アップル社の歴史は、1976年4月、ジョブズとウォズニアックともう一人で、「アップルコンピュータ・カンパニー」を創業した時に始まる。コンピュータ小売店から注文を得て、ジョブズの実家(伝説では”ガレージ”とされる)で50台の「Apple I」を組み立てて、2万5,000ドルを得たのが最初の実績であった。

 1977年4月、基板・キーボード・電源装置が筐体に一体化された「Apple II」が発表され、テレビ等の外部ディスプレイを接続すればすぐにコンピュータとして使用できる画期的なApple II は大ヒットし、1980年12月に、アップルは新規株式公開を行った。1984年になるとジョブズは、画期的なGUIやマウスを持つコンピュータ「Macintosh(マッキントッシュ)」を発表、その革新性はマスコミから絶賛され、ジョブズの名声を高めた。

 一方1981年、IBMが開発した「IBM PC」は、ビル・ゲイツのマイクロソフト社開発のMS-DOSを搭載し、設計や仕様を開放したオープンアーキテクチャ路線を採用、「パーソナルコンピュータ」という言葉を一般化した。オープンアーキテクチャで、誰でも同じ仕様のパソコンを作れるようになり、パーツ類も規格化され共用化できるようになると、IBM PCがパソコンの標準仕様となって行った。

 革新的な操作性をうたったMacintoshも、そのあおりを受けて販売不振に陥り、1985年9月、ジョブズはその責任を取る形でアップルを追われることになる。ジョブズがアップルを去っている1995年、永遠のライバル ビル・ゲイツのマイクロソフト社は、Macintoshの革新機能の多くを取り込んだOS「Windows95」を発売、Windowsを搭載した「IBM PC互換機(DOS/V機)」がパソコンのシェアを専有する状況となった。

 1996年、深刻な業績不振に陥ったアップル社は、ジョブズを復帰させて命運を託す。ジョブズは復帰すると、不倶戴天のライバルであるビル・ゲイツのマイクロソフトとの提携(事実上は資金支援を受けた。MSは独禁法で分割解体されないために、アップル社に倒産してもらっては困ったわけ)を発表し、社内のリストラを進めて業績を回復させた。

 1997年「Mac OS 8」を発表、それを搭載したノートパソコン「PowerBook」発売すると、ジョブズは1998年5月、Apple Worldwide Developers Conference(WWDC)において、あの独自のプレゼンテーションスタイルで「iMac」を発表した。トランスルーセント筐体(透明ボディでスケルトンなどと呼ばれた)を採用したiMacは、シンプルさと可愛さを同時に体現し、PC初心の若い女性層にも支持者を広げ、Appleの久しぶりの大ヒットパソコンとなった。

 その後はジョブズの独壇場と言える世界を実現し、iPod・iPad・iPhoneと次々と発表すると、単なるパソコンからモバイルコンピューティングの世界へと、デジタル空間を一変させた。今の若者は、スマホがかつてのパソコンの発展形であるとは、思いもしないだろう。

 ジョブズは、永遠のライバル ビル・ゲイツと何度も対談している。その間、両者の関係はシーソーのように上下する。1955年と同年生まれの両者は、対談ではジョブズが終始ビルを突っつきまくるという構図が展開される。2007年の最後の対談では、ジョブズがPC分野でビルに完敗したのを認めたようだ。デジタル界に詳しい誰かが言った、「デジタルコンピューティングの世界は、二人のヒッピーとオタクが作り上げたのさ」

 しかし実はこの年は、ジョブズがiPodを発表した時であり、この後、iPad・iPhoneなど画期的な製品を発売、モバイルコンピューティングの世界を席巻し、株価時価総額・総売上高・総利益という企業3大部門でマイクロソフトを抜き、企業ランク トップに躍り出るという偉業を達成する。2011年10月5日、アップルは、ジョブズが死去したと発表した。死因は胃癌、享年56。 ”Stay hungry. Stay foolish.ーSteve Jobs”

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