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Ⅵ【映画関連コラム】09.【夜よ、こんにちは】"Buongiorno,Notte/Good Morning, Night"

【映画関連コラム】09.【夜よ、こんにちは】"Buongiorno,Notte/Good Morning, Night"(2003/伊)


https://movie.walkerplus.com/mv35609/
 
 極左テロ組織「赤い旅団」によるモロ元首相誘拐殺害事件。実行メンバー唯一の女性の視線で、犯行を内側から描いた。しかしこの70年代のイタリアはすごい状況だったようだ。

 やたら要人暗殺事件が頻発するのだが、それに関わる組織団体の多様さには眩暈がしてくる。極左テロ組織のみならず、マフィア、フリーメイソン、現役首相等政界要人、実業界、さらにはバチカン法王庁までもが、複雑な地下茎のようにからまりあっていて、もうワケわからない。もちろんCIAやKGBも陰で暗躍。

 さらに半年もたたない時期に、ヨハネ・パウロ1世急死事件が起こる。就任一カ月での急死で、暗殺の疑いも強く残っている。モロ元首相の解放交渉を拒否したのが、当時のジュリオ・アンドレオッティ首相で、マフィアとの関係が指的され、法王暗殺にも関わったと噂された。この事件にも上記各組織が深く関わっているとされる。

 この法王急死事件を背景にして、『ゴッドファーザーⅢ』が製作された。日本人には縁遠い事件と思われたのか、前二作ほど話題にならなかったが、きわめて興味深いテーマだった。『夜よ、こんにちは』と重ねて観ると、イタリアの複雑な現在が見えてくると思われる。

Ⅵ【映画関連コラム】08.【ラストデイズ・オブ・サードエンパイア】"EDEL WEISS PIRATEN"

【映画関連コラム】08.【ラストデイズ・オブ・サードエンパイア】"EDEL WEISS PIRATEN"(2004/独)

 ナチス・ドイツ陥落間際のケルン近郊で「エーデルヴァイス海賊団」と称する少年達の不良グループが、反ナチス的な行動でゲシュタポに本格的な弾圧を受ける悲劇。

 「エーデルヴァイス海賊団」を不良グループというのには語弊があるが、もとはやんちゃな若者のアウトドア派娯楽集団のようなもので、権力への反発心からナチス側のヒットラー・ユーゲントと抗争ゴッコを繰り返していたようだ。それが本格的な反ナチス活動に引き込まれて行き、悲惨な結末を向かえる。

 実際にあった悲劇だようだ。しかし、売らんかなという邦題にはあきれる。「第三帝国の最期(ラストデイズ・オブ・サードエンパイア)」なんていうと、誰でも、ベルリン市街戦などのシーンを思いうかべるじゃないか。さすがに気が引けるのかカタカナ書きにしてるけど。

Ⅵ【映画関連コラム】07.【シャネル & ストラヴィンスキー】"Coco Chanel & Igor Stravinsky"

【映画関連コラム】07.【シャネル & ストラヴィンスキー】"Coco Chanel & Igor Stravinsky"(2009/仏)


 仏映画らしくしっぽりとしたココとイゴールのラブロマンス。実際には映画のような不倫劇ではなく、ココはイゴールの才能を愛してパトロンとなっただけかも。

 現にココ・シャネルは、生涯に渡ってストラビンスキーのパトロン的な立ち位置を保ったらしい。圧巻のシーンは、冒頭で演じられるバレー劇「春の祭典」である。おかげで、ラブロマンスというよりむしろ音楽バレー映画として楽しめた。
https://www.youtube.com/watch?v=Fmti871dDKo&list=RDFmti871dDKo&start_radio=1&t=84

 しかし映画の世界から一歩出ると、ココは貧しい境遇からその名声を得るまでに、多くの男をパトロンや肥やしとして成り上がって来た。これはデヴィ夫人などと同じくよくあるパターンで、女性がある種の才能を開花させるには、男性社会では避けられないことでもあるのだろうか。

 ドイツ占領下では、ココはゲシュタポ高官の愛人となって、戦後には対独協力者、売国奴として非難を浴び苦難の時期を過ごすが、不死鳥のようにファッション界に復帰した。

 その生涯の評価は立場によって180度ことなるだろうが、ファッションにおいて「女性解放」に果たした役割は、歴史として評価されるのかもしれない。

Ⅵ【映画関連コラム】06.【マーラー 君に捧げるアダージョ】"Mahler Auf Der Couch"

【映画関連コラム】06.【マーラー 君に捧げるアダージョ】"Mahler Auf Der Couch"(2011/独・墺)


 邦題からは天才作曲家のラブロマンス風伝記映画という印象を受けるが、これは誤解を招く。原題は「カウチベッドの上のマーラー」で、フロイト博士の診察室にあるボロいカウチベッドで、カウンセリングを受ける神経症のマーラーを示している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC_%E5%90%9B%E3%81%AB%E6%8D%A7%E3%81%92%E3%82%8B%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A7

 19歳下の奔放な夫人の不倫に悩み、よれよれになったマーラーが、変人フロイト博士を頼って来るという、心理的推理ドラマと言ったところ。変人精神分析医フロイトと神経症の天才音楽家マーラーとのカラミが、コメディタッチで楽しい(笑)

Ⅵ【映画関連コラム】05.【アレクサンドリア】"Agora" (2009/西)

【映画関連コラム】05.【アレクサンドリア】"Agora" (2009/西)


 4世紀、キリスト教を国教化したローマ帝国支配下のアレキサンドリアが舞台。ヘレニズム文化の華、アレキサンドリアがキリスト教徒に破壊される中で、学問に殉じる女性天文学者ヒュパティアの半生を描く。

 暴徒と化してアレキサンドリア大図書館を襲ったキリスト教徒は、学術資料を守ろうとするヒュパティアを、生きたまま、その肉を貝殻で削ぎ落して殺したとされる。
 
 古代の叡智が結集した「アレキサンドリア大図書館」の蔵書70万巻が、原始的野蛮なキリスト教徒によって焼き払われた史実を基にしている。

 新興のキリスト教徒にとって、成熟した古代エジプト文明と、それを引き継いだ古代ローマ植民下に発展したアレクサンドリアの思想と学問は、神に対する冒涜であり、その象徴の大図書館を、暴徒と化して破壊しつくした。
 
 この時期のキリスト教徒は、一種のカルトで、今のアラブ世界における ISIS みたいなものかも知れぬ。

女性天文学者ヒュパティア(ヒパチア)(wikipedia)

Ⅵ【映画関連コラム】04.【狼たちの午後】"Dog Day Afternoon"(1975/米)

【映画関連コラム】04.【狼たちの午後】"Dog Day Afternoon"(1975/米)


 アル・パチーノとジョン・カザール扮する気弱な男たちが引き起こす銀行強盗事件。杜撰な計画のまま銀行に踏み込み、ドジが重なりまたたく間に警察に包囲され、人質をとり篭城するも徐々に追い詰められていく長い夏の一日を描く。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%BC%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E5%8D%88%E5%BE%8C
 
 1972年に起きた実話に基づいたもので、映画は銀行内に篭城する2人のシーンを中心に展開するが、その裏には70年代のアメリカの社会背景を色濃く反映している。プアホワイト、黒人問題、刑務所暴動、ヴェトナム帰還兵、ゲイetc。


 ドジな計画で包囲され、孤立と焦りにいら立つ二人だが、客観的にはいささか滑稽に見える。しかしながら演出は、彼らにシンパシーを抱かせるように描かれ、アル・パチーノが外へ出て「アッティカ刑務所暴動」に言及すると、野次馬たちは「アッティカアッティカ!」と声を合わせて叫び、いつの間にかヒーローのように祭り上げられていくシーンは、なぜか滑稽な中に哀しみさえ感じさせる。

「アッティカ刑務所暴動」http://aafocusblog.blogspot.com/2011/11/40.html

 アル・パチーノとジョン・カザールの名演も見逃せない。「ゴッドファーザー」では、三男マイケルのアル・パチーノも名演だったが、意志の弱い次男フレドーを演じたカザールは、なんとも言えないファミリーの悲哀を表現していた。
 
 カザールはこの後の「ディア・ハンター」撮影時に、すでに末期癌の診断を受けていたが、名演したのち、上演をまたずして死去する。共演のジョン・カザールとメリル・ストリープは恋人関係にあり、撮影中に婚約していた。

Ⅵ【映画関連コラム】03.ハリウッド・蒲田・太秦、、、映画三題噺

【映画関連コラム】03.ハリウッド・蒲田・太秦、、、映画三題噺


 1913年ロサンゼルス郊外の片田舎ハリウッド(Hollywood)に、映画製作会社が造られ映画の撮影が始められた。映画を発明したエジソンが黎明期の映画界を牛耳り、アメリカ東部での映画撮影から配給までを独占した。そこで中小の制作者らは、西部の新天地ハリウッドへ移転して映画産業を始め、後発移民として東部で排除されたイタリア系・アイルランド系・ユダヤ系なども、出自を問わないハリウッドでクリエイターや出演者として才能を発揮した。

 このように、才能を秘めた若者たちが、情熱をもってハリウッドを目指した様子は、まさにアメリカン・ドリームを支えた「西部劇」の世界そのものであった。「新参移民・難民・違法入国者」など、既存社会に受け入れられない者たちが、つねに新しい「フロンティア」を目指す姿は、まさにアメリカの象徴であった。

 そのハリウッドにも暗黒の時代があり、第二次大戦後の東西冷戦体制のもとで、共和党マッカーシー上院議員による「赤狩り」の嵐が吹き荒れ、新興のハリウッドもターゲットとされた。多くのハリウッド関係者が「共産主義者」の嫌疑を掛けられて告発され、俳優労働組合の委員長であったロナルド・レーガンが、仲間の組合員を売り渡す証言をしたり、「エデンの東」の名監督エリア・カザンが、友人の映画関係者を裏切る証言をし、頑強な反共主義者でレイシストでもあったウォルト・ディズニーは、FBIへの熱心な密告者として保身を図った。

 今でもハリウッド関係者には共和党不審が強く、俳優組合など中心にリベラルな民主党支持者が多いという。だが一方で、愛国的でアメリカ精神を高揚させるような映画製作も多く、共和党支持者もそれなりに存在する。演技派、有色人種や女優にはリベラルな民主党支持者が多く、アクション大作などのビッグネームには共和党支持者が多いといわれる。

 トム・ハンクス、レオナルド・ディカプリオ、ショーン・ペン、メリル・ストリープらに対して、アーノルド・シュワルツェネッガー、クリント・イーストウッド、ブルース・ウィリス、シルベスター・スタローンなど並べてみると、けっこう笑えたりする。

 ”hollywood”とは 「holly=ひいらぎの森」という意味だが、当時はいちじくなどの果樹園だったらしい。いずれにせよ、灌木ぐらいしか生えない荒地だったようだが、日本ではHollyがHolyと誤読して訳され「聖林」などと書かれるようになった。

 こんなやり取りをしていると、日本の「映画の都」は蒲田だという話になって、どうせここも「蒲(がま)の穂」が生い茂った湿地帯だったんだろうということになった。ちなみに、吉原は「葦=アシ」の茂る湿地帯だったが、「アシ=悪し」につながるのをさけて、「ヨシ=良し」と語呂合わせで無理やり呼び変えたらしい。

 蒲の穂と言えば「因幡の白兎」の話題が出て、皮を剥がれたウサギは大国主の命に蒲の穂で手当てされて助けられた。さらに因幡の白兎の話は、当時の朝鮮半島からの貴族難民(白兎)を、因幡(出雲地方)の先住政権(大国主)が、救って保護してやったという歴史的事実を説話化したものであり、「大国主の国ゆずり」の話も、ヤマト政権に征服された史実が、ヤマト政権側の都合で「国ゆずり」神話に変えられたものではないか。

 1982年には、戦前に流行った「蒲田行進曲」を映画主題歌として、つかこうへい原作の映画『蒲田行進曲』が作られた。京都の東映映画撮影所を舞台に、撮影所スタッフや大部屋役者などの、映画撮影をめぐる悲喜こもごもの人間模様を描き、「新選組」撮影のクライマックスでは、十数メートルの高さの大階段から転がり落ちる、圧巻の「階段落ち」シーンが話題となった。

 そういえば、西の映画のメッカと言えば京都「太秦(うずまさ)」だが、この地名は百済からの渡来人「秦氏(はたうじ)」に由来すしており、秦(ハタ)は機織り(はたおり)のハタでもあり、織物技術をもたらしたとされ、西陣織の祖にもつながる。

 太秦には、かつて多くの映画会社の時代劇映画撮影所があり、いまも東映撮影所の敷地はテーマパーク「東映太秦映画村」となっており、銭形平次の長屋などがある前で、現役役者のチャンバラの殺陣(たて)シーンが実演され、観光客は悪役浪人を斬る体験もできる。

 あの黒澤明『羅生門』も、撮影は同地にあった太秦大映京都撮影所で行われた。その撮影所前の広場には、巨大な原寸大の「羅生門」のオープンセットが建設されたという。

Ⅵ【映画関連コラム】02.エリア・カザン、ジェームズ・ディーン、そしてマーロン・ブランド

【映画関連コラム】02.エリア・カザン、ジェームズ・ディーン、そしてマーロン・ブランド


 ジェームズ・ディーンは、エリア・カザン監督『エデンの東(1955)』で一躍スターの地位を不動のものとした。ジョン・スタインベックの原作だが、映画ではラストで牧師が、「カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ」と旧約聖書創世記の一節を読み上げるシーンで、「カインとアベル」の物語が下敷きなのだと気が付く。つまり、兄弟殺しの話しが基調にある。

 エリア・カザンは名監督ではあるが、マッカーシー赤狩り旋風のときには、告発から逃れるためにハリウッド仲間を売った裏切り者ともされている。晩年になって、アカデミー賞名誉賞が贈られた時にさえ、多くの関係者や著名俳優がスタンディング・オベーションを拒否したほど、傷は深かった。

 ちなみにハリウッドで仲間を売った赤狩り三悪人は、エリア・カザンのほかに、当時俳優組合委員長だったロナルド・レーガン、白人至上主義レイシストのウォルト・ディズニーあたりが挙げられる。

 ジェームズ・ディーンと言えば、リーバイスのCMで映像が使われたので勘違いされるが、実際に愛用していたのはリー(Lee 101 Riders)であった。しかも、それより先行して、若者のファッションアイテムとしてのジーンズを流行らせたのは、『乱暴者(あばれもの) ”The Wild One” (1953)』で暴走族のリーダーを演じたマーロン・ブランドだった。

 ただしこの時は、ワルで乱暴者のイメージが濃厚で、多くの学校で生徒がジーンズを着用するのを禁じたという。
 
 マーロン・ブランドは、奇しくもエリア・カザン演出の『欲望という名の電車(1951)』で、中年になったヴィヴィアン・リーと共演し、一気にスターダムを駆け上った。彼はヴィヴィアンが身を寄せた妹のアパートで、妹の亭主として粗暴な労働者を演じた。このときマーロン・ブランドが身に着けていた薄汚れた半そで下着が、若者にカッコ良いと真似され、ここからファッションとしてのTシャツ文化が広まったという。

 なおマーロン・ブランドは、戦後の新たなワル風若者のパイオニア的存在で、ジェームズ・ディーン、エルビス・プレスリー、ジョン・レノンなども憧れて模倣したとされる。
 
 ところで、日本で最初にジーンズをはきこなした男として、白洲次郎が有名だが、これは昭和20年代。日本の若者がジーンズをはき出したのは昭和30年代後半、東京オリンピックの頃からだから、普及に直接寄与したとは言い難い。ちなみにこちらは、Levi's 501。

 しかし、上半身は下着ではなさそうだし、ポロシャツ風の襟もないからTシャツかな。となると、マーロン・ブランドよりはやく、Tシャツ&ジーンズのファッションをこなしてたのかも知れない。


Ⅵ【映画関連コラム】01.【レディ・エージェント】とド・ゴール

【映画関連コラム】01.【レディ・エージェント】とド・ゴール


 『レディ・エージェント』"Les femmes de l'ombre" (2008/仏)
http://mash1966.hatenadiary.com/entry/20090807/p1

 Dデイ(ノルマンジー上陸作戦)決行前夜、作戦の秘密を守るために、独占領下の仏本土に極秘ミッションで派遣される5人の女性エージェント。 女スパイ物というとキワモノのようだが、史実をなぞって、それなりにリアルなスパイサスペンス。

*歴史トリビア
 亡命政府・自由フランスを率いフランス再建の英雄となったシャルル・ド・ゴール、その生涯で遭遇した暗殺未遂事件は31件にのぼるとか。映画『レディ・エージェント』の背景を調べていて知った。

 「ジャッカルの日」”The Day of the Jackal"は、その暗殺を扱った映画。

 そのドゴール、ドイツに侵攻されるとともにさっさと英国に亡命し、英米軍の後押しでやっとこさフランス奪回。戦後は、イギリスのEEC(EUの前身)加盟をとことん拒否し、独自で核開発するなど、傲岸不遜な独裁的政権運営をした人物といったイメージを持っていたが、ちょいと調べてみて見直した。

 良くも悪くも我が道を行くという人物なので、チャーチルみたいな面白い語録が残ってるかと思ったが、意外に平凡なドゴール語録。 http://meigennooukoku.net/blog-entry-826.html

 ちなみにチャーチル語録はこちら。 http://meigennooukoku.net/blog-entry-739.html

 チャーチルによるドゴール評 >「将軍は自分をジャンヌ・ダルクか、あるいはナポレオンかと思っている。だが誰も彼を火炙りにすることも、島流しにすることもできない」(フランクリン・ルーズヴェルトにシャルル・ド・ゴールの排除を持ちかけられたとき)

Ⅴ【音楽関連コラム】11.ディートリッヒ、モロッコ、リリー・マルレーン

【音楽関連コラム】11.ディートリッヒ、モロッコ、リリー・マルレーン


 「妖艶・退廃的・脚線美」と並ぶと、マレーネ・ディートリヒを思い浮かべる人も多いだろう。彼女は、1901年にプロイセン王国の首都ベルリンに生まれ、第一次・第二次世界大戦下を生き抜いて、数奇な運命を辿ることになった。1922年20歳のときに映画デビューし、さらに1930年には、ドイツ映画最初期のトーキー『嘆きの天使』に出演して、国際的な名声を獲得した。まさにこの時期は、ナチスドイツが政権を奪取していく過程でもあった。

 しかし何といってもディートリヒを代表する映画と言えば、同年ハリウッドに招かれて、ゲイリー・クーパーと共演した『モロッコ』が挙げられる。去ってゆくクーパーを、砂漠を裸足で追いかけてゆくラストシーンは印象的だった。引き続き、ユダヤ人監督スタンバーグとのコンビで、『上海特急』がヒットすると、ハリウッドスターとして黄金時代を築きあげた。
https://www.youtube.com/watch?v=sIX65uBrVFE

 ドイツの独裁者となったヒトラーは、マレーネがお気に入りで、ドイツに戻らせようとしたが、ナチスを嫌ったマレーネはそれを断って、1939年にはアメリカの市民権を取得した。マザコンでゲイでインポだったと思われるヒトラーが、マレーネのような男装の麗人を身近に置きたがるのはよく分かる。しかしナチス・ヒトラーを拒否したマレーネは、反逆者としてその映画も上映禁止とされた。

 1940年代からはブロードウェイの舞台に立つなど、音楽活動に重点が移っていったが、占領下のフランスから渡米していた名優ジャン・ギャバンとも浮名を流す。ギャバンは自由フランス軍に志願して分かれ分かれになるが、マレーネも米国の前線兵士慰問機関の一員となり、アメリカ軍兵士の慰問にヨーロッパ各地を巡回した。

 その慰問先で、兵士が口ずさんでいた「リリー・マルレーン」を知り、英語の歌詞で連合軍兵士の前で歌った。この「リリー・マルレーン」はディートリヒの持ち歌として、世界的に有名になったが、このドイツ生まれの歌曲こそ、マレーネ以上に数奇な運命を経たものであった。

 「リリー・マルレーン」を最初にレコードに吹き込んだのは、ドイツの歌手ララ・アンデルセンであった。第一次大戦中にドイツの詩人ハンス・ライプが作詞したものに、第二次世界大戦直前に作曲家ノルベルト・シュルツェが曲を付け、それに出会った売れないキャバレー歌手ララが、1939年まさに第二次大戦勃発直前に、やっとレコーディングにこぎつけた。

 アンデルセンのレコードは60枚しか売れなかったと言われ、不発であったのは間違いない。しかし、ドイツ軍の前線慰問用レコードの発注を受けた某レコード店は、200枚の中に売れ残りのララのレコードを2枚紛れ込ませた。それが、何故か東欧戦線のベオグラードにあったドイツ軍放送局から流されると、周辺に点在する独軍兵士たちは、故郷の恋人を懐かしみ涙を流したと言われている。

 だが、ラジオの電波は敵味方を区別しない。やがてドイツ兵のみならず、対峙する連合国軍兵士の間にも流行し、同じく故郷を思い涙したという。曲と歌詞を知れば分かるだろうが、この曲は決して、前線の戦士の戦闘意欲を鼓舞するものではなく、平和だった故郷を懐かしみ、戦意を失わさせる抒情的な歌だった。

 アンデルセンは、慰問などで一時的に人気者になったが、当局に戦局にそぐわないと判断され、ララは歌手活動が禁止され、レコードの原盤が廃棄され、ナチス宣伝相ゲッベルスの指示で、「勇壮なドラム伴奏を付けた軍歌版」なる別バージョンが作られたという。

 終戦後のララは、ドイツ北部の北海に浮かぶランゲオーク島に移住、スイス人作曲家と再婚し、歌手としても復帰するなど、幸せな晩年を過ごしたとされる。以下に、ディートリッヒのドイツ語阪「リリー・マルレーン」とその歌詞を添付しておく。
https://www.youtube.com/watch?v=XC57p3U6svI

 なおマレーネ・ディートリヒは、1970年大阪万博などを記念して、来日コンサートを行っている。当時20代前半の私には、70歳に近いお婆さんの来日には、何の興味もなかったが。

「リリー・マルレーン」
Vor der Kaserne
Vor dem grossen Tor
Stand eine Laterne
Und steht sie noch davor
So woll’n wir uns da wiederseh’n
Wenn wir bei der Laterne steh’n
Wie einst Lilli Marleen
Wie einst Lilli Marleen

兵営の前の
大きな営門の前に
街灯が立っていた
そして今でもその場所にそれがあるなら
またそこで会おうよ
街灯の下に二人で佇むとき
いつかのように、リリー・マルレーン
いつかのように、リリー・マルレーン

Ⅴ【音楽関連コラム】10. '60年代ガールズ・フレンチポップス

【音楽関連コラム】10. '60年代ガールズ・フレンチポップス


 60年代、アメリカン・ポップスとビートルズ旋風が吹き荒れた時期に、フランスでは「イェイェ」という独自のフレンチポップスがブームになっていた。

 日本でも、シルヴィー・ヴァルタンやフランス・ギャルが来日公演して、一時ブームになった。

 レナウンCM「ワンサカ娘」で、「ドライブウエイに春が来りゃ イェイ イェイ イェイ イェイ イェイ」という歌詞は、当然イェイェを念頭に置いたもので、来日したシルヴィー・ヴァルタンもCM出演して歌っている。
 《「イェイェ」とは60年代に流行したアメリカのロックン・ロール・スタイルの音楽をフランスのアイドル歌手が歌ったもの(「イェイェ」というのはいわゆるR&Rの「Yeah Yeah」である)。ロリータな女性アイドルの甘い声で歌われるフランス語の響きとロックン・ロールのリズムのミスマッチが独特のキッチュでキュートな、不思議な魅力を醸し出し、一部で熱狂的な支持を得ていた。フランスならではのアコーディオンを使用したミュゼットや、ジャズ/ボサノヴァの影響を受けていたりするのもポイント。
https://www.youtube.com/watch?v=cg0bGkIK_84

 代表的なアーティストとしては、フランス・ギャル、シルヴィ・バルタン(彼女は東欧出身だが)、ブリジット・バルドー、フランソワーズ・アルディ、ジェーン・バーキン(彼女はイギリス人)あたりが有名。》(http://www.metalgate.jp/G_frenchpop.htm より引用)

 フランス・ギャルは「夢見るシャンソン人形」のヒットで日本で知られ、来日公演もした。フランス語での歌詞だと不気味な人形なので、日本では「シャンソン人形」と超訳された。

 イエイエは、シャンソンにロックやジャズのアップテンポのリズムを取り入れたポップスだが、日本では単にシャンソンやジャズとして流行ったので、イェイェという言葉は輸入されなかった。