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Ⅵ【映画関連コラム】03.ハリウッド・蒲田・太秦、、、映画三題噺

【映画関連コラム】03.ハリウッド・蒲田・太秦、、、映画三題噺


 1913年ロサンゼルス郊外の片田舎ハリウッド(Hollywood)に、映画製作会社が造られ映画の撮影が始められた。映画を発明したエジソンが黎明期の映画界を牛耳り、アメリカ東部での映画撮影から配給までを独占した。そこで中小の制作者らは、西部の新天地ハリウッドへ移転して映画産業を始め、後発移民として東部で排除されたイタリア系・アイルランド系・ユダヤ系なども、出自を問わないハリウッドでクリエイターや出演者として才能を発揮した。

 このように、才能を秘めた若者たちが、情熱をもってハリウッドを目指した様子は、まさにアメリカン・ドリームを支えた「西部劇」の世界そのものであった。「新参移民・難民・違法入国者」など、既存社会に受け入れられない者たちが、つねに新しい「フロンティア」を目指す姿は、まさにアメリカの象徴であった。

 そのハリウッドにも暗黒の時代があり、第二次大戦後の東西冷戦体制のもとで、共和党マッカーシー上院議員による「赤狩り」の嵐が吹き荒れ、新興のハリウッドもターゲットとされた。多くのハリウッド関係者が「共産主義者」の嫌疑を掛けられて告発され、俳優労働組合の委員長であったロナルド・レーガンが、仲間の組合員を売り渡す証言をしたり、「エデンの東」の名監督エリア・カザンが、友人の映画関係者を裏切る証言をし、頑強な反共主義者でレイシストでもあったウォルト・ディズニーは、FBIへの熱心な密告者として保身を図った。

 今でもハリウッド関係者には共和党不審が強く、俳優組合など中心にリベラルな民主党支持者が多いという。だが一方で、愛国的でアメリカ精神を高揚させるような映画製作も多く、共和党支持者もそれなりに存在する。演技派、有色人種や女優にはリベラルな民主党支持者が多く、アクション大作などのビッグネームには共和党支持者が多いといわれる。

 トム・ハンクス、レオナルド・ディカプリオ、ショーン・ペン、メリル・ストリープらに対して、アーノルド・シュワルツェネッガー、クリント・イーストウッド、ブルース・ウィリス、シルベスター・スタローンなど並べてみると、けっこう笑えたりする。

 ”hollywood”とは 「holly=ひいらぎの森」という意味だが、当時はいちじくなどの果樹園だったらしい。いずれにせよ、灌木ぐらいしか生えない荒地だったようだが、日本ではHollyがHolyと誤読して訳され「聖林」などと書かれるようになった。

 こんなやり取りをしていると、日本の「映画の都」は蒲田だという話になって、どうせここも「蒲(がま)の穂」が生い茂った湿地帯だったんだろうということになった。ちなみに、吉原は「葦=アシ」の茂る湿地帯だったが、「アシ=悪し」につながるのをさけて、「ヨシ=良し」と語呂合わせで無理やり呼び変えたらしい。

 蒲の穂と言えば「因幡の白兎」の話題が出て、皮を剥がれたウサギは大国主の命に蒲の穂で手当てされて助けられた。さらに因幡の白兎の話は、当時の朝鮮半島からの貴族難民(白兎)を、因幡(出雲地方)の先住政権(大国主)が、救って保護してやったという歴史的事実を説話化したものであり、「大国主の国ゆずり」の話も、ヤマト政権に征服された史実が、ヤマト政権側の都合で「国ゆずり」神話に変えられたものではないか。

 1982年には、戦前に流行った「蒲田行進曲」を映画主題歌として、つかこうへい原作の映画『蒲田行進曲』が作られた。京都の東映映画撮影所を舞台に、撮影所スタッフや大部屋役者などの、映画撮影をめぐる悲喜こもごもの人間模様を描き、「新選組」撮影のクライマックスでは、十数メートルの高さの大階段から転がり落ちる、圧巻の「階段落ち」シーンが話題となった。

 そういえば、西の映画のメッカと言えば京都「太秦(うずまさ)」だが、この地名は百済からの渡来人「秦氏(はたうじ)」に由来すしており、秦(ハタ)は機織り(はたおり)のハタでもあり、織物技術をもたらしたとされ、西陣織の祖にもつながる。

 太秦には、かつて多くの映画会社の時代劇映画撮影所があり、いまも東映撮影所の敷地はテーマパーク「東映太秦映画村」となっており、銭形平次の長屋などがある前で、現役役者のチャンバラの殺陣(たて)シーンが実演され、観光客は悪役浪人を斬る体験もできる。

 あの黒澤明『羅生門』も、撮影は同地にあった太秦大映京都撮影所で行われた。その撮影所前の広場には、巨大な原寸大の「羅生門」のオープンセットが建設されたという。

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